深夜2時、路地裏にて「乙夜さん、ちょっと」
「あ?」
深夜と言って差し支えない時刻、ほとんど人通りの絶えた路地。
仕事を片付けた「遺書屋」の二人がいつものように帰り道を歩いていると、不意に根小山が乙夜の腕を掴んだ。
「何だよ根小山、どうした」
「いいから、ちょっとこっち来て」
強引に腕を引く根小山に、乙夜は首を傾げながらも付いていく。振り解こうと思えばできるそれを払わないのは、相棒に対する信頼もそうだが、それ以上に「断ったあとのほうが面倒くさそう」という打算だ。
力比べなら乙夜に分があるものの、体力勝負になれば根小山には勝てない。二度、三度と同じことをされれば先に息切れするのは自分の方だということを、乙夜はよく知っていた。
そんなわけで、信頼半分打算半分で相棒に着いて行ってみれば、そこはただでさえ暗い路地の、更に奥。並べば互いの肩がぶつかり合うような狭苦しいその場所へ着くなり、根小山は乙夜の腰と後頭部に手を回し、その身体を自分の方へと引き寄せた。
「な、ん……っ?!」
突然口付けられればさすがの乙夜も仰天し、離れようと藻掻く。しかしすでに体をガッチリと抱きしめられてしまっている状態では、ろくな抵抗もできなかった。
「ん、ふ……ッ、ぅ……」
ぬるりと、唇の隙間から根小山の舌が侵入してくる。そのまま彼の舌は、乙夜の咥内を無遠慮に侵していく。歯列をなぞり、上顎を擽って、乙夜の舌と自分のそれを絡ませる。
ゾクゾクと擽ったいような甘い痺れが、乙夜の背筋を駆け下りて行く。何度も舌を絡めとられるうちに、二人の唾液が混ざり、クチュリと水音を立てた。
「は、ァ……ッ、チカ、おまえ……!」
「黙って、賢明さん」
「んぅ……ッ!」
呼吸の合間に抗議の声を上げるも、すぐに塞がれてしまう。普段は奥手な根小山が起こした行動に、乙夜の脳内は疑問符が飛び交っていた。どういうつもりだと問おうにも、口は塞がれてしまっていて、くぐもった喘ぎ声を上げることしかできない。
せめてもの意思表示にと根小山の目を睨み付けようとして、ふと気付く。根小山の視線は自分ではなく、その向こう……自分達がさっきまで歩いていた路地に向けられていた。
ドロリとした敵意の篭った眼差しは、乙夜の向こうにいる「誰か」を見ている。
(追手でもいたか……? いや、それにしちゃ誤魔化し方が妙だな……何だ?)
後ろにいる「誰か」へと見せ付けるような口付けは暫く続き、路地裏からはちゅぷ、ちゅく、という唾液が混ざり合う水音と、その合間に時折零れる吐息の音が、小さく漏れ聞こえて来る。
「は……、賢明さん、も少しだけ、な……」
「っ、ふ……ァ、はぁっ、チカ、ん、ぅ……っ」
そうして、路上で交わすには濃厚すぎる口付けは、やがて始まった時と同じく、唐突に終わった。
「──ん、もういいか」
「……プハッ、はぁ、はぁ……ッ!」
名残惜しそうに乙夜の口内から舌を引抜いて、根小山は小さくそう呟く。解放された乙夜は、自由になるなり不足していた酸素を吸い込みながら、唾液で濡れた口元を拭った。後ろを振り返ってみても、既に人の気配はない。
「……チカ、お前いつから強姦魔になったんだ?」
「ち、違うって。別にここで乙夜さんをどうこうするつもりはなくて!」
ギロリと睨めつけてみれば、根小山は焦ったように眉を下げ、乙夜から手を離す。それから一瞬だけ静かに乙夜の後ろへと視線を向けた。
へらりと、笑みをかたどった唇が告げる。
「──虫除けをしとこうと思ったんだよ」
乙夜へと戻った根小山の視線は、変わらずドロリとした熱を湛えていた。