お出かけ勇者と花はき魔王 いつか、どこかの国。
戦いから始まった出会いだけれど、やがて心を通わせた二人。勇者と呼ばれる男の子と魔王を名乗る魔族は良い友だちとなりました。
これは、そのあとのふたりのおはなし。
ある日のこと。
魔王がいつものように男の子の家のドアを叩こうとすると、がちゃりとドアが開きました。
「おや、こんにちは」
目をぱちくりとさせて挨拶する男の子は大きな袋を背負って丈夫そうな靴を履いています。
「せっかく来てもらったけれど、これから出かけるところなんです」
「どこへ行くというのだ」
「王さまのお城にお呼ばれしたもので」
このあいだのことです。
森に迷い込んで困っている女の子を助けたところ、なんと女の子はお城のお姫さまだったものだから王さまがお礼をしたいとお呼びなのだと男の子は語って聞かせました。
「ふん。礼が言いたいなら自分で来れば良いものを。呼びつけるとは人間の王とは傲慢なものだな」
魔王はなんだか面白くありません。
「きっと忙しいんですよ。そんなわけでしばらく留守にしますから、あなたにこのことを伝えられて良かったです」
男の子はにっこり笑って手を振って、旅立っていってしまいました。
それから、何日立っても男の子は戻って来ませんでした。
灯りのともらぬ窓を見てはがっかりして城へ引き返す日々。
「人間の足でもそんなにかかる距離ではあるまいに。どこで道草を食っておるのか」
頬杖をついた魔王に魔物たちが口々にこたえます。
「王さまに気に入られて帰ってこれないのかもしれません」
「お姫さまのお婿さんに選ばれたのでは」
「なんだって!」
魔王はびっくりしましたが、すぐに、そうかもしれないなと思い直しました。
魔王と対等に戦えるほど強く、賢く、どんなものにもわけへだてない優しい心を持つ男の子よりも王にふさわしいものなど、この国にいないだろう。
姫だとて、きっと彼を好きにならずにいられないはずだ。
男の子はもう、あの森の奥深くの小さな家に戻って来ることは二度とないのかもしれない。
肩を落とし、とぼとぼと自分の部屋に入っていく魔王をみて魔物たちは顔を見合わせました。
あんな、寂しそうな魔王さまは見たことがないぞ。これから、どうなってしまうのだろう。
その不安は的中し、次の日から魔王はみるみるうちに元気をなくし、ついには床に伏せってしまいました。
胸が重苦しく頭はどんよりとして何をしても楽しくないし、食欲もなくて何を食べても美味しく感じません。その有り様は木の枝から今にも離れて風に吹き飛ばされていく枯れ葉のようでした。
ああ、魔王さま! いったいどうしたら良いのだろう。
魔族が病気にかかるなんて、きいたこともありません。魔物たちは困り果ててしまいました。
熱にうなされ、ゲホゲホと咳き込む魔王のくちから咳といっしょに飛び出たものをみて、お付きの魔物はあわてて部屋を飛び出しました。
布団の上に点々と散る、小さな青い花。
その色は、あの男の子の髪の色に良く似ていました。
ああ、苦しい。
寝ても覚めても苦しくて、窓から見えるお月さまの白く明るい光すらわずらわしく、魔王は寝返りを打ちました。
同じ空のした、同じ月をあの男の子も見ているのだろうか。
お城のベランダに立って月を見上げている男の子の姿が思い浮かびました。
会いたいなあ。
今すぐにでも飛んでいって、お前をさらってしまいたい。
幻の姿に腕を伸ばしますが、男の子はその腕をするりと交わして彼を待つお姫さまのところへ駆け出してしまいました。
振り返りもしない後ろ姿に彼の名前を叫ぼうとしましたが口から溢れる花びらの洪水で喉がつまり言葉になりません。
待ってくれ、待ってくれ。
げえげえと花を吐き出して苦しむ魔王と寝台を囲んでうろたえるばかりの魔物たち。
「すみません、ちょっとどいて。通してくださいな」
聞こえた声に魔物たちはさっと道を開けました。「来てくれないだろうか」と、みんなが待ち望んでいたひとが来たのです。
おれはきっと、もうだめだ。
ひとりでこのまま死んでいくのだろう。
うぅ、うぅとうなされる魔王の食いしばった唇に柔らかな何かが押しつけられました。
冷えきって凍えていた胸に暖かな火が灯り、喉を塞いでいた花びらたちが砂糖菓子のようにとろけて、すーっと消えていきます。
これはなんだろう。
物知りのお付きが手に入れてくれた薬だろうか。
ぼんやりと目を開けると、そこには。
「ああ、良かった」
夢にまで見た男の子が、にっこりと微笑んでいました。
「お前、どうしてここに」
「お付きの方から話をきいて急いでやってきましたが、お待たせしてしまいましたね」
もう苦しくはないですか、と濡れた布で魔王の汗を拭います。
「さっきのはなんだ、薬か」
「ええ、効いてくれて良かったです」
男の子の後ろから様子をみていた、お付きが古い書物を開いて言いました。
「魔王さまの病を治すには、恋しいものからの愛を込めた口づけが必要だとこの本に書いてありました」
男の子の頬が薔薇のように赤く染まります。
「もし駄目だったらどうしようと……こんなに怖かったのは生まれて初めてです」
では私はこれで、とサッと立ち上がった男の子の腕を魔王は掴んで言いました。
「……もう一度、口づけをくれないか」
掴まれた勢いで寝台に尻餅をついた男の子は魔王の腕に抱きしめられながら答えました。
「ええ、喜んで」
もう一度たがいのくちびるをくっつけあう二人の姿を隠すように立ちはだかって、お付きの魔物は他の魔物たちに宴の準備をするように言うのでした。
二人の他に誰もいなくなった部屋で魔王は男の子に問いました。
「どうして戻ってきた。姫と結婚するものとばかり思っていたぞ」
「私が? まさか」
かんらかんらと男の子は笑いました。
「森の奥深くの小さな家に住んでいる、得たいの知れない私では身分が違いすぎますよ」
「しかしお前は他に比類のない勇者ではないか」
「魔王を倒してもいない勇者なんて、なんの価値もないそうです」
人間は馬鹿だなあと魔王はあきれました。
「ああ、そんな顔をしないで。お城のかたは、王さまもお姫さまも私にたいへん良くしてくれて、ご褒美もたくさんいただいたのです。おいしいお菓子もありますから後で一緒に食べましょう」
「ならばなぜ、なかなか戻ってこなかったのだ」
お城には困っているひとがたくさんいて、ついつい長引いてしまったのだと言いながら、男の子は優しく魔王の髪をすきました。
魔王は腕に抱いていた男の子を寝台に横たえて、言いました。
「……抱くぞ」
「いいですよ」
二人はくちびるをくっつけるだけの口づけではなく、深くおたがいのなかを探りあう口づけを交わして身を重ね、そのまま夜を越えたのでした。
この出来事は夢のなかのことではありませんので、朝がきてもきっと隣に愛しいひとがいるのでしょう。
めでたし、めでたし。