一瞬眠っていた。自分の腕が力を失って滑り落ちた、その感覚でまた起きた。
のしかかる身体の、肩に自分の顎を埋める形で私は仰向けに横たわっている。イブキは私の上でうつ伏せになっている。……この私を敷き布団扱いとは、全く。相変わらずいい度胸をしていることだ。
いつも通り二人で飲んで、猫かなにかみたいにじゃれ合って絡み合って、やがて疲れてベッドに沈んで。
それから……どうしてこうなったんだったかしら。隣り合ってゴロゴロしながら他愛もないことを喋っていたのは、覚えているのだけど。またなにかふざけたんだっけ?うとうとしていたから曖昧だ。
それにしてもイブキは動かない、何か考え事でもしているのか、それとも寝ているのか。
「イブキ、重い」
肩を軽く叩くと、「ふすすー……」と寝息で返事が返ってきた。
後者だ。
「ふふ」
そのまま手を伸ばして、よく鞣した革みたいになめらかな皮膚越しに肩甲骨を撫でる。しなやかな筋肉を手のひらで感じながら、指を腰まで滑らせる。
まだ眠りが浅いらしい、イブキはくすぐったがってわずかに身を捩った。夢の中でなにか文句をもにゃもにゃ言いながら。
「はいはい、寝てていいわよ」
私はちょっと機嫌がよかった。二人で飲んだ酒がまだ残っていたし、結構発散できたし。さっき聞こえた寝息が子供みたいでかわい……面白かったし。
だからイブキを起こさないようにそっと、彼女の腰を抱え首を支えて、自分ごとゴロンと転がった。
そうやって仰向けにしたイブキの枕になってしまっている腕を持ち上げ、本物の枕を隙間に突っ込んで。腕を抜いたら完成だ。
位置がベッドの中央になってしまって私の領域がなくなってしまったけど、まあもうしばらくの間だけ許してやろう。着替えて一服つけたら容赦なくどかすけど。
浴衣を着て、ベッド横に放り投げてあったポーチから煙草入れを取り出す。
普段私は紙煙草を吸っている。どこでも手軽に吸えて便利だからだ。腰を据えて吸いたい時は煙管も使うけど、今夜はさっさと寝たいし、面倒だし。
一本咥えてマッチで火をつけ、運動後の一服を堪能した。
「ふいー……」
ゆったり吸って、吐く。格別。
満足感を覚えながらふと見下ろしたイブキは、口を少し開けて、手足を投げ出して眠っている。
それがあんまりにも無防備に見えて、ほんの少し悪戯心が芽生えた。
煙草を灰皿に押し付け、力の入っていない唇にちょっと指を沿わせる。……はむ、と唇が閉じた。
「うわ」
思わず引っこ抜くと、イブキはしかめ面をしてなにか言った。
「$%○〜……」
「なに」
「む……」
口が閉じて、少し尖る。ご不満らしい、理由はよくわからないけど。
「なんなのよ……」
自分がした意味不明な行動を棚に放り上げて文句をつけても答えは返らない。イブキの顔はまた脱力して、再び寝息が聞こえ始めた。
「はーあ」
頭を振って、切り替えようと煙草入れを手に取る。もう一本くらい吸ってもバチは当たらないはず。
しかし、ふとイブキの、幼い寝顔がまた目に入って。
また、意味不明なことを思いついた。
「えい」
ぷす、と新しい煙草を唇に刺すと、ぐっすりイブキちゃんはまた反応してしっかりそれを咥える。素直なこと。
「よーしよし、いい子ねー」
おもむろにカメラを取り出して、パシャリ。うん良い出来。
もう一枚角度を変えて撮ろうと思ううちに、イブキは呻いた。「ぶ」と吐き出された煙草がベッドから落ち床に転がる。
「あ、こら。もったいないじゃない」
「……にがい」
もちろんフィルター側を噛ませたし、火は付けていない。味なんか分からなかったはずだけど。匂いのことかしら。
イブキは薄く目を開けて、むっすりと抗議してくる。
「さっきのも苦かった」
「……さっきのは私の指だけど」
「にがかった」
駄々をこねるような口調だ。子供みたいな。
どうも、悪戯されたこと自体よりも、口に突っ込まれたものの味の方にご立腹らしい。寝ぼけているのもあるだろうけど、やはりおこちゃまである。
まあ、確かにそういえば、煙草を扱ったあとは指に妙な味が移ることがある。何というか、煙が皮膚に染みてるみたいな。
そんなことを考えて自分の指先を舐めてみて、……何代か前の元彼の指を思い出した。ちょっと私も気分が悪くなる。
口直しが欲しい。
「……はいはい、詫びはしてやるわよ」
ゴソゴソと取り出したるはとっておきの赤ワイン。以前味の系統が似たものをイブキも気に入っていたから、間違いはないはずだ。で、これはあれよりも数段美味しい。
栓を口で引き抜いて、その辺のコップにほんのちょっと注ぐ。欲を抑えて瓶をさっさとしまって、さあ飲……少なすぎない?これ。
コップの中にはほんの一口分ほどしかない。とっときだからとケチりすぎたが、もう一度瓶を取り出すのも面倒だ。また開けたら今度こそ誘惑に負けていっぱい注いでしまいかねないし。
「……チッ。まあいいわ、飲むがいいわよ」
詫びと自分で言った手前、イブキに飲まさないわけにもいかず。
私は苛立ちながらもコップをイブキに渡そうとしたが、
「……」
イブキはまだ寝惚けている。栗色の瞳に猜疑心と苛立ちを宿し、身体を固めて起き上がらずにいる。
巣穴の奥でじっとうずくまる小動物のようだった。先程の煙草の苦味を警戒しているのかもしれない。
「……なに。いらないなら私がこれ、」
飲むわよ、と言いかけて、ふと思いついた。私も味を楽しみつつ詫びを通す方法を。
「ふふっ……」
私天才かも。
自画自賛しながらコップの中身を全部口に含んで、ベッドに乗り上げる。まだむくれているイブキの、その膨らんだ頬っぺたを掴んで固定する。
口中で広がるふくよかな味わいにうっとりとなりながらも、鋼の意思でイブキの唇に吸い付いた。吸った拍子に飲み込みそうになる。やばい。鋼の意思。
「んんー!」
本当に飲んでしまう前にさっさと移したいのに、強情なおこちゃまは口を開けない。鼻で唸って威嚇しても開けない。なによ。
しょうがないので、液体を溢さないようにものすごく気をつけながら舌だけ出して、イブキの唇の隙間に捩じ込んだ。これでたぶん、ちょっとは味がわかるはず。
「……んっ?」
目論見通り、味を感じたらしい。途端に眼前の栗色が輝いて、突然がばりと起き上がった。
「なにこれ!?」
驚いて飲み込まなかった私を誰か褒めてほしい。偉すぎる。鋼の意思。
「んー」
早よせい、と顎で示すと、イブキは嬉々として私の唇に食らいつく。餌をねだる雛鳥みたいに。
「んふ」
先程とは打って変わり積極的に吸い付くイブキに、本当に少しずつ少しずつ、ワインを送り込む。甘い甘い、極上の餌を。
「んん!」
やがて焦れて私の中に入り込み暴れ回る舌に全部持っていかれて、敢え無くお終い。
しばらくちゅうちゅうと味を探し回っていたイブキだったが、やがて諦めて顔を離した。
「おかわり……」
「ないわよ。さっきので看板」
「むー」
この気に入りようである。
先に瓶をしまっておいて良かった、下手をすると飲み尽くされかねない。
しばらく残滓に酔っていたイブキだったが、ふと私を見て、呟いた。
「あ、まだあった」
「ん?」
しょぼくれていた顔が俄かに輝き、それを見る間に私は捕えられて。
「うわ、なに」
ベロ、と頬を舐められる。頬というか、口の横。
どうも、気付かないうちに数滴ほど溢していたらしい。
そんなところまで舐めとって尚、イブキは物足りなそうだった。気持ちはわかる。私だって初めて飲んだ時柄にもなくはしゃいじゃったし。飲ませたのは一口分だ、味わうには全く足りないだろう。
「……そんなに気に入ったの」
「うん!」
それこそ子供のような、純粋な期待。寝起きにも関わらず、先程嫌がらせのような悪戯をされたにも関わらず。
今から何をされるかもまだ知らずに。
「私もまだ足りないのよね」
「だよね、ホントに美味しかったもん。ねえどこで買っ」
どさり。ぱちくり。
私に押し倒されたイブキは、瞬きしながら見上げる。
しかしすぐに状況と、私の欲求を把握して、ため息をついた。
「……えー、またぁ?」
生意気である。
「やかましいわね。またあのワインが飲みたきゃ黙って喘いでなさい」
「は? 黙って喘ぐって無理じゃない?」
「やかましい」
さっさとキスして黙らせる。
さっきイブキにされたように、向こうの口の中を全部舐めとる勢いで舌を使って。
それでちょっとだけ気が済んで、息継ぎに離れたら。
「……まだちょっと味したあ」
恍惚と、栗色の瞳が笑った。