24時間と8時間 ベッドの中、胸元にぴったりと寄り添ってその心音に耳を澄ます。
布団に潜り込んでいるおかげで静かな寝室に響いているだろう時計の秒針の音や外の音はシャットアウトされていて、まるでアタシたち以外が世界から消えてしまったような、そんな錯覚を起こしそうになる。
「ねぇ」
「ん?」
あまりの心地よさについつい微睡んでいるとそっと布団が捲られ、不満気なアクアマリンが覗き込んできた。
「寝ないでよ?」
「ん〜」
「ちょっとぉ?」
「大丈夫よォ」
「全然大丈夫そうじゃないから言ってるんだけど?」
布団をかけたままだと本格的に寝てしまうと思われたのか剥ぎ取られてしまい、まだまだ冷たい夜の空気に身震いする。
責任を取ってもらおうと腕を引っ掴んで毛布のように泉ちゃんに包まると「動けないんだけど」と文句を言われた。それを聞こえないふりでやり過ごそうとしたら、なぜかくすぐり合いに発展してしまって、二人して涙目になるほど笑い転げるハメになった。
しばらく戯れあっていると泉ちゃんのスマホから聞き慣れたアラーム音が、そしてアタシのスマホからはポコポコと複数のメッセージ受信を知らせる通知音が響いてきた。
確認しようと伸ばした手を捉えられて、そのままギュッと強く抱きしめられた。そうかと思えば解放されて両頬をそっと包まれる。
さっきよりも至近距離でアクアマリンがアタシをとらえた。そして数回パチりと瞬くと、甘い特別なアタシだけの青になった。
「誕生日おめでとう。なるくん」
「ありがと、泉ちゃん」
髪、額、鼻、首筋、そして唇。次々にキスが落とされて再びその腕の中に閉じ込められた。
そのままトントンとリズムよく背中を叩かれ、急に瞼が重くなる。
「おやすみ、なるくん」
返事ができそうにないから、代わりにキュッとパジャマの胸元を握りしめた。
翌朝、少し掠れた声に名前を呼ばれて目を覚ませば、「おはよう」と共に口付けが降ってきた。
そのまま唇を割って侵入を試みようとする舌先を恋しく思いながらも、逃げるように舌を引っ込めてリップ音を立て離れる。
「おはよ、泉ちゃん」
拗ねたような顔に小さく笑って、今度はアタシから額へ口付けを落とした。
「朝ごはん食べ損ねちゃいそうなんだもん」
「ちょっとだけ」
「だめ。今の泉ちゃん絶対ちょっとじゃ終われないって顔してるし」
「それってどんな顔……」
「鏡いる?」
「いらない」
珍しく拗ねていることを隠さないその態度が可愛くてつい許してしまいそうになるけれど、このままだと本当に間に合わなくなってしまう。
「もうちょっと遅い便でも良かったのに」
「それじゃあダメなの」
「何か予定入れてるの?」
「いや、別に、そうじゃないけど……」
「ふ〜ん」
「ほら、早く用意して」
「泉ちゃんもね」
二人して慌ただしく寝室と洗面所を行ったり来たり。
大体の準備を終えたところで泉ちゃんに手を引かれ、ベッドの端へ向かい合って腰掛けた。
そこでお互いの手首にブレスレットを付け合う。
これはいつかの誕生日に「小さいアタシ」から贈ったものとそっくりだけど、少しだけ違う。
あの時アタシの色をくれないのかと拗ねた泉ちゃんの希望通り、今はお互いの手首に相手の瞳と同じ色が輝いている。
満足そうにブレスレットを眺める泉ちゃんの前でターンを決めてみせる。満足そうに笑った泉ちゃんも立ち上がって、お互いの全身を確認し合ってから玄関へと荷物を運んだ。
「忘れ物ない?」
「うん」
「じゃあ、行こっか」
「「いってきます」」
家に挨拶をするようになったのは、ここに泉ちゃんと引っ越してきてから。誰もいない部屋にしても返る声がないなら意味がないと言ったアタシに、「ここがなるくんの帰る場所だって刷り込んどくの」と泉ちゃんは得意気に笑った。
二人分のキャリーケースと靴を履いたアタシたちが並ぶと玄関はぎゅう詰めでこんなにも狭かったのかと驚いた。
なんとかそこを脱出して、昨日から借りておいたレンタカーにキャリーケースを押し込んだら、とりあえず車を置いて朝食を食べるために街を歩く。
近くにあるお気に入りのカフェで朝食を済ませたら、思った以上に時間が押していて、慌てて車に乗り込んで空港へ走り出した。
空港の駐車場でレンタカーを乗り捨てて、なんとか予定時刻にチェックインに済ませラウンジで一休み。
今回はせっかく二人での旅行なのだからと奮発してファーストクラスの席を取った。と言っても、二人ともかなりの回数国内外を行き来していたせいでマイルが貯まっていたからというのが本音なのだけど。
ついさっき朝ごはんを食べたばかりで特にお腹も空いていなかったから、コーヒー片手に外を飛び交う飛行機の様子を眺める。
「誕生日のほとんど飛行機の中で本当に良かったの?」
こちらを見ずに黒い水面に溶かすように呟いた声は心配そうに揺れていた。
何度も言ったはずなのにもう忘れちゃったのかしら。
「泉ちゃんボケちゃったの?」
そう言うと、はぁ?! と大きな声を出すから慌ててその口を手で塞ぐ。
先ほどの発言に怒ったのか、口を塞がれている状況が気に食わないのか、睨みつけてくるけれど全然怖くない。むしろ可愛い。
「泉ちゃんと一緒だからいいの」
今回の旅行を決めた時から何度も何度も言っているのに。
「それに、そのためのファーストクラスでしょ?」
「一言余計だよ。俺と一緒ならエコノミーだって良いでしょ」
「エコノミーに狭いとかなんとか文句言うのは泉ちゃんじゃない」
「実際狭いんだから仕方ないでしょ。それに知らないやつと十時間以上隣とか無理だし」
「ビジネスクラスに乗れる仕事してて良かったわよね」
「だねぇ」
そんな話をしていれば搭乗時刻になって、初めて乗るファーストクラスにはしゃいでいればいつのまにか空の上だった。
その後もいつも通りたわいのない話をして、到着国に合わせて仮眠を取ったり食事をしたりしていれば、案外18時間なんてすぐに過ぎてしまうもので、気づけば着陸体制に入るというアナウンスが流れていた。
飛行機を降りて荷物を受け取り、タクシーに乗る。入国審査でたまたまアタシを知っている人が担当になって、日本語で祝ってくれたことを泉ちゃんに話せば、良かったじゃんと頭を撫でられて、なぜかアタシ以上に嬉しそうな顔に泣きそうになった。
「俺より有名だなんて生意気だけど」
そんな照れ隠しでもありライバルとしての言葉でもある台詞は小さかったけれど、夜景を反射する窓で跳ね返ってしっかりとアタシの耳に届いた。
ホテルに着いて落ち着いた頃、ようやくスマホを確認すればもう日本では日付が変わっていて、snsには大勢の人からお祝いの言葉が届いていた。
それにまとめてありがとうのメッセージをアップして、心の中で今度ちゃんと読むからねと謝っておく。
Knightsのグループトークには3人から楽しんで来てという内容と、お土産を期待する内容のメッセージが届いていた。
それに返信を打とうとしたところへ、ちょうど部屋の呼び鈴が鳴った。
「なるく〜ん、ちょっと出てくれる?」
なにやら手が離せなさそうな泉ちゃんの声に、何かしら? と思いながらチェーンロックを外しドアを開けた。
「…………ッ!!!!」
目の前にあったのは、ボーイの顔ではなく大きな黄色い花束だった。
「どお? 気に入った?」
すぐ後ろで泉ちゃんの声がして腰に片腕が回される。驚きのあまり声が出なくて、とにかく首を縦に振ることでアタシの気持ちを伝えた。
「良かった」
そう言って笑い声を溢した泉ちゃんが、ボーイから花束を受け取り、さらにその後ろにもう一人いるボーイに中へ入るように促す。
運ばれてきたのは、華やかなバースデーケーキのプレートだった。
時刻は現地時間で22時を回っている。
「日本じゃ誕生日は終わってるけど、こっちはまだ3月3日だからねぇ。特別」
思わず他に人がいるのも構わず泉ちゃんに抱きつけば、ちゃんと受け止めてくれた。
そのまま肩にぐりぐりと額を押し付けていれば、頭上で泉ちゃんがボーイと何かを話している。しばらくするとボーイたちの気配が消えて、また二人きりになった。
「ねぇ、なるくん。顔見せてよ」
「だめ」
「なんで」
「すっごくはずかしいから」
「なるくんの恥ずかしいとこなんて全部知ってるし、今更じゃない?」
「そうじゃなくて!」
勢いで顔を上げてしまった。
目の前には甘ったるい色のアクアマリン。今日はもう何度この目に見つめられたか分からない。
ぼぉっと見惚れていると、羽が当たるように軽いキスが落とされた。お返しにアタシからも唇を甘噛みするようにキスを贈れば、後頭部を捉えられて今朝お預けした分を取り戻すかのように深く口付けられた。
二人して息を荒げてソファに沈み込めば、ずっと抱えられていた花束がカサカサと音を立てた。
「ねぇこれ、受け取ってくれるよね」
自信満々に差し出されたそれは、まるで客席を埋め尽くすペンライトのようで、つい先日行われたバースデーイベントを思い出させた。
「ありがと、泉ちゃん」
受け取って抱きしめれば、ほのかに香っていた花の香りが一気に肺を満たしていった。
「いい匂い」
「良かった。……じゃあ、もう一つ受け取って貰わないとねぇ」
アタシに花束を渡して手の空いた泉ちゃんは、今度はテーブルの上にセッティングされたケーキへ手を伸ばした。
「泉ちゃん、ストップ!」
「え、なに」
慌てて止めて、テーブルの空いたスペースに花束を丁寧に置く。
自分のスマホが見当たらなかったから、たまたま目に入った泉ちゃんのスマホで数枚写真を撮った。
「あとで送ってね♪」
「はいはい」
スマホを返してフォークを手に取った……はずだったのにいつのまにか泉ちゃんの手に奪われていて、一口分とは言えない量のケーキが乗っていた。
「はい、あ〜ん」
あら、とってもいい笑顔……じゃなくて。
「泉ちゃん、それ一口じゃ無理だと思うんだけど……」
「大丈夫でしょ。ほら早く、あ〜ん」
仕方なく口を開ければ案の定入りきらなくて口の端にクリームがたっぷり付いてしまった。
どうしてくれるのよ、と口をもぐもぐ動かしながら目だけで抗議すればさらに笑みを深めた泉ちゃんがグッと顔を寄せてきてペロリと溢れたクリームを舐めとった。
絶対にこれが狙いだったでしょ、と今度こそ声をあげて抗議しようとしたら泉ちゃんはそのままアタシの口を食べ始めてしまった。
「あまっ」
当たり前のことを言う泉ちゃんに今度はアタシが、とフォークをひったくりたっぷりとクリームを中心に掬い上げる。
「はい、泉ちゃんも。あ〜ん」
「ええ……もう俺お腹いっぱいなんだけど」
「今日はアタシの誕生日なのよ?」
「それ狡くない?」
「ほ〜ら、泉ちゃん。あ〜ん」
渋々開けられた口にフォークをそっと入れ、溢れたクリームをペロリと舐めとり、口の端にチュッと口づけるだけで離れた。
その後もフォークを奪い合い唇を奪い合い、夜遅いのも忘れて1人分とはいえそれなりの大きさがあったケーキプレートをいつのまにか平らげてしまっていた。
「……明日は歩いて観光だねぇ」
「それより今から運動するっていうのはどう?」
「食べてすぐは逆効果だよ」
「いいじゃない。ゆっくりお風呂に入ってからでも」
ね、泉ちゃん。お願い……。
なんだかんだ、泉ちゃんはアタシのお願いに弱い。加えて今日はアタシの誕生日だから、きっとこのお願いも仕方ないと言いつつ、甘く笑って受け入れてもらえるだろう。
「はいはい。分かったよ」
そこで目を閉じた泉ちゃんがふっと息をついた。再び目を開けた時の目を見てアタシはさっき言ったワガママをすこしだけ後悔した。
だって、この目をした泉ちゃんは、今朝にも見て思わず待てを言い渡したところだから。
「どろっどろに甘やかしてあげるから、覚悟しときなよねぇ」
今までで一番長くて特別な誕生日はまだもう少し終わらない。