「 ……オッケー、じゃ、今回は五万ドルで。……ああ、勿論君のところの商品は信用してるよ。」
メイドの差し出すローブに気だるげに袖を通しながら、軽やかな口調で応えを返す。
濡れた肌に、さらりとしたコットンの感触が心地いい。
「 ……しっかし、色々面倒な世の中になったよねぇ。おちおち食事も楽しめやしない。
ああ、そうだ。輸血用の血液パック、今月分の納品お願いね♬」
『 ───………… 』
「 え?ウチの子?げーんき元気♬
見るたびおっきくなってて、子供の成長って早いよねぇ、びっくりしちゃう♪
え?パーティ?……んー、まだまだウチの子には早いかな♬
うん、また機会があればね♪」
「 それじゃ、また♪」
電話を切ったタイミングで、つ、とメイドが一歩側に寄って。
「 マスター・ゲン。……お客様です」
その言葉と同時に、ザバリと大きな水音を立てて何かが水中から飛び出してきた。
……速い。
寸の間も置かず、ずぶりと腹部に重い衝撃があって。視線を落とすと、鋭い剣先が肋骨の間を縫うように突き出していた。
がしゃんと音を立てて、手の中の携帯がタイルの床に叩きつけられる。
わずかに動かした視線の先に見知った姿を認めて、あだめいたくちびるを歪めた。
「 ハァイ、チェリーちゃん♬」
火花のような、けれど理知的で怜悧な柘榴石の双眸が、冷ややかに向けられて。
そのままニヤリと不敵な笑みを刻む。
「 ……俺の名前は千空だっつってんだろ。長く生きすぎてボケたかよじーさん」
毛先だけほんのり緑色がかった長いクリームブロンドをうるさげに後ろで束ね、黒いカソックを纏った青年。……いや、まだ少年と言える年頃だろうか。千空と名乗った少年の目の前で、血塗れの肢体が四散するように闇に溶け、蝙蝠の群れとなってバサバサと飛び去っていく。
そして、飛び散った血から、ぞろりと。
美しい少女のヒトガタが数体、這い出してくる。その爪先が地に着いた瞬間、千空は十字架を模した剣を大きく薙ぎ払った。
一方の腕を斬り落とし、返す刀で剣に繋いだ電極を絡ませて高圧の電流を流し込む。
「 ……Amen.
屍人は大人しく土に還りやがれ。」
肉の焦げる匂いはしない。鉄が燃え、酸化した時の独特の匂い。
……血は塵へ。
一言そう呟いて、背後に手榴弾を投げた。
ドオォォン、という轟音と共に、先程までプールだったモノが瓦礫に埋まっていく。
「 マスター・ゲン、一階リビングと屋外プールが大破しました」
淡々としたメイドの声に、へらりとわらう。
「 いーよいーよ♬……どうせ近々リフォームしようと思ってたし。
うーん、やっぱちょっと見ないとすぐ成長しちゃうんだなあ♪
まぁた一段と強くなっちゃって」
そこで、声をひとつ落として。今度は剣呑な笑みを口元に刷く。
「 コハクちゃん、ツカサちゃん、……手加減なしで遊んであげて?」
名を呼ぶと同時に、爆撃で四散したメイドたちのボディが復元を始める。
「 冗談。不死者(ノスフェラトゥ)相手に消耗戦なんざ非合理の極みだろ」
そう嘯くと、左腕を覆うプロテクターからワイヤーフックを射出して。
そのまま痩躯を宙に舞わせた。
「 じゃあN氏の口座に五万ドル振り込んでおいてね♪……あと今晩の会食の予定はキャンセルで♬」
「 かしこまりました」
「 ……さて、と」
一礼してメイドが退がるが早いか、次の刹那には目の前に剣先が突き付けられていた。
「 お待たせ、チェリーちゃん♬」
ゲンの言葉にそのまま無言で剣を振り抜く千空の全身を、無数の杭が貫く。
地に這う千空のそばに膝をついて、ゲンは物わかりの悪い子供を諭すようにわらった。
「 ……あーあ、ダメでしょ?
俺を倒す前に気を抜いたら。彼女たちは俺の従僕(サーバント)なんだから」
そう言って、そっと倒れ伏した千空の手を取る。
「 ロケットハンドは初めて見たけど、また新しいの作ったんだ?
……相変わらず、千空ちゃんの科学力はゴイスーだねぇ」
彼は昔から科学と発明と研究が大好きな少年だったから、やや物騒な方向に成長してしまったが、そんなところは変わらない。
なんだかほのぼのしてしまったところで。
「 あ"ぁ。……それと、もうひとつ」
そこで、一旦言葉を切って。
ぐい、とゲンを引き寄せた。
「 ココにもな」
腹部を貫く棘だらけの鉄棒に、ゲンは流石に苦笑をうかべる。
「 ククク……テメーのメイドどもを参考にさせてもらったぜ?銀と羊膜を練り込んだ特殊金属で出来た釘だ。……流石に逃げられねぇだろ?」
どっちが悪役だかわからないような顔で、千空はそう言ってシニカルな笑みを返した。
「 へぇ〜?……じゃあ鋼鉄の処女ならぬ鋼鉄の童貞ってわけね?
……千空ちゃんのエッチ♪
でもどうせナカを掻き回されるなら、千空ちゃんのカタくてアツいのがいいなあ♬」
あからさまに引いた視線を向けられて、冗談よ♬とゲンはまたわらう。
千空の側は失血しすぎたらしく、先程より顔色が悪い。それを見抜いたように、ゲンは殊更に明るい笑顔を向けた。
「 ……それで?
二週間ぶりの帰宅の理由はなあに?
お仕事のヴァンパイヤハント?」
一拍置いて。
床を染める千空の血を、指で掬うと首筋に塗りつけた。
「 ……それとも、ゴハンの時間?」
ごくん、と千空の喉が鳴る。
そのまま、覆いかぶさるようにして。
千空はしろい首筋に顔を埋めた。
吸血鬼を養い親に持つ、神父、かつヴァンパイヤハンター。
なんとも奇妙な関係性だが、職責上、一戦交えてからでなければ素直に食事もできない生真面目さが、たまらなくいとおしかった。
「 ……おかえり、ボウヤ」
……ささやくようなやさしい声は、そのままあたりを覆う宵闇にとけた。
※ ※
……むかし、むかし。
あるところに、ひとりの道化師の男がおりました。男はたいへん手先が器用で、また、ひとのこころの機微に敏く、物知りであったため、男の周りには笑顔が絶えませんでした。
もっと、たくさんのひとに笑ってほしい。
もっとたくさんのひとを、笑顔にしたい。
そうして国じゅうに、世界中に笑顔が溢れれば、いくさなどというかなしいものもなくなるかもしれない。
そう思った男は、たくさんのひとを笑顔にすべく、故郷を旅立ちました。
行く先々で、男は笑顔の種を蒔いて歩き、男が通ったあとには、笑顔の花が咲き乱れました。
男の評判はたちまち都にまで届き、男はそのまま王宮に仕えることに。
長年のいくさに疲れ果て、笑い方すら忘れかけていた人々は、男の見せる、夢のような舞台に魅了され、王宮にはかつてのような笑顔が戻ったのでした。
数年が経ち、すっかり出世した男は、久しぶりに故郷の村へと足を向けました。
この成功を、大好きな友人や子供たち、大切な彼の家族に報告したかったのです。
あれから、村はどうなったろう。
いくさがなくなり、みんな楽しく、ささやかでもしあわせに暮らせているだろうか。
かつて自分の芸を喜んでくれた子供たちは、ひょっとしてもう結婚して、彼ら自身が親になっているかもしれない。
そんなことを想像しながら、足取りも軽く。
男は生まれ育った村へと向かいました。
……しかし。
ようやく故郷の村へ戻った男を待っていたのは、ささやかな幸せではなく、深い絶望でした。かつての平和な村は見る影もなく。
無惨な焼け野原となっていたのです。
誰か。だれか。だれか。
誰か生きている人はいないのか。
両親は。きょうだいは。
近くの家の子供たちは。
よく行く店の元気なおかみさんと、気の弱いご主人は。
近くで牛を飼っている、牧場のおじさんは。
いったいどこに消えてしまったのか。
焼けただれ、崩れ落ちた家々を一軒一軒周りながら、男は必死に誰かいないかを探し続けました。
……からん、と石の崩れるような音がして。
振り返ると、崩れた壁の隙間から、ちいさな手が覗いていました。
慌てて駆け寄ると、それはどうやら近所に住む、ちいさな女の子のもののようでした。
思い当たる名前をひとつずつ。
よく聞こえるように呼びかけると、そのうちのひとつに少女が反応を返しました。
息も絶え絶えな少女を助け起こして。
話を聞くと、隣の国で小競り合いがあり、その影響で、国境沿いにあるこの村にも戦火が及んだのだと言うことでした。
訥々と、その折のおそろしかった記憶を告げながら、少女はぽつりと。
『 でも、おにいちゃんだけでも、無事でよかった。』
また、たのしいお話をたくさん聞かせてね。
そう言って、力なく笑顔を向けてくれました。腕の中にかかる重みに、男は絶叫しました。……少女は、その言葉を最後に事切れていたのです。
どうして。どうして。どうして。
どうしてこの子がこんな目に遭わなければならないのか。
この世に神様はいないのか。
お願いだ。誰でもいい。誰でもいいから、この少女を、村の人たちを助けてほしい。
そのためなら、この命を、魂を差し出したっていい。だから。だからどうか。
「 よかろう」
地の底から響くような声がして、突然、あたりがまばゆい光に包まれます。
眩しさに目を細め、次に目を開けたときには、村はかつての姿に戻っていました。
男の願いは聞き届けられたのです。
ほっと息をついた男の耳に、先程の声が語りかけてきました。
「 願いは叶えられた。……ただし、君の魂と引換えだ。これから君は、私の道化として、飽きるまで私を楽しませるのだ」
ひとつ、愛してやまない故郷を。
ふたつ、愛してやまない家族を。
みっつ、最愛のひとを。
それらすべてを、男から奪うと。
その声はおごそかに告げました。
……故郷も家族も蘇ったと言うのに、どういう意味なのだろう。
その答えはすぐにわかりました。
故郷の村の人たちは、誰一人。
そう、男の家族さえも、男のことを覚えていなかったのです。
そうして、死なない身体を持ち、他人の生命を……血を糧とするおぞましき化け物として、男は永劫の闇をさまようことになったのでした。
※ ※
……そんなお伽話を、どこかで聞いた気がする。あれはどこでだったか。
滅多なことでは『忘れる』ということがない自分の記憶が曖昧なのは、珍しいことだった。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぱしゃん。
薄暗い、静謐な室内に水音が響く。
木桶の水を手のひらで掬って、もう一方の手でしろい踵を包み込むようにしながら、彼は爪の先まで整った足を丁寧に洗って。
その爪先にくちづけた。