ココロノオト ……昔から、機械いじりが好きだった。
日用品でも家電でも、壊れて動かなくなったものは何でも分解していた。
その構造が、仕組みが知りたかった。
どんな素材が、どう噛み合って、どんな理屈で動いているのか。
興味が尽きなかった。
中でも惹かれたのが、細緻で美しく、正確に時を刻む機械……時計だった。
おそらく、一番古い記憶では幼少期。
父の壊れた腕時計を修理に行ったあの日に。
いくつもの細かな部品を丁寧に組み上げて、それらがきちんと噛み合って初めて動くその美に、ただ魅せられた。
時計をはじめとする機械には、ひとつひとつの部品すべてに役割があって。
ひとつでも欠ければ歯車はうまく噛み合わない。それはひとつの完成された世界だった。
彼は時計の魅力にのめりこんだ。
最初に父の古い腕時計を譲り受けて、それを繰り返し何度も分解し、組み立て直し、その構造を理解していった。
技術と言うのは、常に地道なトライアンドエラーの繰り返しで生まれ、身につくものだ。
そうして時を積み上げ、気がつくと彼は一流ブランドのエースと呼ばれる、いっぱしの時計技師になっていた。
大きな会社の専属になれば、より複雑な、より美しい構造の時計に触れることができる。
彼の人生は、まさに順風満帆となるはずだった。……その時を狂わせたのが、突如全人類を襲った石化現象だった。
けれど、まだ彼は運が良かった。
彼が目覚めた頃には衣食住に困らない程度には文明が復興しており、目覚めるなり、最高に知的好奇心を刺激する素材に出会えたからだ。石化装置・メデューサ。
人を石に変えるギリシャ神話の女神の名を冠する、未知の機械。
それが3700年前の全人類石化の原因だったこと、起動条件、それらの情報を得て、彼は寝食も忘れてこの女神に挑んだ。
その結果、動力源がダイヤモンドであることを突き止め、更に再起動に成功した。
けれど、すぐに電池残量が尽きてしまい、今度はこのミッションを持ちかけてきた連中と共同で、新しい電池の開発に取り組むことになった。……それに際して、連中── 科学王国側の技術者の存在を知り、その技量に驚嘆した。この何もない石の世界で。
現代人の知識をベースに正確にそれを作り上げる職人の、研鑽と技術には賞賛しかなかった。いつか、一緒に酒を酌み交わしたいと思っていた。
……そうして、その願いはつい先ごろ叶ったのだった。
矮躯ながら強靭な肉体と、それにふさわしい気力と胆力、そして尽きることない知識欲を持つ、さながら御伽噺のドワーフのような老大人、カセキ。初めて会ったと言うのに、まるで10年来の知己を得たかのようだった。
豊富な知識と確かな経験値を尊敬していたし、その人格に強い親近感を覚えた。
……だから。
これは決して不自然な行為ではないのだ。
日頃の慰労と、敬意と、そして友誼を伝えるためのもので、決してやましい気持ちはないのだと何度も自分に言い聞かせてから、贈り物を手にカセキの部屋を訪ねた。
「 おや?どうしたんじゃ、ジョエルちゃん?」
夜分に訪ねてくるとは珍しいの。
そう言いながら迎え入れ、席を勧めてくれるカセキに、ひとつの包みを差し出す。
「 これを、受け取ってくれカセキ」
「 えっ、ワシに?」
小首を傾げながら受け取って、カセキは丁寧にラッピングを解いた。
工具入れを模した缶の中に、工具型のチョコレート。あまりに精巧に出来ているため、手に取って何度か匂いを嗅いでから、ようやくチョコレートだと気づいたようだった。
「 今日は、バレンタインって言って…… 」
「 あっ!知っとるよ!日頃世話になっとる相手や、好いとる相手にちょこれいとを渡す日じゃろ?」
すいとる……吸い取る?いや、文脈からしてつまり。……そこに思い至って、どくんと心臓が跳ね上がるのを感じた。
「 いやその……日頃の…… 」
「 うん?あっ、あれじゃろ?友ちょことか言うやつじゃろ?」
そう言ってから、今度はカセキの側がハッとした顔をする。
「 ワシ、ジョエルちゃんよりだいぶ歳上だけど、ジョエルちゃんの友達でいいの?」
「 んなの、関係ねぇよ!アンタはスゲー職人で、その……モノづくり仲間、だろ……?」
何だこれ。女子に囲まれてる時より、よっぽど緊張してる。
……ああ、こんなふうに改まって好意を持った相手に感情を伝えるのは、初めてだからかもしれない。
その言葉にカセキは、うれしいのう、と満面の笑みを浮かべた。
「 せっかくだし、ジョエルちゃんも一緒にどうかの?」
そう誘われて、否やがあるわけもなく。
互いに示し合わせたようにドライバー型のチョコを手に取ると、カツンと柄をぶつけて乾杯の真似事をした。
「 このチョコの楽しみ方は、実はこれだけじゃないんだぜ?」
そう言って、サイドポーチから牛乳瓶を取り出して、鍋に注いで火にかける。
十分熱が通ったところで、マグカップに注いで、片方をカセキに差し出した。
「 チョコをそん中に入れて、溶かして飲むんだ」
「 オホーッ!そんな楽しみ方があるのね!」
ワクワクと目を輝かせながら、ちゃぷんとチョコを沈めると、ミルクの表面が王冠のように波打つ。
それにならって、手元のカップにチョコレートを沈めてかき混ぜた。
ふんわりと甘い香りが部屋中に漂って。
脳髄を溶かすような甘味に目を細めるカセキを見ながら、カップに口をつけた。
ほんのりほろ苦くてあまい。
その感情の名前を、彼はまだ知らない。