眠れる森の王子様 ……一時間早く寝る俺と、一時間遅く起きる君。
その一時間だけは、いつでも忙しい君を独り占めできて。
誰か来たとしても、それを理由に退けることができる。
なんだか君の眠りを守っているようで。
ちょっぴり、優越感を感じていたりもした。
だと言うのに、最近。
千空ちゃんは土曜日の朝にだけ、ひどく早起きになってしまった。
そのために、金曜日の夜は早く寝てしまうこともあるくらいだ。
仕事の関係なのか、用事が済むと二度寝はしているようだったが、せっかくの週末なのに。
パートナーを独り占めできる時間が減ってしまって、彼は大いにご不満だった。
……そりゃあ、千空ちゃんにとっちゃ、仕事も趣味と実益だけども。
仕事なんかに千空ちゃんを取られるなんて。
自分でも馬鹿なこと言ってるなあ、と思考のバグは自覚しているけれど。
でも。
早朝と言えども千空が起き出して来るのは午前三時から四時くらいだ。
と言うことは、海外からの通信なのだろう。
海外にも、千空に秋波を送っている相手はいくらでもいる。ひょっとして、そう言う手合いだったりしないだろうか。
恋愛脳は非効率、などと言いながらでも千空はあれで律儀な男だ。返事くらいは返すだろう。それで親しくなって……とか。
千空の側は至極フラットに接していても、脈アリだと迫ってくることがないとも限らない。ああもう!
メンタリストだと言うのに、自らのメンタルがコントロールできない。こんなことは初めてだ。
ひとつ息をついて、思考のモヤを頭から追い出す。そのまま、足音を忍ばせて寝室の扉をくぐった。
ベッドでは、昨日も多忙だったのであろう千空がぐっすり眠っていて。
あまりに気持ちよく眠っているものだから、ついちょっかいをかけてしまう。
「千空ちゃんのばか……」
そう言って、ほっぺたを指でつついてやると、ふいにその手を取られた。
千空はふわぁ、と大きくあくびをしながら、まだ寝ぼけ眼でこちらを見ている。
「……なんだ、こないだ一緒に出かけられなかったの、まだ怒ってんのか……?」
「怒ってないもん」
「……悪かったよ。週末、キッチリ埋め合わせすっから……」
グイッと腕を引かれて、慣性で千空の上に倒れ込む。ごめんな、と言う言葉と同時に、くちびるが重なった。
「せんくうちゃん……」
蕩けそうになったところで、千空の腕から力が抜ける。千空はゲンを抱え込んだまま、また眠ってしまったようだった。
疲れてるんだなあ、と労わるように千空のあたまを撫でる。……しかし、中途半端に煽られてしまったこちらはどうしたものか。
ほんの少し恨めしそうな視線を恋人に向けて、ゲンはそのまま千空の隣に潜り込んだ。
……千空ちゃん、あったかいなあ。
まだ釈然としない部分はあったが、分かち合う温度がここちよくて。
ゲンはそのまま目を閉じた。
数日後、その謎は解けた。
その日は仕事を早く切り上げられたので、手土産にピザを買って帰路に就いた。
玄関を開けて居間に向かうと、居間の大画面薄型ハイビジョンの前に千空が陣取っている。珍しいこともあるものだ。
「ただいま〜♬ゴイスーそそコレしてんじゃん、千空ちゃん♪何か面白い番組でもやってんの?」
映し出されているのは見覚えのある異国の風景。……アメリカだ。
何かの中継なのだろうか。
「おう!……人類が半世紀ぶりに月へ有人探査に行くプロジェクトがあってな。春からNASAで具体的な準備が進んでたんだが、その試運転初号機の打ち上げが、今日だ」
「えっ!ええっと、確か人類が初めて月に行ったのって」
「協定世界時で1969年7月24日16時50分35秒な。……今回の計画は、それから半世紀が経ったのを契機に、月面開発までを駆けあがろうっつうプロジェクトだ。月を足がかりに、火星、木星……まだ見ぬ小惑星まで手を伸ばす、本格的な宇宙クラフトの始まりだぜ。ゆくゆくは、惑星のテラフォーミングまで視野に入れてんだろ。
……唆るじゃねぇか」
目をキラキラさせて語る千空の話は、残念ながら半分くらいしか理解できなかったが、それでも彼が今回の打ち上げに大きな期待を寄せているのはわかった。
手際よくピザを取り分け、コーラを用意して、千空の隣に腰を下ろす。
「楽しみね♬」
「あ」
ふと、そこで気になることに気づき、千空に問いかけた。
「あれ?春からって……ひょっとして、ここのところ毎週千空ちゃんが早起きだったのって……」
「?ああ、NASAから最新情報のメルマガが、毎週金曜日の夕方に配信されるんだよ。アメリカとは時差が13時間だから、……朝4時くらいか。悪ぃ、起こしたか?」
千空らしすぎる理由に、なあんだと脱力する。……って、やっぱり科学に二人の時間を削られたことにはなるけど、まあ科学ちゃんならしょーがないよねぇ。
ただ、それはそれとして。
「千空ちゃんのばーかばーか!」
恥ずかし紛れに謂れのない罵倒をされるくらいは大目に見てほしい。だって本当に心配したんだから。
千空は戸惑いながらも、何か腑に落ちたらしく、ゲンを抱きしめると、なだめるようにキスをした。
「よくわかんねぇが、なんか迷惑かけたみてぇで悪かったな。……来週からは起きてからチェックするようにするわ」
「そうね。……来週からは、俺も一緒に見たいな♬千空ちゃんのそそコレニュース」
苦笑して、こちらからもキスを返す。
子供っぽいかもしれないけど、これも大事なコミュニケーション。お互いに何を大事にしてて、何がイヤなのか。
そう言うことをひとつずつ。
……ちゃんと知っておきたいから。
残念ながら、打ち上げは延期になってしまったけど。直前まで二人でめちゃくちゃに盛り上がった。
「次の打ち上げ予定決まったらさ、二人で休み取ってアメリカ行こっか♬」
「お、それいいな」
「楽しみね。……なんか新婚旅行みたい♪」
軽口のつもりでそう言うと、少しの間があって。ややして、少し考えるようにして千空が言った。
「〜……そういや、しばらく二人でマトモに旅行なんてしてねぇな。
行くか、新婚旅行。……月に」
「ええ⁉︎ジーマーで⁉︎」
「ジーマーで。今や個人で月に行ける時代だぜ?……まあ予算的にも……〜、なんとかなるわ」
「ゴイスー……でもいいね、Fly me to the moon♪(俺を月まで連れてって)」
「火星と木星の春も見てぇのか?」
「いいね♬手を繋いでてくれる?」
「……あ、いいぜ。
科学に、嘘はつかねぇ」
言葉と同時に、キスをされて。
くちびるの動きで、メッセージが伝わった。
“ I love you.”
古いジャズナンバーになぞらえた、ただの言葉遊びだったけれど、彼なら本当にしてくれそうな気がした。
さんざん二人で飲んで食って騒いで。
ゲンはいつも通り、定時で寝室に向かった。
「千空ちゃんも、あんま夜更かししちゃダメだからね」
「おう」
足音が、徐々に遠ざかる。
ぱたんとドアの閉まる音を聞いて、明日の資料をまとめ始めた。
ゲンと一緒に暮らすようになって、以前よりきっちり時間を管理するようになった。
心配をかけたくないのももちろんだが、今回のようなケースでない限り、一秒でも長く一緒の時間を過ごしたい。
「……〜……そろそろ寝るか」
資料を整えて時計を見ると、もうすぐ一時だった。立ち上がって、軽くシャワーとストレッチを終えたあと、そっとゲンの部屋の扉を開ける。……ゲンはベッドで丸くなって爆睡していた。なんだかねこのようだ。
ふ、とちいさく笑みをこぼして、指で髪を梳きながら、そっとくちづける。
「……おやすみ、ゲン」
一時間早く眠るコイツと、一時間遅く眠る俺。……だから、この寝顔だけはいつでも俺が独占出来るのだ。
我ながら、お花畑な発想だなと苦笑してしまうけれど、いつでも。
この眠りを守るのは、俺でいたい。
【完】