枷があるなら踊れない「体は丈夫なほうだと思ってるんだけどね。……情けない」
椅子に腰掛けた英雄殿は靴から開放された足をぱたぱたと泳がせていた。靴の鋭い縁や摩擦によってなのか、じわりと血が滲んでいる。社交の場で真新しい靴を用意したのだろうが、かえってそれは彼女を圧迫してしまっていた。
「歩けないほどじゃない」
「実際は?」
「痛い、泣きそう、帰りたい」
顔色を変えずにぶっきらぼうに言い捨てるものだからつい笑ってしまった。先程まで気丈に振舞っていたぶん、弱味を見せられるとこちらも困ってしまう。しかし今回は英雄殿も個人としてこの場に呼ばれている。早々に帰宅し期待を裏切ることは考えていないだろう。
ひんやりとした足を掬い、医療セットから拝借してきたガーゼを宛てがう。凝固しかけた血にぴったりと付着し、同時に英雄殿が身構えた。
「治癒魔法の使える人を呼ぶほどでもないのが恥ずかしいよ」
「私としては甘えられて嬉しい限りだが」
「本当に甘えてたら“抱っこして連れて帰って”とでも言うよ」
「はは、応えようか」
「いーえ?」
少しは痛みが紛れたのか、英雄殿は立ち上がると二、三歩歩いて見せた。その身体は踏み出す度にぐらりと傾いている。
「試しに踊ってみる?」
「君の負担になるようなことはしない」
「きみにそう断られた私が、ほかの男と踊ろうとしたら?」
「やっぱり痛い! 助けてアイメリク! ……と呼ばれるまで待つさ」
バランスを保つためなのか、彼女の両手は水平に浮いていた。片方の手を取るとそっと唇を寄せる。開いた口はそのまま手首へがぶりと噛み付いた。驚いたように彼女の肩が跳ねる。
「……ッた」
「踊れるものなら行ってくるといい。この傷の説明がつくならな」
「きみに弱味なんて見せたもんじゃないな……」
少なくとも自分から私を頼っておいて言える台詞ではない。明日には内出血にでもなっていそうな歯型を、彼女は呆れ果てたように眺めていた。少しくらい愛おしそうな顔をしてくれたっていいだろうに。
「……仕方ないな、今日は大人しく隣にいてあげるよ」
「随分と素直だな」
「この靴だってきみと並んでもおかしくないように履いてきたんだから、そりゃあね」
かつん、と高さのあるヒールが鳴った。君ほど輝かしいひとはそのままでも十分だというのに。そう伝えてしまいたかったが、これ以上彼女の機嫌は損ねられない。
エスコートするように腕を差し出せば、断られることもなく英雄殿の手が添えられる。重心の整わない彼女の歩幅に合わせようと試みるだけで、愛おしさが込み上げてきてしまう。
「なに笑ってるの」
「幸せなんだ」
彼女は何も言い返さない。その代わりに、私の腕を掴む力が少しだけ強くなった気がする。二人分の足音はゆっくりと歩みを進め、賑やかしいホールへと戻っていった。