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    時雨子

    フェリディミ

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    時雨子

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    ◆口移しの渇求
    白雲/ルート未定、引き抜きなし



    渇いて渇いて仕方がない。

    こちらに来てくれ、いいや来るな。
    手を握って、離して。
    俺を見てくれ、いいや見るな。
    許せ、許すな。

    己のうちにあるこの憎悪は、獣性は、残虐性は、紛れもなく己自身のものであるのだから。

    ――ガシャン。

    目の端には書机に広がり伝い落ちる水が見える。手の中には、先ほどまで握っていた硝子の杯の破片が。水を飲もうとしていたのだったか。破片は手袋を少し突き破っている。血が出ているかもしれない。けれど、朦朧とした頭はそれを無視して書机のさらに奥、壁越しへ意識を向ける。
    今の物音に不審に思ってこちらの様子を見に来てくれたりはするだろうか。反射的にそう期待してしまう自分に呆れる。来てくれても、そんな方法で気を引いた自分に嫌悪を覚えて。来てくれなくても、最早あいつにその程度の関心も寄せられていないと女々しい思考をする自分に嫌悪を覚えるだけだろう。
    しかし、どちらでも変わらないというのであれば、どうか部屋の扉を叩いて、形ばかりの義理でもいいから。
    一言、「どうした」と聞ければ。あの、低く深い声が心の奥底まで届けば。
    ……来るわけない。聞けるわけがない。ふらつく身体を固い椅子が受け止める。寝床についても眠れない。余計なことばかり浮かんだまま何も気を紛らわせられず、"彼ら"の怨嗟を聞きながら無為に時間が過ぎるのは苦痛だ。いっそ限界まで働いて気を失うように休んでしまいたい。死者の声も自分の弱さを示す雑念も五月蝿くて仕方がない。加減が効かず殺せなかった勢いで軋む椅子が上げるギギギと床板が不愉快な悲鳴が聞こえ、意識が暗闇に落ち始める。
    その音に紛れて慌てた足音と、獣ではなく自分の名前を呼ぶ声が聞こえた、気がした。


    意識が覚醒すると、フェリクスの唇が自分のそれを塞いでいた。幼い頃は親愛のしるしとして頬や額に贈られたことがある。幼く無知な自分たちは、戯れに唇同士もしたような気がする。とにかく、お互いに伝えたかったのだ。溢れ出んばかりの親愛を。
    しかし今、目の前の男は心底不本意そうに眉根を寄せている。合わさる唇からは、何やら不快な舌触りの液体が流し込まれている。その表情は自分とのこんな行為のせいだけでは無いのだろう。嗅ぎ慣れない臭いが鼻腔を通る。煎じ薬か。それらしい表情を作らねばならないな。
    「……気が付いたか。手間をかけさせるな、猪」
    自分が目を覚ましたことに気づいたフェリクスは唇を離してグイっと口元を乱雑に拭った。相変わらず舌には何も感じられないがやはり薬だったのだろう。軽く眉根を寄せる。幸いなことに、特に気取られていないようだ。
    乗り出していた体温が遠ざかり後ろの椅子にその温もりを奪われる。おかしいな、椅子は自分が座っていたはずだ。
    目線を正面に戻すと見慣れた天井の梁。身体の下には柔らかな布の感触。
    「フェリクス」
    上体を起こし、問うように命令するかのように名前を呼べば、心底気に食わないという表情を返された。
    「暴れ猪は己の管理も禄に出来んようだからな」
    いつもながら回りくどい悪態をつくものだ。つまり体調不良を放置したまま椅子に腰掛けて意識を手放した自分を寝台に運んでくれたのだろう。王子である自分の護衛のように配置された隣室の二人の住人には、もしもの時のために合鍵を渡していた。
    物を壊す音を不審に思ったのだろうか。意識を手放す寸前は何やら益体も無い考えに囚われていたような気がするが、冷静に考えればその程度でわざわざ様子見にくるのは彼らしくない気がする。日差しの照りつける訓練場で休んでいても、級長としての仕事に忙殺されていても、一瞥だってくれなかったくせに。
    「……ここには、あの狂犬も駆けつけられん。何かあれば対処するのは俺かあいつだ」
    何も言っていないがどうやら表情に出ていたらしい。声のトーンは普段通り冷めている。だが、目を逸らし苦々しげに吐くその口調に、ただの義務以外の感情があると思い込みたくなる。だって安心したいんだ。お前が当たり前のように側にいることを望んでくれた頃のように。
    「たかだか物音をしたくらいで、いちいちお前の気を煩わせることではない」
    否定してくれ。
    「フン、無様に倒れ伏しておいて。立場を分かっているのか」
    「今日は、たまたまだ。俺が物を壊すことだけなら珍しいことではないだろう」
    揶揄したければそれでいい。
    「ハッ。このところ毎日死にそうな顔をしておいてよく言う」
    「……こんなもので死にはしないさ」
    都合よく、心配ゆえだと思いこみたい。
    「それを判断するのはお前ではない。それとも何だ。俺が煩わしいか」
    「な、何言ってるんだフェリクス。……俺のことが嫌いでもこうしてくれることには感謝している」
    言葉を重ねるたびにフェリクスの声は不機嫌に下降する。違うんだ、そんなことを言いたいんじゃない。そう、逸る気持ちを抑えたつもりだった。
    だがそんな自分の言い草に、かえってフェリクスは酷く嫌なものを見たかのように鼻と眉間に皺を寄せた。
    「チッ。なんなんだ、お前は。俺を怒らせたいのか?」
    「……そんなつもりは、ないんだが」
    今の言葉の何がまずかったんだ。ますます渋面を深くする様子に、思わず頼りなげな声が出てしまう。だが、それが一層、癇に障ったらしい。
    「……クソッ。俺はもう行く、邪魔したな」
    どうしてこうなってしまうのだろうか。フェリクスを怒らせてばかりだ。一体何がいけないのか。なんと言ってやるのが正しいのか。
    椅子から立ち上がりかけたフェリクスの手を反射的に掴む。口が無意識に開く。意思に背いて喉が震え、勝手に言葉を紡ぎ出す。
    「まだ、」
    フェリクスが怪訝そうに片眉を上げるが、続けていいのかが分からない。――行かないでくれ?ここにいてほしい?お前の気持ちを確かめられていない?
    手元を見ると、包帯が巻かれていた。やはり杯を割った時に手を怪我していたのか。それに思い至ると同時に自分の手を取って手当てをするフェリクスの姿が自然と想像され、情緒が揺らぐ。
    自身の感情を抑え込むのには慣れて久しい。自分の感情を騙し、誰にも本心をひた隠し。だが、フェリクスの前ではいとも容易く押さえがパラリと剥がれてしまう。良い方にも、悪い方にも。
    緊張が緩む。心が安らぐ。堤が決壊する。自らの心の弱さに直面する。
    今は、悪い方だ。
    そしてお前は、いとも容易く俺の感情の揺れを汲み取るんだ。
    「おい。お前、」
    フェリクスがじっと推し量るように見つめてくる。そのまま顔が近づいてくる。
    コツリ。額と額とぶつかった。少し冷たさを感じる。熱でもあるように見えるのか。俺はそんなに酷い顔をしているのだろうか。
    至近距離にあるその表情はよく分からないが、纏う空気は刺々しさが和らいでいる。代わりに、実直で凛とした居住まいが間近で感じられて心地が良い。
    その感覚に揺蕩っていると、やがてフェリクスは目を逸らして深くため息をつき、椅子に腰掛け直した。
    「……面倒な奴だな」
    お前の方が余程面倒だ。化け物、と罵った後はもう一切の関わりを絶ってさえくれたら。俺はお前への感情さえも封殺するはずだったのに。
    「面倒なら、放っておいてもいい」
    「お前が獣だろうと唾棄すべき本性を隠していようと、ようやく王位を継げるのだ。こんなところでみすみす失ってたまるか」
    律儀に返事をしてくれる様子に、心の中で何かの留め金が緩んでしまうのを感じる。お前を試すような言葉を口に出した。余計なことを言ってしまっている。けれど、何をどう気を付けたって余計なことを言って怒らせるのは変わりないんだ。
    「獣は獣らしくしていた方が良かったのではないのか」
    「チッ……馬鹿なのか、お前は。王位と国情と、俺の私情とは関係ない」
    暴力に飢えた獣の面を忌み嫌いながら、王子としての振る舞いを厭いながら、継がれるべき王位のことを当然のように考える。だがそれはフェリクス個人の感情では無いものによる帰結だ。
    そんなことを聞いたのではない。お前こそ馬鹿だ。鈍感だ。ああ、普段はどのようにしてお前の前で余裕ぶっていたのだったか。いつも通りに落ち着き払って受け流すべきなのに、口が勝手に動く。
    「お前は俺が気に食わないのだろう」
    「ああ、気に食わん。腹が立つ。お前が獣の面を隠して澄ました顔で振る舞っているのはな」
    そんなことは知っている。だから、その答えに更に追及するように無言で見据えた。沈黙が痛い。
    諦めかけた頃、沈黙に耐えかねたフェリクスが奇妙に表情を歪ませ、口を開いた。
    「だが、俺は、……嫌いだとも憎いのだとも言った覚えはない」
    「……違うのか?」
    正鵠を射抜いたその言葉は、欲しかったものであるはずなのに、いざ受け取ればどうしていいのか分からない。
    それに気付いているのかいないのか、フェリクスは腹を括ったように居住まいを正した。
    「お前が譲らぬのであれば俺も気に食わんというだけの話だ。相手がお前なればこそ俺も譲るものか。それで俺を厭うも嫌うも勝手にしろ」
    その言葉は、拒絶か親愛か。
    自己完結的で一方通行なそれは、こちらからの干渉を許してくれない。厭うなど、嫌うなど、考えたこともないのに。お前は、俺がお前へ向ける思いを何も分かっていない。
    「嫌いになんて、なれるわけないだろう」
    「フン。俺からしてみればお前から気味の悪い笑顔を向けられるよりはいっそその方がましというものだがな」
    でも、俺もお前が分からない。いつもの刺々しさが幾分か鳴りを潜め、ただただ真剣に自分を見つめる両の瞳に、何が写っているのか。
    今ならば、手を伸ばして触れても、拒まれないのだろうか。今もただ変わらずにある親愛を伝えられるだろうか。
    口から出たその瞬間から、言葉というものは自分も相手も縛りつける。だから多くのことを伝えられずににいる。それでも、言わぬ心は無いも同じだ。衝動に付き動かされるように寝台から乗り出し、そのふわりとした袖を掴んだ。
    「……俺は、ただ。お前がどう思おうと、お前のことが大事で、大切で……好きなんだ」
    これだけは昔と変わらないのだと。ただの、当たり前に与え合っていた親愛だ。
    言葉にしてしまうと、まるで譫言のような陳腐でつまらない呟きに聞こえた。なんだか熱で視界がぼやけるし、声も情けなく震えている気がする。それでも目の前の幼馴染の動揺を誘うには十分だったらしい。猫が驚いた時のようにその蘇芳色の目が見開かれた。いつもより幼く見えるその表情は、今のように捻くれる前の頃を思い起こさせた。
    「……そういうつもりで言ったのでは……ッ大体、辛気臭い面で言われたところで……」
    そう言いながらも、狼狽していることが分かる。久しぶりに見る照れ隠しに、懐かしさを感じて目を細めた。
    「ああ、これは俺の勝手な押し付けだ」
    だって、仕方ないのだ。
    "仕方がない"。多くのことをその言葉で片付けてきた。
    暴力を抑える枷を失くしたのも、
    人を殺めて当然感じる心の痛みを麻痺させたのも。
    感情を捨てて復讐ただそれだけを使命として生きていくのも、
    人として普通の感覚の多くから逸脱し、毎夜悪夢に魘され頭痛に苦しむのも。
    それなのに大事な幼馴染からの言葉に何ひとつ肝心なことを打ち明け吐露してやれないのは、仕方がないことなんだ。
    だって、今更なんて言えばいい。何も言えることなんてない。使命のため、責務のためだとしても、そこで発露する暴力性と残虐性の衝動は結局俺の本性以外のなにものでもない。それを正当化するつもりなど無ければ、もはや何の感慨も抱かない心身の苦痛を訴えて同情を引こうなどとは思えない。
    だから、拒まないでくれなんて我がままだ。お前の問いに何一つ応えていないのに。お前へ向ける感情が好意だからこそ、一層たちが悪いことも理解している。理解していて、俺は――
    「フェリクス」
    熱が上がってきた気がする。がむしゃらに手を這わせてフェリクスの二の腕を引き寄せ、乱雑にしがみついた身体に顔を埋める。呻くような声が聞こえる。力加減が思うよういかず、手が震える。
    力づくで拘束して従わせることなど簡単だ。だから、嫌なら突き放せるように力を抜こうと思った。とはいえ、この男はたとえ相手が残虐な獣だろうが弱った相手をぞんざいに扱うようなことは、ましてや自分と違って暴力の衝動に支配されたりなどしないのだ。
    ただの自己満足だ。ずるく、浅ましい考えだ。言葉を得られない代わりに代替となるような何かを得ようとしている。
    分かっている。お前が求める"ディミトリ"が何なのか。
    でも、分からない。俺の獣の本性を前に、お前が何を問うているのか。
    だって自分でも分からないんだ。
    この本性を受け入れてほしいのか。糾弾してほしいのか。共に復讐心を分かち合えたらと、あり得なかったことを夢想しているのか。
    「すまない」
    「謝罪など求めていない。俺が求めるのは――」
    続きは聞きたくなかった。だが、今このひととき。お前は絆されてくれる。どんなに口が悪くなろうと、お前が本当は誰よりも情深いことは、俺が一番よく知っている。
    だから、唇ごとその言葉を奪った。
    何もかも、俺のせいにしていいから。抑え込んでいたはずの感情を、己の心の弱さを、ぽろぽろと零してしまって。お前の知る"ディミトリ"のようだ、そう錯覚させた俺が悪いのだから。今だけ、脆く溶け去るこの瞬間だけでいい。口移しでその感情を。この身の爪先から脳天まで氾濫するほどに。
    合わさる唇。熱っぽい蘇芳色。その深みのある色に混じらない、不釣り合いに光る飢えた淡青色。
    自分の行為を大人しく受け入れ応じるフェリクスを見て確信する。
    ああ、やはりお前はそういう奴だ。

    なのに、お前が分からない。お前が誰を見ているのか分からない。伝わる思慕が行き場を失う。
    渇いて渇いて、仕方がない。

    2020/11/22
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