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    時雨子

    フェリディミ

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    時雨子

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    ◆世界の果てを望む

    言葉少なに酌み交わし、有無を言わさず捕らえられ。
    ただ何もせず、眠りにつく。
    お前は一体何を思う。分からぬ自分に腹が立つ。
    されど、居場所は此処なのだと。それだけはよく知っている。


    「……侍女が変わったか?」
    顔を洗うための湯を張った桶と布巾を運んできたのは、見慣れない女だった。礼儀作法を叩き込まれているのだろう。人形のように表情ひとつ動かさず、完璧な所作で音も立てずに扉が閉じられた。
    「なんだ?好みの女だったか?」
    声の方を向けば、ディミトリが未だ寝台に寝転がってしどけない様子で起き上がった。掛布が滑る微かな衣擦れの音がする。出窓の天板に凭れ掛かる俺へ向ける視線はどこか面白そうに細められている。
    「チッ。くだらんことを言うならば……」
    「ふふ、冗談だ。つい先週に侍従長から報告があったよ。出て行ってしまったそうだ。部屋はろくに整理もされていなかったらしい」
    そう言うディミトリの口調は天気の話でもするかのように何気ないようだったのに、逸らされた横顔は薄いヴェールがかかったように腹の底が読めない表情だった。
    寝室の中心を裂くように差し込む眩い朝日の光が伸びてくる。それに照らされて輝く金髪も硝子のような瞳も、着乱れて覗く鎖骨も服の上からでも分かる見事な隆線を描く体躯も、絵画のように美しい。それなのに、いや、だからこそ。無性に苛立ちを覚えた。


    何故、このような早朝にディミトリの――嵐の王と恐れられる主君の寝室にいるのか。妙な噂でも立てられたらどうするのだ、そう苦言を呈するべき時は既に逃してしまっていた。
    戴冠式の折、自領に戻る前夜の、王の私室への呼び出し。それが発端だったはずだ。何事か、内密で親父殿への言伝でもあるのかと緊張をやり過ごしつつ臣下の礼を取ると、ディミトリは少し困ったような顔を向けてきた。
    「酒に付き合ってくれないか」
    「…………陛下」
    臣下として何と答えたものかと探るように視線を向ければ、ディミトリは一つ溜息をついて部屋にいる侍従を下がらせた。楽にしろという目線を向けられる。部屋の中心には長椅子が二つ。だが、真正面に座って腰を据えるようなことは避けたい。仕方なしに腕を組んで柱に凭れ掛かり、無意識に詰めていた息を密やかに吐き出した。
    「お前ぐらいしか気軽に飲める相手がいない」
    「おい、立場を弁えろ。そう易々と私室に招き入れるな」
    「弁えているからこそお前しかいない」
    そこまで酒が飲みたいだろうか。根本的に違和感のある誘いだ。それでものらりくらりと返す言葉に、拒否の糸口が見つけられなかった。
    しかし結局、奴の詭弁だったのだろう。
    不可解な要望だが、さりとて固辞する理由が無く用意された酒とつまみを無駄にするのは気が引けたのも、狙い通りだったのかもしれない。飲むだけならばと付き合ってやったが、やはり当の本人は大して酒が好きそうにも見えなかった。
    数杯開けたらわざとらしく酔ったなどとほざいてべたべたと構ってくるのだ。挙句、寝るなら寝所へ行け、俺は戻ると言えば、唇を引き結んで、少し幼さを感じるむすっとした顔を無言で向けてきた。
    気付くとその頭を肩に乗せてきて狸寝入りしだす夜が数度巡れば、抵抗するのも馬鹿らしく。――いくら待てども、狸寝入りから本物の眠りに落ちる気配がなかったのだ。しかし諦めて逃げない姿勢を取ってやれば、やがて穏やかな寝息が聞こえてきた。
    一体、どういう感情を抱けばいいというのか。無防備な寝顔は血と暴力とは程遠く。けれど勘違い出来るほどおめでたくはない。少し緩んだ口元はなんとなく癪だ。
    そんな夜を繰り返す。何か言い訳のように酒を用意しては酔ったふり、眠気に誘われたふりをされて。毎度溜息をついて寝台に連れて行き、共に朝を迎えたのはもう幾度目かも分からない。
    親父殿の名代として王城を訪れることも多い。その分、辞去の予定を告げることも。その度に表情の乏しい顔を、あるいは意識して感情を抑えた顔の中に、どこか縋るような視線を感じてしまう。
    それがいけなかった。そんな夜には決まって誘いに来るのを分かっていて、王からの招きを告げる侍従の声が掛かるのをまんじりともせず客間で待っている。
    ああ、これは負け戦なのだな、と。そう気づいたのは誘いの夜が片手の指では数えられなくなった頃。
    これが幼き時分であれば、間違いなく大喜びしたであろう。酒精で緩んで多少甘えているようにも感じられる素振りで妙な気持ちに流されている。
    何もかも状況が変わってしまった今、そのような能天気な思考に浸るわけにはいかないというのに。

    そうして、出入りする身の回りの侍従侍女とも顔見知りになった頃。見知らぬ者がいると気付くほど、この男の懐に入ってしまった。それに気付くのは遅く、口を滑らせた己に苛立つ。
    誤魔化すように表情を意識して引き締め、窓を背にしてディミトリの方へ向き直った。
    「その女は間者だったのか?」
    問いかけに応じ、ディミトリは少し姿勢を正して考えこむように顎に手を当てる。
    「いいや、その線は薄いな。行動範囲から考えても、さしたる情報を得られなかっただろう」
    「完全に把握しているわけでもあるまい」
    「そうだとしても俺の部屋付きになるのは易くない。今この時にこのような杜撰な消え方はするのはかえって不利益だ」
    「どうだかな。間者の考えなど知れたものでは無いぞ」
    「そうかもしれないが……」
    すらすらと分析をしていた言葉が、急に歯切れ悪く言い淀んだ。それに眉を顰めて続きを促せば、ディミトリは少し気まずそうな笑みを浮かべて肩を竦めさせた。
    「もう一つある。同じ日に、侍従も一人消えた」
    「それがどうした」
    「ああ、いや……以前、見たことがあるんだ。二人が庭の隅で逢引しているのを」
    そういうことか。お互い、色事には疎い。だからこの話題を持て余すのを見越していたのだろう。どことなくそわそわとして、掛布に投げ出された両手の指が組み直された。
    俺とてこのような話を好き好んで続けたいとは思わない。妙な間をやり過ごす方法が見つからず、つい悪態が出る。
    「フン、趣味の悪いことだ」
    「わざと見たわけではないぞ。たまたまだ」
    早々に会話を終わらせて、立ち去った方がいい。だから、手短に返事をして凭せ掛けていた腰を浮かせて踵を返す。
    ここから出たら、数節は顔を合わせないかも知れない、あるいは数週間後には訪れるかも知れない。
    ともかく、しばらく離れる。ここで時間を無駄に潰して引き延ばす理由は無い。
    しかし、未だ寝台の上にいる男は、そうは思っていないようだった。
    「なあ、フェリクス」
    ただ、名前を呼ばれただけ。不公平だな、と思う。まだ一歩も踏み出せてないうちに反射的に動きを止めてしまった。部屋を出ていく気持ちも薄らいでいる自分に舌打ちしたい。
    せめて顔を逸らしたまま、目線を合わせないように努めた。これも無駄な抵抗であることを知りながら。
    「チッ……なんだ」
    「……駆け落ちするとは、どういう気持ちなのだろうな」
    むしろ、顔が見えないままでこのような言葉を聞かかないほうがよかったか。勝手な想像ばかりが己自身を苛む。
    何の意図があってそのようなことを聞くのか。分かるようで分からない、分かりたくもないそれを一蹴したくて、苛立たしさを抑えずに吐き捨てた。
    「さあな。自らを知る者、繋がりを全て断って――行き着く先など、ろくなものでは無いのだろう」
    「そうだろうか。全てを断ち切っても、お互いだけは、お互いが何者か知っている」
    「その何者かを形作る全てが切り離されるのだぞ」
    ただの逃避だ。代償に、果てない空虚を一生抱えるのだろう。その逃避行に酔い切れる精神など、俺もお前も持っていないだろうというのに、無為な話を。
    それを分かっているのか、分かっていないのか。無為な想像でも何かの慰めとなるのか。目の前の男はなおも言葉を続ける。
    「切り離されたものがあったしても、行き着く先には何かあるかもしれないだろう?」
    「反吐の出るような楽観主義だな」
    「まさか。必ずしも良いものがあると思ってはいないぞ」
    会話が上滑りしている気がする。この会話の行き着く先に察しはついているのに、うまく打ち切れなくて内心の焦りばかりに気を取られる。
    「彼らはどこへ行ったと思う」
    「どうだかな。どこに行っても戦ばかりだ。無事で済むとは思わんが」
    「それなら山を越えた先か。砂漠の向こうか」
    「フン。俺はそんなものに興味は無いが……行くならば、いっそ海を越えた方がいいだろう」
    「そういえば幼い頃は海の向こうに行きたいと話していたな」
    ――間違えた。言うべきではないことを言ってしまった。
    「……覚えておらんな」
    もう遅い。次に何を言われるか、嫌な予想はあたるのだろう。
    「忘れてしまったか?……俺は覚えているよ。王家に献上された贈答品にあった交易品に心を躍らせた。いつか、お前と二人で旅に、海を渡った向こう、世界の果てを目指してみたいと」
    ああ、やはり駄目だ。
    耐えきれず、ディミトリの方へ向き直れば、凪いだ湖面のような両の瞳は俺を追い越して遠くを見つめていた。
    そこに寂しさがあると思うのは。ぽっかりと空いてしまった心があると思うのは。それを埋めてやりたい、俺ならば埋められるはずだという願望と傲慢なのだろうか。
    いいや、それとも。寂しいと思っているのは、捨て置いてきたはずの、己の幼さと未熟さの方なのだろうか。
    「ディミトリ」
    一歩、二歩。朝日の差し込む窓から離れてディミトリの方へ歩を進めていることを、頭のどこか遠いところで認識する。
    「世界の果てなど、あるのだろうか」
    「幼い夢だな」
    遠くを見つめていたディミトリの視線が、掛布に投げ出された自身の手の方へ落とされた。俯いた拍子に垂れ下がった金糸が顔を隠している。その下にある表情は見えなくとも分かる――分かっているのだと、思いたい。
    「ああ、俺にはもう叶わない夢だな。でも、お前は、」
    やはりそういう話か、と。諦めにも近い感情で、続く言葉を遮った。
    「そうだ、くだらん話はもうやめろ」
    ギシリ、と膝の下で音がした。呼吸の音も聞こえるほどの距離に身を乗り出せば、ディミトリがのろのろとした動作で顔を上げる。
    金糸を隔てた先の瞳に滲む表情と、震える唇。これ以上ない程に間近に迫っても、本心を隠すヴェールを全て取り払えた気がしない。
    それでも、この青の瞳の視線を捕えられるのならば、体は自然に動き、口は勝手に言葉を紡いだ。
    「俺の世界の果ては、ここだ。ディミトリ」
    「……え、」
    目の前の瞳が驚いたように見開かれる。それを落ち着かせるように、額を合わせた。当惑と動揺が伝わってくる。だから、人に懐かぬ獣に対するのと同じように、そっと。手を伸ばして左の胸へ。
    薄い寝間着越しに伝わる熱と鼓動。トクン、と脈打つそれは、ディミトリが確かに生きていることを肌で実感させる。
    俺の世界の果ては、この心臓なのだ。その確信がある。

    「……フェリクス?」
    狼狽を隠さない声が、意図を推し量るように問いかけてくる。
    分かってやりたい、分からない、分かってくれ。その想いを込めて見つめると、小さく息を飲む音が聞こえた。
    「俺が望んだことだ。……だから、お前も望め」
    何を、どのようにという説明を欠いた要求に言葉は返されず、また必要ともしていなかった。
    応えが得られたのは、ひたすら黙して待っていくら経ったのか分からぬ頃。
    少し冷たい手のひらが、壊れ物にでも触れるような軽さで左胸に触れられる。
    「ああ、それでいい」
    この部屋を出たらまた王城から、こいつの傍から離れる。ならば、この心の臓の熱が少しでも伝わり、移り、その手のひらに残るように。
    身勝手な願いを込めて、触れるディミトリの手に己の手を押し付けた。


    2021/04/15
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