もっとカッコいいこととか、気の利いたセリフみたいなのが言えたらよかったんだけど。
というか、頭の中ではもっといろいろ考えてたはずなんだけど。
いざ目の前にしちゃうと、もうそれしか出てこなくて。
「おれ……カスミが好き、なんだ」
それも、いつもしゃべってるみたいな声じゃなくて、どうにかしぼりだした、ふるえてかすれて、どうしようもなく弱々しい声だった。
カスミの顔も見れなくて、うつむいてしまって、拳をギュッと握りしめて、カスミの言葉を待つ間。
それはきっとほんの数秒だったんだろうけど、何時間もそうしているような気がしてた。
人気のない倉庫の中は湿った空気で満たされていたけど、その中のどれくらいかは自分の汗のせいなのかなと思うと、こんな時なのに汗臭くないかなとか、そんなことばっか気になっちゃって。
カスミが、
「自分も、好きッスよ」
って言ったのを聞き逃しそうになってしまってた。
「……え」
ギリギリ聞き逃しはしなかったけど、自分が言うことばっかりに一生懸命だったから、その言葉の意味はさっぱり理解できなくて、思わず聞き返しちゃったけどね。
カスミはクスクス笑いながら、
「それじゃあ、自分と真珠は両想いで、今日からは恋人って事ッスね」
とおれの手を取って、引っ張って、ほっぺに手を添えて来て、それから。
「かす、……んっ」
「真珠、好きッスよ。大好き」
「カスミ、まっ、んぅっ、……っ♡」
柔らかく唇を食べられてしまった。
そうしてようやく全部が理解できた時、全身から更に汗が噴き出してくるし、焚き火の中に突っ込んだみたいに顔は熱いし、いっぱいいっぱいになってたみたいで涙はぼろぼろ溢れてくるしで、もう散々だった。
そんな、世界一カッコ悪い告白をしてから5日。
「明後日、デートしませんか?」
カスミにそう言われて、はっとした。
デート。
そうだ、おれはカスミと付き合えたらどこに行こうかとか、どんな話をしようかとか、ずっと考えてたのに、カスミがおれのことを好きだって思ってたことにびっくりして、恋人になれたのがうれしすぎてすっかり頭から抜け落ちてた。
しかもカスミから誘ってくれるなんて思わなくて。
だから、犬が飼い主に飛びつくみたいにしてカスミに抱き着いてた。
それくらい、全身で嬉しいと思ったんだ。
ただ、その後あんまりにも恥ずかしくってすぐ離れちゃったけど。
「喜んで貰えて何よりッス〜。どこ行きたいとかリクエストがあれば教えてくださいね」
カスミのクスクス笑う声が耳の奥に響いてくすぐったいけど、嫌じゃなかった。
行きたい所と言われると、それはもうたくさんあったから、あそことこことそこと、なんて上げていってると
「デートは一回だけじゃないッスから」
とカスミは困ったように笑っていた。
結局、最初のデートは付き合って一週間記念も兼ねて遊園地に行こうってことになった。
デートの日には何を着ていこう。
どんな話をしよう。
カスミの好きなものってなんだろう。
お昼はお弁当とか作った方がいいのかな。
デートの日まで楽しみすぎて、マイカにはちゃんと地に足着けて、なんて言われてしまった。
特に前日なんかは、遠足に行く前の子どもみたいにワクワクしてドキドキが止まらなくて全然寝られなかった。
ようやくまぶたが重くなってきたなと思ったくらいにアラームが鳴って、時間を確認すると七時。
カスミは9時に迎えに来るって言ってたけど、準備はしっかりしないと、と飛び起きて、昨日までに選んでた服に慌てて着替えてたんだけど。
ピンポーン
インターホンのなる音がした。
半端に着てた服を整えて玄関に向かうと、カスミがドアの向こうに立ってた。
更にその後ろには、バケツをひっくり返したような雨。
「ちょっと早いかな〜と思ったんスけど、この天気なんで、相談も兼ねて来ちゃったッス」
「昨日までは天気良いって言ってたのに……」
「昨日の晩、結構風強かったッスからねぇ、どっからか雲が飛んできちゃったみたいッス」
「そ、そっ……かぁ……」
折角の、カスミとの初めてのデートだったのに。
遊園地に行っても、これじゃあアトラクションはほとんど動いてないし、ゆっくり散歩とかも無理そうだ。
しょんぼりと肩を落としたおれに、カスミが
「とりあえず、中入れてもらっても?」
というので、慌ててカスミに部屋の中へ入ってもらった。
よく見るとあちこち濡れていたので、タオルを渡してお風呂を沸かす。
「寒かったでしょ?お風呂であったまって」
「あ〜、お気遣い痛み入るッス〜」
「えっ!?どこか痛いの?」
「いやいや〜、えっと……ありがとうって意味ッスよ」
「そ、そうなんだ、良かった」
……はずかしい。
恥ずかしさをごまかすみたいにして冷蔵庫を開けて中を見渡す。
少し顔の熱が治ってから、冷やしていたジュースを取り出し、コップに注いだ。
ジュースを持ってリビングに戻ると、まだ立ったままのカスミ。
座ってていいのに、というと、部屋の中濡らしちゃったら悪いんで、と言われたので、おれは少し考えてから床に座る。
「じゃあ、おれの膝の上に座っていいよ!」
その時は名案だと思ってそう言ったんだけど、一瞬固まったカスミを見て、すぐにやってしまったと気付いた。
「あ、あああの、えっとこれはその」
言い訳も何も思いつかない。
何言っちゃってんだろうおれ、と思って慌てていると、目の前が少し暗くなった。
膝の上にかかるずっしりとした重み。
恐る恐る顔を上げると、カスミがおれをすぐ近くで見下ろしていた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
ぴったりとくっついたカスミの体。
そこだけやけに熱くて、そこから全身に熱がどんどん広がっていって、目の前がグルグルしてきた。
これだけ近い距離にいると、カスミの長い前髪の隙間から、普段は見れないカスミの灰緑の目がおれを見てるのがわかる。
今、カスミと目が合ってる。
それだけで体が動かなくなってしまった。
「真珠」
名前を呼ばれて、脳みそが蕩けてしまった。
親指で唇をなぞられ、近付いてくる呼吸に鼻の下をくすぐられて、近付いてくる灰緑から目が離せなくなって。
ぱくり。
また、唇を食べられてしまった。
告白した時みたいな柔らかい食べ方じゃなくて、今日は少し、なんていうか、洋画とかでよく見る、大人のキス、みたいな。
「は、ぅ、ンンッ、かひゅ、んぅ、」
「ん……ねぇ、真珠、」
唇を舐められて、髪を梳かれて、お腹の底がジンジン熱くなる。
まだセットも出来てない垂れ下がった前髪を掛けられた耳も、カスミの爪の先が当たっただけでピリピリして背中がびくっと震えてしまう。
「真珠の服も濡れちゃったし、一緒にお風呂、入りまス?」
カスミの熱がほっぺを滑っていく。
心臓がドキドキして破裂しそう。
首に回された腕。
鼻をくすぐるクセのある髪。
隙間から覗く潤んだ灰緑に見つめられてもう一度食べられた唇は、うん、と言うだけで精一杯だった。
「雨、止まないね」
少しずつ冷めていく体温は、窓に打ち付ける冷たい水に吸い取られているようでなんだか物悲しい気持ちになってしまう。
隣にいるカスミはさっきからズボンのポケットから取り出したタバコの箱を弄っては閉まって、また出してを繰り返してる。
肩に残った不恰好な紅。
部屋に臭いがこもるからってカスミがつけた換気扇の音が遠くに聴こえる。
「初デートは、次の楽しみにとっておけばいいんスよ」
煙草の箱を放り出して、別のポケットに入っているガムの包みを開け始めた。
一枚差し出されて、口で受け取る。
時計の針はもうすぐ真上に揃って並びそう。
カスミはもう一枚取り出して、今度は自分の口に入れてる。
薄れていく、カスミとおれを包んでた青臭さ。
もうちょっとしかなくなったその名残を胸いっぱいに吸い込んでから重くなってきたなまぶたを閉じて、そうだね、と呟いた。
end.