願わくは、あなたの色に〜サムシング・フォー〜何か一つ青いもの
婚礼を挙げるに辺り、幼い頃の夢をできる限り叶えたい、と思うのは妻を愛する者として当然のことであった。
真白き衣は当然のこととして、他にも憧れがあるかと尋ねれば、控えめに数えあげられた、謎掛けのような品々。
娶りたくば、定めしものを持って参れ、とは竹取物語のようだ。例えそれが玉の枝であろうと、万難を排して手に入れる覚悟がある。だが、躊躇いがちに告げられた四つは微笑ましいばかり。
そもそも一つはもう、二人してなににするか決まっている。
なにか一つ青いもの、と言葉を与えられれば、二人の脳裏に浮かぶものは寸分違わぬものだろう。 未来を照らす小さな青き花。今も二人の足元に広がっている。
「……って青は幸村さんに頼む必要もないですね。他のものも思いつかないし、何があってもネモフィラじゃなきゃ、って言ってしまうと思います」
「やはり姫も同じ気持ちでいてくださったのですね」
互いの答えが同じであることを確認して微笑み合う。惹かれてやまない輝く笑顔だった。なればこそ。
「しかし、あなたは愛らしいので、どのように飾るか悩ましいところです」
「あっ……の、それはやっぱりお花なので、花冠とか、だと思います」
「花冠、と言うと」
「ええっと、こんな感じで」
と小さな花を摘むと指をあれこれ動かして、花を繋げようよしているようだ。
「あれ?ネモフィラだと……柔らかくて難しいかも」
絡めた先からはらりと解けて、手から零れ落ちていく小さな青。真似をして幸村も茎を折り曲げても、なるほど力を込めすぎてはちぎれてしまい、かといって緩くてはすり抜けてしまう。
「うーん、指輪くらいならできそうかな」
「指輪?」
「ほら、こんな風に」
左手を取られて巻き付けられた花。無骨な指に可憐な花がとまるのは不釣り合いだと思うのだが、七緒が嬉しそうなので、どうでもよくなってしまう。
「それでは姫も」
手を取ってなんとか同じように花を指に巻きつける。すんなりとした白い指を花が飾るのはあつらえたようによく似合う。仕上がりに満足して、顔をあげると目の前の愛しい人の顔は愛らしく染まっていた。
「もう本番みたいです」
「姫?」
「結婚式はお互いの左手の薬指に指輪を通すんです。心と繋がっている特別な指なので、心と心がこれからも離れないようにって。ずっと外さないカップル……夫婦もいるくらいなんですよ」
優しげに目を細めて、極上の細工物のように大切に指を飾る花を撫でる。胸が締め付けられるように愛しさが込み上げてきた。
「それでは毎日花を摘んで、輪を贈りましょう。いつまでも繋がっていられるように」
「……はい、待っています」
こうしてまた、明日を待ち望む理由が増えていく。
何か一つ新しいもの
「たとえば手袋とか、靴とかが多いみたいです」
二つ目は新しいものだという。しかし、例としてあげられたものは、幸村が用意するにはいささか厳しいものだった。七緒が思い出の中から織り上げたウェディングドレスは手袋も備わっていたし、靴をといっても、下駄か草鞋か具足か。あの花びらのような柔らかな光沢を帯びるうつくしい布地にそぐわないことこの上ないだろう。幸村がわかる範囲で、女性を飾るもの。そうして思いついたのが、手に納まる貝殻。金箔で覆って、小さいながらも見事な枝ぶりの桜が描きこまれている華やかなもの。
「これは?」
「紅ですよ」
思いもよらなかったのか目を丸くして貝殻を開ける。綺麗と感嘆の言葉が漏れたので、用意した身としてもほっと一息。が、ついで見上げられた目に潜むものに、たじろいだ。恨めしそうな、悔しそうな。
「紅を、女の人に、贈ったことがあるんですか……?」
「ご、誤解です!私はそのようなことはっ!」
「幸村さんのことは信じてます。でも……兼続さんに教えてもらったんですか?」
友人に妙な疑いまで発生している。いや、あの男なら手慣れていて、幸村が悩んだようにはならず、すぐに紅でもなんでも贈るものを思いついただろうが。いつぞや垣間見た婀娜っぽいやり取りが頭をよぎったが、慌てて振り払った。
「兼続殿は確かに私の師でもありますが、女性の扱いなどは学んでおりません!」
もしも学んでいたら、お礼の品ひとつに、阿国が呆れるほど迷うことはなかっただろう。
「紅の素となる紅花餅は信濃で作っていたのですよ」
「信濃で?」
「はい。紅花をご覧になったことはありますか?不思議なことに花自体は黄色いのですが、水に浸し、足で踏んで揉み込むと紅くなるのです」
幼い頃のことを思い出して、自然と顔を綻ばせながら、幸村は説明を続けた。
「朝早くから花を摘み、それでも大人たちには他にやることがあります。足で踏むのはもっぱら子どもの役目で、私も混ぜてもらっていましたから」
「その頃から幸村さんは村の人たちのお手伝いをしていたんですね」
「手伝うというより、暑かったので半ば水遊びみたいなものでしたよ」
「思い出の中のものを贈ってもらえて嬉しいです。幸村さんが故郷を大切にする気持ちが伝わってきました。変な疑いをかけてすみませんでした」
そこで、七緒は少し口籠もった。
「姫?」
「令和だと、口紅を女性に贈るのは、返してもらいたいからだって逸話があって」
返す?紅に使うにはおかしい言葉なような、と考えた。が、少女が薄紅色の唇をそっと噛み締めたのをみて。そして、その上下に己のそれを重ねたのを思い返して、頬に火が立ち上った。
「それは、私も楽しみにしています……」
返事はこくんと小さな頷きだった。
何か一つ古いもの
次は古いものだというが、そう告げた七緒の手元には既に白い織物がふわりと舞い降りた。細い白の艶糸で、雪の結晶のような文様を織り上げた布地。
「これは、父上が手に入れた南蛮の品の一つなんです。もう本物は燃えてしまったけど、忘れられなかったんです。幸村さんに用意をってお願いしたんですが、ウェディングドレスは令和のものだから、ヴェールは戦国の、織田の家から貰いたかったんです」
「姫のお父上の用意されたお品です。拒む理由はありませんよ」
「それに、本当は……」
七緒はついで、何かを紡ごうとして、ふと言葉を詰めてしまった。そのまま織物を広げると頭に載せてしまう。
「ヴェールはこうやって被るんです。幸村さんは本番では、このヴェールを上にあげてください。そしたら、その、紅をお返ししますから」
ぎこちない言い様があんまりにも可愛らしくて、ヴェール越しで顔を見えないことがやりきれなくて、間違いがあってはいけません、などと口走り、ヴェールを剥ぎ取って、まだ何も彩のない唇をちょんと啄んでしまった。
「まだ本番じゃありません!」
照れがまさって、上がる声も、惹きつけてならない。
「すみません、つい」
「その先は言わないでください」
可愛らしくてという続きを封じ込めようと手を捕まえて、抱きしめてしまった。そう、あんまりにも夢のようだ。結婚式とやらをあげて、きっともっと。今ならもう信じられる。胸の中に幸せそのものを閉じ込めつつ、ヴェールをあげた先に見えた、顔の一抹の寂しさが気になっていた。
そして、何か一つ借りたもの
「それで俺に頼むっておかしくね。サムシングなんとかって男のダチに頼むやつじゃねーから」
質素な室内。梁を煤けさせながらも、室内自体は手入れをされて、整っていることが一眼でわかる。九度山に訪れる時の言葉ぶりで、落ち着く場所を見つけたのだと悟っていたが、実際の暮らしをみて、安堵の思いが込み上げていた。心の場所として、夢の中に出るくらいなのだから。
何か一つ借りたもの、と聞いて、それならばと思いついたのは大和だった。ただ、二人で暮らす神域と現世では隔たりがある。できることならば、と願い、目を覚ませば、雪玉でもぶつけられたような大和と相対して、見回すとみたことない家にいたのだった。戦国の世に身を落ち着けた大和の居宅であった。
「結婚式あげて、サムシングうんたらするってさ」
事情を聞いた大和ははーと特大のため息をついた。長く伸びた髪が顔を覆って、表情が窺い知れなくなる。
「大和、姫を幼少から知る君だから、頼みたいんだ」
「つーか、本当にいつもお前ら突然すぎ。わけわかんないこと言われるこっちの身にもなれよな」
「ああ……」
「七緒にだって言ってやりたいこといっぱいあるし。こうやって夢枕に立てるくらいならさ」
「……」
「もっと早く会いに来いって思う」
言葉を返せなかった。今大和がどんな顔をしているのか見えないことが歯痒い。
「大和」
「そりゃさ、神様にも事情があんだろうけど」
「……ものを借りるのは古くから伝わる習わしだと聞いた。おそらく、’人から借りる’約束が結ばれたんだろう」
「言霊っていうんだっけ。そういうの」
言霊、と噛み締めるようにもう一度呟いた。そうして顔を上げた大和は泣くでもなく、怒るでもなく、幼児が大事に握りしめた宝物を嫌々差し出す時のような仏頂面をしていた。
「じゃあ、それ貸すから」
「!!」
「俺が覗いた時は、一番みたい景色を見せてくれた。ご利益ばっちり」
「ありがとう」
「ただし、貸すだけだから。絶対返しに来いよな」
「わかった。恩に着る」
そうして手渡されたのはオペラグラスだった。