処刑された美少女 ナチス戦犯イルマ・グレーゼ
1945年12月13日朝、22歳のドイツ人女性イルマ・グレーゼがハメルンの刑務所で絞首刑となった。敗戦後まだ半年ほどであり、最も早い時期に処刑された戦犯である。
死刑判決を受けたのは、11名(女性3名)に死刑判決が下ったベルゼン戦争犯罪裁判である。少女時代は看護婦志望で、戦時中は無名の収容所監視員であったグレーゼは、所長クラマー(ベルゼンの野獣)などと共に、「金髪の悪魔」として歴史に名を残した。
グレーゼの主な罪状は、①囚人への殴打、②囚人に犬をけしかけたこと、③その他の虐待、④射殺、⑤ガス室送りのための「選別」の関与に整理される。
アウシュヴィッツの収容者であったユダヤ人オルガ・レンギルは、その経験をつづった『五つの煙突』で、グレーゼの容姿と性的嗜好について次のように記している。ただし現在は、この本の信頼性は著しく低いとされている。文章内に伝聞・感想・想像しかない点に注意。後のナチス・ポルノの元ネタにもなった。
「イルマ・グレーゼを目撃したとき、このように美しい女性が残酷であるはずがないと感じた。彼女は、まさに青い目をした、髪の毛の整った『天使』であったからである。」 ...more
「何度も繰り返しているので不思議に思われるかもしれないが、彼女は非常に美人でした。彼女の美しさは際立っていたので、彼女が訪れることは点呼とガス室送りの選別を意味していたにもかかわらず、収容者はまったくうっとりとしてしまい、彼女を見て、『なんと美しいのだろう』とささやいてしまいました。」
「グレーゼは女性でありながら、両刀使いであった。彼女のメードであった私の友人は、イルマ・グレーゼが収容者とたびたび同性愛的関係を持ち、その後で、犠牲者を焼却棟に送るように命令していたと教えてくれた。」(注・ナチス政権下ではユダヤ人との性交渉は重罪だった。男性同性愛者に対する収容所での虐殺も数多く記録されている。この部分は創作とみるべきだろう)
「イルマは、男性の標本のような、このすばらしい男、ハンサムなグルジア人を見て、アジアの君主のように、自分のものにしようとした。彼女は、自分の部屋に来るように命じた。しかし、この自尊心の高い若い男性の精神は、囚人になったことによっても、イルマの悪名によっても、まだ砕かれていなかった。そして、彼女の意志に屈することを拒んだので、イルマは、彼の恋人への拷問を強制的に目撃させることによって、彼を自分の奴隷にしようとしたのである。」
イルマ・グレーゼは、「ベルゼンの美しき野獣」として1945年12月13日朝、 2名の女性とともに処刑された。
イギリス軍の処刑執行官アルバート・ピアポイントによると、名前を呼ばれたグレーゼは「房からでてきて、微笑みながらわれわれのほうにやってきた。誰もが会いたくなるような素敵な少女であった。」年齢を尋ねられると、ごく普通の女性のようにためらいの表情を浮かべつつ、「微笑んだ」。絞首台の階段を上るように求められた時の最後の言葉は、「Schnell(早く) 」であったという。
現在の主流の歴史研究では、銃殺・選別関与などに関する証言の一貫性と量は、グレーゼの死刑判決を支えるのに十分な水準と見なされている。しかし、グレーゼの墓には今も献花が絶えないという。
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2枚目の画像は戦犯裁判の記録写真を彩色しアニメタッチにした。3枚目の画像は象徴画。グレーゼはアウシュヴィッツで処刑されたのではない。4枚目の画像は、遺されたイルマ・グレーゼの写真を彩色しアニメタッチにした。
日本語の資料では、最後の言葉 Schnell を「さっさとして」などと訳す例がみられた。Schnell は「早く」「急いで」の意である。「さっさとして」という訳には、原語にはない苛立ちや尊大さのニュアンスが加えられている。
日本語版Wikipediaでは、わざわざケモノじみた見栄えの悪い画像だけを掲載している。2026年8月時点の記事本文では、出典の無い性的・猟奇逸話や感情表現が多い。裁判資料の批判的検討や個々の逸話に対する異説はほとんど提示していない。処刑日すらも複数箇所で誤っている(誤1945年12月3日→正12月13日)。
引用・参考資料
加藤一郎「イルマ・グレーゼ――『美しき野獣』か『偽証の犠牲者』か:戦争犯罪裁判のテキスト・クリティーク」『言語と文化』第14号、2002年。
X: https://x.com/needle_loverXXX

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