夜ながら、開け放ったままの窓からは、春の心地よい風が入り、江澄の火照った頬をなでていく。
見れば床には空いた甕が三つも転がり、つまみにと出された煎り豆や豆腐は皿にわずかばかり残るのみ。
江澄は四つ目の甕を抱えながら杯を傾けた。
常であれば窓から月を仰いでいるところだが、今夜は向かいに「おいしいですね!」と笑う男がいた。
「あなたは天子笑がお気に入りのようですが! 私は! 雲夢のお酒もとても好きです!」
「そうだな、わかった」
「おいしいです!」
「口に合ってよかった」
「とても好きです!」
「俺もこの酒は好きだな」
「おそろいですね!」
酒を一口飲んだ後から、藍曦臣はずっとこの様子だった。
酒精を金丹で消さずに飲み明かそうと江澄が約束したのは、まだ藍曦臣が閉関の最中のこと。何度か見舞う内に友のような間柄になり、閉関を解いた後も、不思議と縁が続いている。
「江澄がお好きなお酒はすばらしい味わいです!」
「天子笑も類を見ない銘酒だろう」
江澄が杯を掲げて言えば、その銘酒を甕で三つも持参した男は赤い顔を袖で隠して「そんな!」と首を振った。おそらく照れているのだろうが、それにしては声が大きすぎた。江澄は負けないほどの大声で笑い、甕から杯へと酒をそそぐ。
「こんなふうに! 夜を過ごすのは! 初めてです!」
「そうなのか」
「友と! 二人で!」
「ああ……、そうだな、そうだろうな」
「良いものですね!」
藍曦臣は最上の笑顔を江澄に向けた。
夜も深まり、月は屋根の上。
室内を照らすのは燭台の灯だけだというのに、その笑みが輝いて見える。
江澄は甕に残っていた酒をすべて胃袋に流し込み、藍曦臣の隣に座った。
「なあ、俺たちはだいぶ酔っているだろう」
「ええ! 私も! あなたも!」
「だったら、もうひとつくらい、めったにないことをしてみないか」
藍曦臣に誘いをかけつつ、江澄はこらえきれずにのどで笑った。魏無羨なら「ひとつなんて言うなよ」と二つ、三つとしかけてきそうなものだが、今日の相棒は清廉潔癖な藍家の宗主である。
ふと、風が灯を揺らした。
「おもしろそうですね!」
「よし、それなら待ってろ」
江澄が立ち上がると、藍曦臣も同じように立った。江澄はもう一度待つように言ったが、聞き入れてはもらえなかった。
「友なので!」
「そこはせめて共犯と言え」
「罪を犯すのですか?」
「違うが……、まあ、いい」
ついてこい、と江澄は寝室へと入った。目的は毛織物の上掛けだった。
魏無羨や聶懐桑とはたびたび酔っぱらったまま同室で寝ることがあった。藍曦臣が絶対にやったことのないような床で寝るという不作法をして、明日の朝、背中や腰が痛くなったところを笑うつもりだったのだが。
しかし、自分の牀榻までやってくると戻るのはひどく億劫だった。
「おい」
「なんでしょう!」
「ここだ」
江澄はぽいぽいと沓を脱ぎ捨てると牀榻に上がった。藍曦臣はきょとんと江澄を見つめていて、自分が何に誘われているのか、まだ理解していないようだった。
「おい、もたもたするな。さっさと来い」
「ですが、ここはあなたの……!」
「いいから! 誰かと寝るなんて、めったにない」
江澄が寝転がって両腕を広げると、藍曦臣はためらいつつもその腕の中におさまって、両手で顔をおおった。
「どうした」
「は、初めてで! 緊張を……!」
「俺も、こんなにでかいのとは初めてだな」
「小さい方とは経験があるのですか!」
「……もう、何年も前にな」
突然、藍曦臣は片手を江澄の背中に回して、体を引き寄せた。ぎゅうと抱きつかれて、江澄は思わず笑った。
ひどく、なつかしいあたたかさだった。