書きたいもののためならば【書きたいもののためならば】
「……小説が書けないんだよ」
「そういうこともあるさ。休むのは大事だ」
「締め切りは今日だっただろう」
「急いで書かないといけないやつだな」
とある店の二階の一室にて、坂口安吾は内田百閒と檀一雄、島田清次郎に対して話した。部屋の一室は和室であり、
四人は座布団に座ってちゃぶ台を囲んでいる。四人が話していると階段を上る音が聞こえた。
「間に合うのか? こんなところで休んでいて」
「書けねえもんは仕方がねえだろう。推理小説を書いていたんだが上手くできなくな」
呆れるようにして言ったのは中島敦の裏人格だ。両手で両手もちの鍋を持っている。鍋にはおたまが入っていた。
鍋の上には鍋敷きが置いてあり、鍋敷きをちゃぶ台の上にのせてから鍋を置いた。
彼は鍋を置いてから階段を下りていく。清次郎が鍋を開けた。
「これがボルシチか」
「中島の裏人格の方が店で出しているものだな」
「貴君、面白そうだが貴君は文豪で一番料理が上手いという。店をしないのか」
「たまに商店街で出店をしてほしいとか、帝国図書館のイベントではやってはいるんだが」
鍋の中にはボルシチが入っていた。ロシアの料理である。この建物は帝国図書館が所有している建物であり、
志賀直哉が使っている。二階建ての古い建物だ。昔に会ったある出来事によって志賀は商店街にあるこの建物で
週に何回か店をやっていた。当初はこの建物は別の者が使っていて志賀は週に何回かバイトのような状態で店をしていたが、
後に店主が離れたところで店をするというので建物ごと購入したという。
話を聞いていると中島の裏人格が皿とフォークとスプーンと箸、さらには炊飯器を持ってきていた。
「飯で食うのか。ロシア組はパンで食ってるぞ」
「白米でいいんだよ」
「飲み物はジュースがあるね」
「酒を飲むな。お前は原稿をするっていうから、貸してるんだぞ」
ボルシチを白米やジュースで食べる。彼はすぐにまた階段を下りてサラダも持って来た。
栄養バランスが取れているなとなる。
志賀が運営している店だが週に一度は中島の裏人格の方がカフェをやっている。カフェの方は好評らしい。
一階部分で客を迎えているのだが今日は特別に二階を貸してもらった。
安吾が小説が書けない気分転換がしたいと言っていたら百閒が誘ってきて、暇そうにしている清次郎も誘われ、
何処かに出かけようとしていた檀も誘われて商店街を散策していると檀が店のことを思い出して訪ねたのだ。
ちなみにボルシチは裏人格が出しているメニューだ。
ロシア料理だとは思っていたが元々は隣国であるウクライナの料理であり、家庭で味が違っている。
具沢山のスープ料理だ。
「代金は司書越しに伝えて給料から天引きしておいてくれ」
「それが一番確実だからな。何かあったら内線でよべ」
「律儀だ」
安吾が代金について話しておく。彼等を転生させた特務司書の少女に頼んでおけば給料から引いてくれるのだ。
それならば確実に払うことが出来た。
清次郎が言う。
裏人格が部屋を出て四人が残された。檀がボルシチを皿に盛りつけている。四人で食卓を囲んでいた。
「俺もボルシチを作ってみるか。食堂が止まる日の食事志賀さんに任せるとカレーになるからな」
「あの人は太宰にカレー道はちょっとじゃ究められねえんだよとか言っていて文学じゃねえのかよとか言われていたな」
「店とかやっていたんだな。志賀」
「いろいろあってな」
安吾はこの中で一番最初に転生をした。文豪が三十五人そろって少ししてから転生したので図書館では古株の方に入る。
志賀が店をやりだした事情も知っているしそれには安吾の著作もかかわっていた。とはいえ、志賀がカレーが大好きになり
彼に料理を任せると指定をしない限りはカレーになるのはどうにかならないかとは大半の文豪が思っていた。
ボルシチが盛られていただきますをする。
「何処で詰まっているんだ? 小説の方だが」
「後の展開だ。主人公は食道楽の探偵で、助手が下のパーラーでバイトをしている女学生。ある日洋食店で事件が起きて……」
「アンタ、探偵小説も書いているんだな」
「書いているぞ」
安吾と言えば堕落が有名であったり『桜の森の満開の下』を書いているが、探偵小説も書いていた。正統派の探偵小説を好む。
探偵がいて、事件が起きて、解決をするというものだ。導入部分が書けたがその後が書けなくて放置をしていたら、
締め切り当日となっていた。
「食道楽でも食べるのが好きだったり、作るのが好きだったりするな」
「舞台は? いつだ?」
「大正だな」
「モダンな……」
大正時代、明治の次の時代であり、入ってきた西洋文化が日本風に咀嚼されて行った時代だ。和装もそうだが、洋装も流行した。
モダンだと清次郎が言う。大正と言えばモダンだ。モダン、現代風ということだ。
「このボルシチは美味しいな。これを作るためには特殊な野菜がいるというが」
「ビーツだな。図書館で育てている」
「何でもやってるな……この図書館」
「やりはじめたともいうが」
安吾はかつての図書館を思い出す。
百閒と檀、清次郎よりも自分は先輩だ。畑だって着実に広げていったし、庭もそうだし、敷地内にある建物も活用していた。
さらに賑やかになったのには時間がかかった。
「食道楽が探偵ならばボルシチを作ったり食べたりしているのか」
「作るのは助手の方で探偵は食べる方だ……それで行ってみるか」
「おっ、筆が進むかい? 今日一日はここを借りられたから貴君は執筆をするといい」
「俺は一階を手伝うか。忙しい時は忙しいみたいだし」
「……俺は、ここの本棚の本でも読むか」
清次郎の言葉に安吾は先の展開が浮かんだ。締め切りは伸ばしてもらえるが守るところは守った方がいい。
百閒が笑いながら話した。檀は裏人格の手伝いをすることにしたらしいし清次郎は本を読むことにしたようだ。この四人は教科書の
潜書をする時に一緒になったがこうやって付き合いが出来たのはいいことだと安吾は想う。
「書ききってやるぜ。締切までに」
「よし。頑張れ」
ボルシチを食べてから安吾は小説を執筆することにした。
【Fin】