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    nanami_nana7

    小説と絵

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    nanami_nana7

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    マイ武家族アンソロジーに寄稿したものです。
    マイ武の息子がマイと喧嘩してちょっと大人になる話。

    ##マイ武

    持ち帰りで、みっつ 空手着の少年が、ダンと床を踏み鳴らした。
     磨きこまれた床は瞬時に音を轟かせるも、すぐさま音を吸いとって何ごともなかったかのように静まりかえる。
     稽古中の少年少女がみな一様に蹴りの姿勢でピタリと止まり、音の発生元へ惜しげもなく視線をそそいでいた。
     そこへもうひとつ、少年は足を叩きつけた。
    「もうヤだ!」
     空色の目に涙を浮かべて、身体の両脇につくった拳をフルフルと震わせている。
    「はあ? もう終わりかよ」
     ダン!
    「うっせ! もうやりたくねえ!」
     万次郎は床に膝をついて、少年の着崩れた空手着を直し、やおら立ち上がった。
    「できねえからってキレんな。ほら、もう一回かまえてみ?」
     少年の両手を取り、構えの位置に誘導するも、少年はブンと振り払った。
    「何回やったってどうせできねえもん!」
    「できるって。諦めんな」
    「できねえもんは、できねえんだよ!」
    「カンタンに決めつけんなって。まだ練習しはじめたばかりだろ」
     少年は、小学三年生にしても小柄なその全身をわなわなと震わせ、今にもあふれそうな涙をせき止めるようにギュッと目を閉じた。そして意を決したように口を開いた。
    「シハンの息子ができねえからヤなんだよ!」
     師範は佐野万次郎、このご立腹少年の父である。
     万次郎は祖父から道場を継ぎ、今や近所の子ども達に空手を教える日々を送っている。自分も否応なしに習わされたように、当然と息子にもさせているわけだが、どうにもうまくいかない。オレが子どものころはこんなに難しかったっけ? 遊ぶこととサボることしか考えてなかったような。
     ツンとそっぽを向く優太の顎を掴んで真っ直ぐ向かせ、万次郎はジッと見据えて口を開いた。
    「息子とかそんなん関係ねえだろ」
    「あんだよ!」
    「ねえよ」
    「マンジローなんかもう知らねえ!」
    「はあ?」
    「こんな家、もう出て行ってやる!」
     少年は、掴むように伸びてきた万次郎の手をヒラリとかわし、脇目も振らず駆けだした。
    「おいコラ待て、ユータ! またオレがタケミっちに怒られ――」
     少年は道場の入り口でくるりと振り向き、一礼、上体を起こしざまにイーッと歯をむき出し、一目散に飛び出していった。
     ハアと深いため息をつく万次郎に、「まーた親子喧嘩ぁ?」「よくやるよなァ」と子ども達がわらわらと集まってくる。
     そこへ、
    「マイキーは大人げないのよ」
     と、ポニーテールの少女が豊かな黒髪を揺らして、群がる子ども達の間にグッと身体を割り入れてきた。姪の龍宮寺エリである。
    「できなくてもいいんだってマイキーに言ってほしいの、ユータは」
     エリはませた表情でツンと顎を上げ、やれやれといった調子でかぶりを振った。ポニーテールがゆらゆら揺れる。
    「どうせウチに泊まるんでしょ? しょうがないから、帰るときユータの着替え持っていってあげる」
    「わりぃね」
    「いいのよ、マイキーの尻拭いなんていつものことだし」
     万次郎はいつかの親友を見ているようだと内心苦笑し、小さな頭を撫でた。
    「エリがいてくれて良かったよ」
    「そのかわり、ユータが謝ってきたら、ちゃんと許してあげて。それから抱きしめて大好きって言ってあげるのよ」
     ムン! と胸を張るエリに、やっぱりエマ似かな? とまた胸中苦笑いする万次郎だった。
     
    ***
     
     ユータこと佐野優太は、万次郎と武道の一人息子である。
     くせっ毛をフワフワと風になびかせながら、優太はしかめ面で裏路地を走り抜け、小さなバイクショップに駆け込んだ。
    「シンイチロー!」
     ツナギ姿の店主が「おー」と咥えタバコで振り返った。「ユータか」
     青い瞳いっぱいに涙を溜め、空手着の肩をぶるぶる震わせる甥を見やり、真一郎は傍らの灰皿でタバコをにじり消した。グローブを外して立ち上がる。
     見計らったかのようにユータは走り出し、真一郎の懐に飛び込んだ。
    「どうした、またマンジローと喧嘩したのか?」
     ユータはズッと鼻をすすり、真一郎の腹に顔を埋めたままコクリと頷いた。
    「だってオレぇ……マンジローみたいにできねえのに……」
     それだけで一連の成り行きを察した真一郎は、汗で湿った小さな頭を撫で、両手でそっと包み込んだ。
    「シハンの息子なのに下手くそって、みんな言うんだもん!」
    「あー……」
     真一郎は優太の後頭部を撫でながら、オレもよく言われたなと遠い目で天井を仰ぐ。
    「なんでマンジローはできるって言うんだよ……できねえのに!」
     ついに堰を切ったように泣きじゃくりはじめた優太を抱き上げ、重くなったなあと軽口を叩く。すかさず、しがみつくように足を絡めてくる優太に真一郎は幼い日の万次郎を重ねて静かに微笑み、かつて万次郎にしてやったように背中をポンポンと軽く叩いた。
    「優太は空手好きか?」
     ずずっと鼻をすすり、少し間を置いて真一郎の肩にグリグリと顔を擦りつける。
    「すきぃ……」
    「そうか」
     真一郎はニコリと笑って優太を床に下ろし、頭にポンと手を置いた。
    「ジュース飲むだろ? 座って待ってろ」
     ユータは項垂れたまま、ときおり鼻をすすり、ひっくり返したビールケースに腰をかけた。
     それから、優太はオレンジジュースを飲みながら、バイクをいじる真一郎の背中をジッと眺めては、くゆる煙を目で追った。そうして、ふとした拍子になにかを思い出したのか大きな背中に抱きついて、肩越しに器用に動く真一郎の手元を見つめた。
     真一郎は空手着が汚れるぞと言いながらもタバコを消し、嬉しそうに笑っている。
     優太は、叔父の真一郎が大好きだ。春の日だまりのような、真一郎の温かさに触れると胸がぽかぽかして優しい気持ちになれる。
     そんなこんな真一郎に甘えているうちに、入り口の自動ドアが開いた。
    「真兄~! ユータ受け取りにきた~」
     いとこのエリだ。赤い道着袋の他に、見慣れた青いリュックを肩にかけている。お泊まりの時に使うリュックだ。十中八九、優太の着替えが入っている。それが目に入った瞬間、優太は跳び上がった。
    「エリん家泊まっていいの⁉」
    「なによ、家出するって自分で言ってたじゃん」
     そうだけど……と優太は口ごもり、真一郎のツナギをキュッと掴んだ。
    「ユータ、よかったじゃねえか。エリん家着いたら、タケミチに電話しとけよ。心配するからな」
    「ウン……」
     武道に心配をかけると思うと、それだけで心臓がキュッと縮こまる。
     ほら帰るわよ、とエリに引っ張られるに任せて歩き出し、「シンイチロー、バイバイ」と振り返って手を振った。

     日が暮れ始め、ちらほらと子ども達が帰路につくつかの間、通りは別世界のように静まりかえる。
     いつもなら、ハズイヤメロとすぐに手を離す優太だが、繋いでいることさえ忘れているかのようにトボトボと手を引かれて歩いていた。
    「ユータのこと下手くそって言ってたやつ全員ぶっ飛ばしてやったから」
    「は⁉」と優太は弾かれたように顔を上げた。「なに勝手にやってんだよ!」
    「だってムカついたんだもん」
    「やめろよ! 女にかばわれてるみてえでダセエじゃん!」
    「ユータがやんないからでしょ!」
    「だって……オレがやったら……」
     と唇を噛みしめる優太に、エリは複雑な顔で唇をむずつかせ、口を開いた。その時だった。
    「オマエ、七小のユータだろ」
     中学の制服を着た男が三人、今時珍しい腰パンでポケットに両手を突っ込み、肩をいからせて歩いてくる。
    「なによ、アンタたち――」
     と前のめりになるエリを背中に隠し、優太は一歩前に出た。
    「だったらなに」
     優太の顔からスッと表情が消えた。輝く瞳からも一切の光が失せ、明るい色合いを深く沈ませる。
    「こないだはどーも、ウチの弟が世話になったようで」
    「弟? だれそれ」
    「六小の――」
    「知らね。で、なんの用?」
     三人組の真ん中に立っている男の額にヒクリとミミズのような血管が浮く。
    「テメエ……」
    「用がねえならそこどけよ」
    「ガキがチョーシこいてんじゃねえぞ!」
     ザッと優太の靴がアスファルトを蹴った即下、叫びながら殴りかかってきた男の頭上に白い光が走った。次の瞬間、男の頭が背後へひっくり返り、でかい図体は頭の付属物として力なく追従する。
     先ほどまで男が立っていた場所に優太が着地し、残された二人が呆然と立ちすくんでいるその間に男が倒れた。
     優太が跳び、男の顎を蹴り上げたのだ。
    「言っとくけど、セートーボーエーだかんな。先に手出してきたのはソッチだし、オレより強そうにみえた」
     よってこれは弱い者いじめじゃない、と優太は胸の前に掲げた両手をヒラヒラと振る。
    「どうするよ。セートーボーエー続けるべき?」
     ジリ、と靴底をアスファルトに擦りつけるように右足を出すと、そのぶん二人は律儀に後退する。もう半歩つま先を出し、腰を落としかけたとき、
    「オイ、オマエらなにやってんだ」
     と野太くも、余裕を残す程度かすかに間延びした声が背後から聞こえてきた。
     振り返ったエリが駆けだした。
    「パパ!」
     エリの嬉しそうな声につられて優太も振り向いた。この隙にとでもいうように男どもは、倒れた男を引きずって逃げ出していく。優太はそれを尻目で確認して、父親に抱きつくエリに視線を戻した。
     エリの父・龍宮寺堅は傍らに転がっていた道着袋とリュックを拾い上げ、軽く叩いて肩にかけた。
    「ぶっ倒れてたやつがいたけど、ユータがやったのか?」
    「ウン!」と優太でなく、エリが跳びはねた。「そうなの、ユータがね、ビュンって跳んでね、それでね、それでね、」
     と興奮して喋りはじめるエリに状況説明を任せ、優太は裾を引っ張って着崩れた空手着を直す。
    「相手のやつら、けっこうデカかったな。制服だったし、中学生だろ」
    「たぶん」
     横に視線を流し、優太は人差し指でポリポリと側頭部を掻く。
    「マイキーと出会った日を思い出すよ」
    「マンジローと?」
     堅は真っ直ぐ見上げてくる頭に手をポンと置き、当時の自分たちより幼い二人を携えて歩き始める。
    「マイキーは、〈無敵のマイキー〉なんて呼ばれててな」
    「うへえ。んだそれ、ダッセ」
     甥の呆れ顔に堅は苦笑し、言葉を続ける。
    「無敵だったんだよ、マイキーは。誰よりも喧嘩が強かった。オマエみたいにな」
    「フーン。父ちゃんは?」
    「ん?」と堅が片眉を上げる。「タケミっちが喧嘩強いと思うか?」
    「オモワナイ。父ちゃん、ヒョロヒョロだし、すぐ泣くし」
     堅は暮れかけた空に向かってハハッと笑い、甘えて腕にしがみついてくるエリを片腕で抱き上げた。
    「喧嘩は弱いけど、タケミっちは強えぞ」
     意味がわからず、キョトンと堅を見上げる優太の頭をワシャワシャ撫で、それから小さな胸にトンと拳をあてた。
    「ここがな。誰よりも強い」
    「しんぞう?」と、またしても首を傾げる優太にニヤリと笑う。堅は優太の小さな肩を引き寄せた。
    「ユータ。オマエ、またマイキーと喧嘩したんだってな」
     優太は瞬時に顔をカッと赤くして、眉をつり上げた。
    「だって! いくらやってもできねえから、できねえって言ってんのに! できる、諦めんなって言うんだぜ、あのクソ親父! なんっにもわかってねえ!」
     堅は、ククッと喉で笑い、ずり落ちる荷物を肩にかけ直した。
    「そういうところマイキー譲りだよな。お前らは、自分にできることと、できないことを感覚でカンタンに選り分けちまう」
    「んだよ、マンジローのやつも人のこと言えねえんじゃねえか」
    「まあ聞け。なあユータ。マイキーは今でこそ師範だけどよ、もともと武道(ぶどう)なんて崇高なもんに身を置くようなタマじゃねえんだぜ」
     ポカンとするユータにニッと歯を見せ、堅はエリを抱え直す。
    「地道な稽古は嫌いだし、昇段試験にも興味は無い。たまに道場に顔を出したと思えば、悔しがるバジの顔見たさに自慢げに難しい技を披露してたらしい」
    「げ。ケースケ君かわいそー」
    「道場を継ぐ継がないの話が出たとき、『オレにはできねえ、無理だ、向いてねえ』って散々駄々こねてよ。そんな武道(ぶどう)の精神の欠片もなかったマイキーがどうして師範になれたと思う?」
    「協会のジジイを脅した!」
     ピンと挙手して応える優太に、堅は、ぷはっと吹き出した。ありえそうなのがなんとも……とひとしきり笑い、じゃなくて、と声を改めた。
    「タケミっちが、『マイキー君なら絶対にできる』って諦めずに信じ続けたからだよ」
    「父ちゃんが?」
    「ああ。オマエの父ちゃんは絶対に諦めない。スゲえことなんだぜ、ユータ。諦めねえってのは、つれぇし、苦しいし、悔しい、何度やってもうまくいかない自分が情けなくて投げ出しちまいたくなる、そんな自分に打ち勝つことなんだからよ」
     いつもは万次郎そっくりにボンヤリと緩められている双眼の奥、武道譲りの青い瞳を力強く輝かせ、いつかの万次郎を彷彿とさせる顔で、グッと奥歯を噛みしめ考えこむ優太に、堅は柔らかく目を細めて言葉を続ける。
    「マイキーも『ユータならできるって信じてる』と言いたかったんだと思うぜ」
    「ケンチン……オレ……やっぱ帰る。もっかい稽古してみる……」
     思いつめたように俯く小さな頭をガシガシとかき混ぜ、
    「よーし、じゃあ送ってくか」堅はポケットからスマホを出し、エリに渡した。「エマにユータの晩飯はキャンセルって電話してくれ」
     もしもしママァ? というエリの声を聞きつつ、揃って踵を返しかけたとき、下りはじめた夜の帳を吹っ飛ばすかのような明るい声が聞こえてきた。
    「ユータ!」
     通りの向こうから手を振りながら駆け寄ってくる人影に、優太は思わず跳びはねた。優太のもう一人の父・佐野武道だ。
    「父ちゃん!」
    「ドラケン君にエリちゃんも」と、武道は堅に会釈し、エリに微笑みかける。
    「タケミっちは仕事帰り?」
    「そうっス。ドラケン君もっスか?」
    「まあな。そこでユータとバッタリ会ってな、もう暗いし送っていこうとしてたところ」
     堅は、優太に目配せして着替えの詰まったリュックを渡した。
    「わざわざすみません。ユータ、帰ろうか」
     いつもは恥ずかしいからと嫌がるくせに自ら手を握ってきた優太に驚きつつ、武道は小さな手を愛おしげに握りかえした。堅に頭を下げる。
    「じゃあまた。エマちゃんによろしくお伝えください。エリちゃんもバイバイ。また道場でね」
    「おう、気をつけて帰れよ。ユータ、今度泊まりに来いな」
     ウン、と頷く優太に、エリは「また明日ね!」と手を振る。
     優太と武道は踵を返し、繋いだ手をブンと振った。
     遠くの空に星がチラチラ瞬きはじめた。
     赤信号に足を止めるとちょうど武道のスマホが鳴った。画面を確認し、「マイキー君だ」と言って耳につける。
    「もしもし。今ね、ユータと一緒に帰ってるとこ。ウン。ホント? やった、楽しみにしてる。ン、ありがと」
     終話し、武道は優太にニイッと笑った。
    「今晩はマイキー君がカレー作ってくれるってさ」
    「えぇーマンジローのカレー甘えんだよなあ。父ちゃんが作ってよ」
    「そういうこと言わない」
    「だってさあ」
    「ユータ」
     と武道が語気を強めてかぶりを振ると、優太はふくれっ面のまま、「はあい」と口を尖らせる。
    「父ちゃん」
    「ん」
    「来月の昇段試験、オレ、がんばる」
     武道は、ふふっと笑い、小さな手を握りしめる。毎日握っていても気づかないのに、ふとした瞬間、「大きくなったなあ」と思い知らされる不思議な手だ。いつかこの手で、武道や万次郎に負けない大きな幸せをしかとつかみ取るだろう。
     そのときがやってくるまで、この小さな身体いっぱいにオレたちの愛をありったけ、ギュウギュウに詰め込んでやるのだ。
    「優太がいつも頑張ってるの、父ちゃんもマイキー君もちゃんとわかってるよ」
     だから大丈夫、と武道が微笑むと優太は嬉しそうに頬を上気させて、繋いだ手をまたブンと振った。
    「父ちゃん!」
    「なあに」
    「あのさっ、たい焼き買ってこ!」

     
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