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    名塚@natsuka0331

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    名塚@natsuka0331

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    「音楽探偵」(にょたゆり忘羨)の小説パートです。
    全年齢ですが殺人事件、流血描写などがあります。

    ※漫画の方にも全く同じものが画像で入っています
    こちらの方が読みやすいかもしれないので、しばらく置いておきます!

    音楽探偵 最初の事件音大探偵 最初の事件


    「お前が殺したのか」
     魏無羨は首をぎこちなく動かし、声の方向を見た。座り込んだひざに濡れた感触。思わず膝を浮かすと、ぴちゃ、という水音がやけに大きく響いた。
    「誰か! 誰か来てくれ!」
     大声で人を呼ぶ声は、音としては聞こえたが頭の中で意味にならなかった。自分の手にべったりついた血のぬるつきと、目の前に横たわる人間の死体以外に意識を向けることができなかったのだ。
     呆然自失の魏無羨を見て、彼はその場を離れる判断をしたらしい。ゼミ室の扉を開けたまま黙って走り去ったのは、人を呼ぶためだ。
     魏無羨は血まみれの手でスマホを取り出し、数回タップしたが水分が多すぎて反応しない。音声認識でなんとか通話を始める。呼び出し音は1コールで途切れ、低く涼しい声が聞こえた。
    「魏嬰?」
     魏無羨は叫んだ。
    「藍湛! 助けて!」


     どうしてこんなことになったのか。今日は大学で初めて授業を受ける日である。憧れの音楽大学に入ったばかりの自分が、なぜ手を血まみれにして死体の横に座り込んでいるのか。魏無羨にはなにひとつわからなかった。
     魏無羨は授業が楽しみで寝過ごし、時間ギリギリに講義室へたどり着いた。間に合ったとほっとして扉を開けようとした瞬間、後ろから声をかけられた。驚いて振り向くと、「きみ、この授業受けるの?」と聞かれる。スラックスをはいた若い男性だ。名札をぶら下げているから職員なのだろうと魏無羨は思った。はいと答えると、先生が少し遅れること、授業に使う資料を運んでくれる学生を探していることを聞かされた。
    「わたしがお手伝いしましょうか?」
     魏無羨は何の疑問も抱かずに言った。そして指定されたゼミ室に入ると、そこには血まみれの誰かがいて、魏無羨の腕にとりすがり、たすけて、とつぶやいたきり倒れたのだった。
     魏無羨は死ぬほど驚いたが、血でぬるついた手をシャツにこすりつけてから、スマホで救急車を呼んだ。怪我人は若い女性で、確認するとごく弱いが呼吸はあった。
     胸元に目出つ傷があり、まだ血が流れだしていた。しかし上半身がほとんど血まみれであるところを見ると、胸だけでなく他にも傷がありそうだ。着衣はワンピースで、捲り上げて傷の場所を確認するのは困難に思われた。服を切って傷口を確認したほうがいいのではないか? 怪我人に大声で声をかけながら、はさみがないか周囲をうかがったが見当たらない。ふと、部屋の隅に血の付いたサバイバルナイフが落ちているのが目に入った。凶器だ、と思ったが手近な刃物はそれしかない。素早くナイフを拾い、「服を切りますよ!」と宣言してワンピースの布をつかんだ瞬間、彼女は激しく血を吐き、明らかに絶命した。魏無羨は呆然として動けず、血を浴びてナイフを持ったまま硬直した。
     そして今度はまた別の誰かがゼミ室の扉を開け、大声で叫んだあとに「お前が殺したのか」と言ったのだ。
     藍湛……古い知り合いの藍忘機とは、数日前に再会したばかりだった。入学式で新入生代表挨拶をしているのを見て、魏無羨は驚きのあまり、挨拶のあいだずっと開いた口が塞がらなかった。どうしても声をかけたくなり、式の後に探し回って、帰る寸前だった藍忘機をつかまえた。藍忘機は中学の同級生で、クラスは違ったが風紀委員だったため、素行の悪い魏無羨は何度となく追いかけ回されたものだった。女子の中では際立って背が高く、整った涼しい容姿の藍忘機は高根の花だったが、魏無羨は面白がってよくちょっかいをかけていた。
     声をかけられた藍忘機は一瞬呆然として、それから魏無羨の腕を痛いほど掴んだ。ぎっと音のしそうなほど睨まれ、自分が中学生の頃、どれだけ滅茶苦茶をやったか思い出して、魏無羨は苦笑した。
    「なんだよ、まだ怒ってるのか?」
    「君は問題ばかり起こしていた」
     藍忘機は淡々と言う。
    「教室でコーラを爆発させたり」
    「……」
    「私を体育倉庫に閉じ込めたり」
    「一緒に出られなくなったじゃないか!」
     わはは、と思い出して笑う魏無羨。
    「駅前の盛り場で喧嘩をしたり」
    「あ~」
     同級生がガラの悪い男共に絡まれているのを助けようとして暴れたら、知らないうちに警察沙汰の大騒ぎになったのだ。
    「でもあれは、人助けだよ」
    「悪いのは、助けを呼ばず一人で暴れたことだ」
    「……」
     藍忘機は軽く首を振り、低い声で凄んだ。
    「それはもういい。魏嬰、なぜ黙って転校したんだ。きょうだいの江晩吟にさえ連絡もしなかったそうだな」
    「お前には関係ないことだから黙っていただけだよ。それにもうその件は終わった。だから好きなことを勉強しに来たんだ」
    「音楽を?」
    「そう。ずっと習ってたフルート、ちゃんと勉強したくて」
     魏無羨が言うと、藍忘機はきつく握ったままの手を放した。
    「君は何かというと一人で解決しようとする。もっと他人を頼りなさい」
    「わかったよ」
     苦笑して応えると、藍忘機は優雅な動作でスマートフォンを出した。「IDを教えるから、何かあったら連絡して」
     まさか、こんなに早く「何か」あるなんて思うわけがない。すぐ行く、と言って藍忘機が通話を切ったあと、急に血の匂いを感じて気分が悪くなった。この人を助けなければと思ったが、何ができるでもなかった。手が血だらけで鼻を押さえることもできず、ただゆっくりと息を吐いた。緊張しすぎていたのか、手が震え出し、頭がくらくらとしてくる。
    (あ。倒れるかも)
     視界が白くなり、ぐらりと体が傾いた瞬間、
    「魏嬰!」
    藍忘機が勢いよく扉を開け、ゼミ室に入ってきた。魏無羨は床に転がる寸前に体を支えられ、頭を打たずに済んだ。
    藍忘機は本当にすぐやって来たのだった。人を呼びに行ったあの学生よりも早く。
    顔色を変えて魏無羨を凝視した藍忘機は、部屋の惨状を一瞥し、素早くしゃがみ込むと、真っ白なハンカチで魏無羨の手を拭い、傍の椅子に座らせた。
    「魏嬰、血が……。怪我は」
    「う……平気……貧血……」
     藍忘機は血まみれの死体を見てわずかに眉をひそめ、魏無羨をゆっくりと抱き上げた。



    ゼミ室の前の廊下で待っている間、魏無羨は誰一人知るべくもない教職員や警備員、遅れてやってきた警察官、私服刑事に囲まれるまで、ずっと藍忘機の手を握り締めていた。
     刑事が藍忘機に胡乱な目を向ける。
    「で、君は」
    「理事長の姪で藍忘機と申します。先程叔父と連絡をとりました。一時的に代理を任されています。ご確認を」
    IDとスマートフォンを見せ、何件か電話をつないでいる間に、藍忘機は大人たちの信用を得たようだった。
    「それで、彼女は現行犯なのですか」
    落ち着いた口調で問うと、魏無羨を発見した男子学生が勢いこんで言う。
    「そこに座っていたんです、手を血まみれにして、ナイフを持って」
    「刺したところを見たのですか?」
    「やめてよ、そんな恐ろしいところは見てない」
    「こらこら、勝手に話すんじゃないよ。こっちを通してくれ」
    年嵩の刑事が割り込んできて、状況を整理しはじめる。
    「順序だてて話そう。君が第一発見者か」
    「そうです! その女が」
    「お待ちを」
    学生の話を聞こうとする刑事の腕を、藍忘機はぎり、と音がするほど掴む。
    「やあ、元気なお嬢さんだな。どうしたのかね」
    「申し訳ありません。しかし彼の話は看過できません。遺体の第一発見者は彼ではありません。彼女です」
    刑事は特に驚いたりはせず、冷静なまま返す。
    「彼女と君は知り合いのようだな」
    「彼女は私の大切な友人です。しかし、だからと言って庇い立てしているわけではありません。状況を見れば、彼女が殺していないことは明白です」
    「そうかね」
    「そうです。刑事さんもわかっていらっしゃるのではありませんか? 」
     藍忘機はよく通る深い声ではっきりと話した。
    「凶器は大型のサバイバルナイフ、被害者は上の方からめった切りにされています。検屍を待つべきでしょうが、仮に出血多量によるショック死と仮定します」
    「ふむ」
    「このナイフは、彼女の手には大きすぎます。実際うまく握れず取り落としたようで、手が滑ったような長い血の跡があります。乾いていれば握れたかもしれませんが、人を殺すような威力は出ないのではありませんか。 このような本格的な凶器は事前に準備しなければいけません。わざわざ扱いにくいものを選ぶとは考えにくい。
    見たところ、被害者の傷口は肩から腹に集中しています。被害者の身長は学園のデータベースによれば176cm、この魏嬰の身長は170cmです。身長の低い者、まして魏嬰は細腕の女子学生です。正面から刺せばいい話を、上から斬りつける必要はありませんし、これほど出血させるような力があったとも思えない。
    面識のない相手を殺す方法として、不自然だと言わざるを得ません」
     藍忘機はそこまで一息に言うと、刑事の顔を見た。刑事は眉を少し上げ、まだ話を聞く姿勢を見せた。
     藍忘機は素早く息を吸い、また口を開く。
    「では誰が彼女を殺したのでしょうか。C先輩。伺いたいのですが、魏嬰を見たときになんとおっしゃったか覚えていらっしゃいますか?」
     急に名指しされた男子学生はうろたえたが、はっきりと答えた。
    「よく俺の名前も……まあいい。『お前が殺したのか』と言った。当然だろう」
    「そうですか。ところで私は、自分のよく知る場所で知らない人間が何かしているところを見たら『誰だろう』と思います。先輩は魏嬰に『誰だ』とはおっしゃらなかったのですね」
    「それは……そうかもしれないが、俺だって気が動転していたんだ。何を言ったっておかしくはないだろう」
    「私なら『誰だ、何をしている』と言いますが。確かに何を言っても変わりはありません。C先輩……あなたには動機がありますから」
     まっすぐに伸びた長い指をつきつけられ、Cは口をぽかんとひらいた。
    「理事長代理の権限で去年までの成績を調べさせて頂きました。被害者のA先輩とあなたは同じフルート専攻で、コンクールで何度も惜敗していますね。根も葉もない噂を流したこともあったと同級生の方から伺っています。彼女がいなければ…と逆恨みしてもおかしくない。
    しっかり準備して殺したところまでは良かった。しかし、気づいてしまったのでしょう。A先輩を怨恨の末殺すほどの動機を持つ人物が、自分の他にいないことに」
    藍忘機はさらに畳み掛ける。
    「何もしなければすぐに自分が疑われる。そこで入ったばかりの一年生を身代わりにしようと考えた」
    「IDを下げ、職員と見間違えるような服に着替え、声をかけた。新入生には疑いようがありません」
    「しかしあまりにも安直です」
    「何の時間稼ぎだったのかは知りません。それは刑事さん、そちらでお調べになってください」
    「刑事さん、少なくともこれで魏嬰の疑いは晴れませんか。彼女は被害者とも加害者とも面識がありません。通りがかりに利用されただけです」



    当然そのあと警察まで行き、調書を取られたり、諸々の手続きを終えてから二人は解放された。例の学生は藍忘機に詰め寄られてすっかり戦意喪失し、すべて白状したという。とは言え、藍忘機も魏無羨も、正直なところ上級生のごたごたに興味はなく、あえて事情を知りたいとも思わなかった。
    すっかり夜になってしまったので、送ると強硬に主張する藍忘機を連れて、魏無羨は学生寮の前の自動販売機で甘い飲み物をふたつ買い、ひとつを藍忘機に手渡した。すぐそばのベンチでゆっくりとそれを飲む。朝から色々なことが起こりすぎたので、とんでもない疲労を覚えていた。ボトルの中身をほとんど飲んでしまうまで、二人は無言だった。
    魏無羨はベンチの手すりに肘をつき、ぼんやりと言った。
    「なあ、藍湛。私がやってないってことは、調べればすぐわかったと思うぞ」
    「うん」
    藍忘機は小さく頷く。
    「どうしてあんな……お前、今朝でもう一生分しゃべったんじゃないの? 驚いたよ。それに調べもせず、憶測ばかりを強引に並べてさ。お前らしくない」
    藍忘機は平然と答えた。
    「あの場で押し切らなければ、きみが連れていかれたかもしれない」
    「……かもな」
    「それはだめだと思った」
    「だめってなんだよ」
    魏無羨はくすりと笑う。
    藍忘機は突然、魏無羨の膝の上に投げ出されていた右手を握った。わずかに液体の残ったボトルが軽い音を立てて地面に転がる。魏無羨がおどろいて背筋を起こすと、淡い色の瞳が間近に迫り、魏無羨の揺れる瞳をまっすぐに射た。
    「もう私の前から消えないで」
    「はっ?!」
    透き通るような瞳に睫毛の影がかかり、彫刻めいた完成度の目元から視線を外すことができない。中学生の頃もそうだったように魏無羨が目を奪われていると、藍忘機は握った手にもう片方の手を重ね、痛いほど握り締める。
    「行ってしまわないで」
    「らん、」
    何を言い出すのかと問いただすつもりだった。けれど藍忘機の、いつもはぴくりともしない目元がわずかに歪み、泣き出してしまうのではないかと思った瞬間、出てきたのは別の言葉だった。
    「そんなに会いたかったのか?」
    藍忘機は息を詰め、少しの間震えてから、はっきりと言った。
    「そうだ」
    魏無羨は、すぐには飲み込むことができず、しばらく藍忘機の強いまなざしを他人事のように眺めていた。しかし、だんだんと彼女が何を言ったのかが沁み込んでくると、喉がつまり、胸の芯がじわじわと熱くなってくるのを感じた。今になって握られた手をふりほどこうとしたが、すでにきつく囲われた手のひらは外れない。触れ合った部分が、びりびり痺れるように思われるほど感覚が鋭敏になっていた。何を言うこともできず、ただ口を開けては閉め、途方に暮れた。
    「魏嬰」
    「……な、」
    「魏嬰」
    藍忘機が名前を呼ぶたびに、魏無羨は耳まで痺れてくるのではないかと思った。もともと鋭い聴覚は、藍忘機がその声を出すに至るまでの感情の揺れまでも確実に拾ってゆく。思い詰めたような切実さの奥に、揺るぎない意志が芯のように そびえている。……けれど、いったい何の意思だというのだろう?
    そこまで考えて、魏無羨は無意識に首を振った。
    少なくともこれは友達じゃない。藍湛は今日『大切な友人』と言っていたけれど、友人に向かってこんな声を出すわけがない。誰だってこんな声で友人に話しかけるわけがない。それならば。つまりは。いや、しかし。本当にそんなことがあるだろうか……
    「魏嬰、ごめん」
    はっと意識を戻すと、藍忘機が手をゆるめたところだった。握られたところがうっすら赤くなってしまっている。
    「本当に馬鹿力だな」
    魏無羨は力の入らない声で言ったが、内心ほっとしていた。今日はこれで解放されるだろう。
    しかし、ゆるんだ手はそっと魏無羨のてのひらを乗せ、藍忘機の薄い唇が赤くなった手の甲に軽く触れた。ひんやりと乾いた触覚が頭まで届くと背筋がぞわりと震え、心臓が痛いほど跳ねる。
    何か言わねばと思った瞬間、ピピピピ、と無機質な電子音が響いた。藍忘機がスマートフォンを取り出して音を止める。
    「時間だ。帰る」
    魏無羨の手をそっと膝の上に戻し、藍忘機は何事もなかったように歩き去った。


    さすがに翌日はぐったりと疲れて、授業どころではなかった。ひたすら眠り、次の明け方に目が覚めて、ああ、学校にいかなくちゃ、と思った。
    授業をなんとかこなして、正門のあたりをふらふら歩いていると、どこから現れたのか藍忘機に声をかけられた。昨日の今日だから藍忘機の様子はどうかと思ったが、顔色は悪くないようで魏無羨はほっとした。ただ、なにやら焦ったような顔で魏無羨の腕をつかんでくる。やたらに力強いので眉をひそめると、それに気がついたように少しだけ手の力がゆるんだ。何か話しかけられて、気がついたら藍湛の部屋に連れ込まれていた。
    豪邸である。働かない頭でも確かにわかるほどの。そして、とても静かだった。車や電車の音が届かないのだ。閑静な地区なのか、それとも藍湛の私室だから単に防音されているのかもしれなかった。
    「藍湛?」
    藍湛はお茶の入った湯飲みを近づけてきた。
    「魏嬰、ひとくち」
    逆らわずに口をつける。温かく、爽やかで甘味のある煎茶だった。
    こくりと飲み込むと、藍湛がほっとしたようにちいさく息をつくのが聞こえた。
    「魏嬰。今日、泊まっていって」
    「うん」
    「横になる?」
    「ん」
    唐突に眠気が襲ってきて、辛うじて一言だけ返した。藍湛が背中に手を添えて、軽々と魏無羨を抱き上げる。本当に力持ちだな、と半分眠った頭で思った。広くて白いベッドにふかりと下ろされ、薄いブランケットのようなものをかけられたところで意識が途切れた。

    目が覚めると、部屋は薄暗かった。間接照明だけが点いていて、カーテンは閉められている。夜になったのだろう。
    ゆっくり体を起こすと、見慣れない部屋着を身につけているのに気がついた。袖が余って指先だけがのぞいている。それに、体や顔がやけにさっぱりしていた。寝ている間に拭かれたらしい。
    「魏嬰、起きたの」
    すぐ近くで声がしたので飛び上がった。見ると隣に寝ていたらしい藍湛が身を起こすところだった。魏無羨はあわてて藍湛の肩に手をのせる。
    「目が覚めただけだよ。起こしてごめん」
    「いい。喉は乾いていない? お腹は? 何か食べられる?」
    常とは違って一気に訊ねてくる藍忘機に、魏無羨は思わず吹き出した。
    「……いや、大丈夫」
    「本当に?」
    藍湛はじっとのぞき込んでくる。「あのあと、一度でも食事をした?」
    魏無羨はひるんだ。すぐに答えられないのを見て、藍忘機は表情をかたくする。視線を落とし、魏無羨の指先をそっと握った。
    「私に、話せる? 」
    「……何を?」
    「わからない。……今、何を考えている?」
    魏無羨は藍忘機の手を少しだけ持ち上げる。
    「……藍湛の指が冷たい」
    お互いの目が合って、魏無羨はくすりと笑った。藍忘機は一瞬ためらってから、魏無羨の背に手を回してぎゅうと抱き締めた。
    魏無羨は、ずっとぼんやりしていたからだの感覚が、藍忘機に触れて締め付けられたところから、じんじんと痺れるように戻ってきた気がした。しばらくそうしてから、さすがに息苦しくなってきて、藍忘機の背をたたいて身をよじる。藍忘機がはっとしたように力を抜くと、お互いの体が離れた隙間から、檀香の移り香がふわりと立ち上がった。魏無羨はその香りを追おうとして、藍忘機の肩口に顔を擦り寄せる。
    「……あ」
    「どうした」
    「消えた」
    ぽつりとこぼれた魏無羨の言葉に、なにごとかと藍忘機が勢いよく離れる。
    「待って、藍湛」
    魏無羨はあわてて藍忘機にくっつく。
    「魏嬰、どうしたの」
    魏無羨は答えず、藍忘機に鼻を押し付けて匂いを吸い込む。
    「魏嬰?」
    ようやく魏無羨が顔を上げた。「血の臭いが消えた」
    藍忘機が目を見開く。
    「……最初は普通に食事しようと思ったんだよ。食欲はなかったけど、少しは食べた方がいいと思って……だけど、臭いが」
    目の前で広がった血肉の臭いがずっとまとわりついて、二日の間何も口にできなかった。とっくに臭いなどしないはずである。わかってはいても、実際に嗅覚が支配されていれば、その臭いと共に何かを口に入れることはできなかった。水さえも鉄のような味で、吐き出すことしかできない。初めて飲み込めたのが、藍忘機の煎れたお茶だった。
    「弱るはずだ」
    藍忘機は絞り出すように言った。
    「……もう消えた?」
    魏無羨は頷いた。「消えた。もう藍湛のいい匂いだけ」もう一度顔を藍忘機の胸に擦り付ける。藍忘機は「うん」と言って震えるような息を吐き、魏無羨をまた抱き締めた。



    音楽探偵 最初の事件 おわり
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