暗がりに落ちた距離 それは、突然のことだった。
トイレから戻ると部屋の灯りは再び落とされていて、白い壁面には二本目の映画のオープニングが厳かに映し出されていた。
日が暮れた町外れを走る一台のジープの空撮。厳かなBGMがこれから始まる惨劇を予感させて、僕は思わず肩をすくめる。
「あ、お待たせしてすみません」
「大丈夫です、始まるところですから」
プロジェクターが放つ光にうっすらと照らされた春水さんが、ぽっかり空いているソファーの残り半分を指し示す。
はい、と小さく返して後ろ手でドアを閉める。廊下からの灯りを失った室内はますます薄暗く、足元はよく見えないくらいだ。
そうして、僅かな光を頼りにそろりと歩を進めていた僕の視界が、衝撃と共にがくんと大きく乱れた。
淡く浮かぶ横顔の、白い額の上を黒い髪がはらりと滑る。ぱちぱちとまばたきをしたのは、それがあまりにも近すぎたから。
持ち上げられた瞼の隙間から覗くレンズのような黒い瞳がすうっと動いて僕を捉える。
「ご、ごめんなさい!」
「ふふっ。結構大胆なんですね、スズヤくんは」
ゆっくりと首を傾けて、春水さんが僕を見上げる。滑らかな黒髪が革張りのソファーの表面を擦る音さえ聞こえるほどの距離。
「ち……違うんです、そのっ!」
春水さんの言葉が暗に指し示すその意味に思い至って、がばりと持ち上げようとした身体は、しかし背中に添えられた手によってやんわりと押し戻される。
ばくばくと煩くがなり立てる心臓の音が、密着した衣服越しに伝わってしまうんじゃないかと思うほどに頬が熱くなる。
どうして、僕はこんなに動揺してしまっているんだろう。ただの、事故だというのに。
「ふふっ。冗談ですよ。映画、観ましょう」
「は……はい」
僕の胸元に手を当てて優しく押し返す春水さんに促されて、今度こそソファーに腰を下ろす。
(あれ?でも……)
ひとつだけ腑に落ちないのは、何故つまづいてしまったのかということだった。暗かったとはいえ、引っかかるようなものはなかったと思うんだけど……。
「スズヤくんって……」
「え?」
「いえ、なんでもないですよ」
何故だか少し痛む足と、含み笑いを浮かべる春水さんに首を傾げつつ、僕は映し出された陰鬱とした景色に視線を向けるのだった。
☓END☓