つめたいものがほしくなる どろりとした熱い沼に沈み込むような重い体に感覚が戻る。
張り付いたシャツの首元を摘み上げ、手の甲で額を拭うと髪の毛まで汗でじっとり湿っている。
温い空気を掻き混ぜているだけの扇風機の無機質な稼働音と、けたたましい蝉の合唱が耳に届いて混濁していた意識が徐々によみがえってきた。
「あっつー……」
もう何度目だかわからない独り言に苦笑いを浮かべる。汗がしみる目を擦って溜息をひとつ。
背中に感じるフローリングの硬さから逃れたくても、あまりの暑さにただ転がっていることしかできないでいる。
こうやって確実に後悔することになるのだけれど、涼しい時間帯は作業が進むから予定のない日はつい夜更かししてしまう。
鳴き声とも呻き声ともつかない声を上げながら、陸に上がったワニみたいにのそりと這うように手を伸ばす。緩慢な動きで持ち上げた四角いプラスチックのそれを数秒見詰め、再び温い床の上に戻した。
西日の強いアパートの一室はこれからもっと暑くなる。まだ、その時じゃない。仕送りから捻出される電気代を思えば気軽に文明の利器に頼るわけにもいかない。
(……予定、か)
誰かと出かけている時には暑ささえも話題のひとつに過ぎないのに。
僕の名を呼ぶ柔らかな笑顔が脳裏を過った。人気の小説家できっと忙しいはずの彼は、何故だか僕をよく連れ出してくれる。
公開終了が迫る映画を二人で観に出かけたのはつい昨日のことだ。そのおかげで創作意欲が湧いてしまったのだけれど。
今は沈黙しているパソコンの傍らには、昨日の映画のパンフレットが開いて置いたままになっていた。
(春水さん、今頃どうしてるんだろ……)
何よりも創作を愛している彼のことだから静かに机に向かっているのだろうか。
僕と同じように、映画からなにか刺激を受けているのかもしれない――そう思うとなんだか無性に嬉しい気がした。
思えばこれまでずっとひとりでやってきたから創作について話ができる相手なんていなかった。
ゲームと小説、全く違う分野ではあるけれど物語を作るという点では一致しているからか仲間意識のようなものを感じている。いや、それ以上の。
軽やかな短いメロディに僕の思考は中断した。無造作に転がっているスマホが通知を報せている。
「春水さん?」
表示されたその名前にどきりとして、LAINEの画面を開く。添付された写真に目が吸い寄せられた。
白く盛られた氷に色とりどりの果物が宝石のように散りばめられている。その鮮やかさに思わず感嘆の声が漏れた。
「これって……しろくま、だっけ。かき氷の」
【すごくきれいですね】
気がつけばそう打ち込んでいた。あまりに簡素すぎたかなと思う間もなく返信メッセージが表示される。
【本場のしろくまが食べたくなったので】
え。それって、今鹿児島にいるってこと?
昨日会った時にはそんな話はしていなかった気がするけど……。
【今日から旅行なんですか?】
【旅行というか今朝思い立って、その足で】
即座に届いた返信に僕の指が止まる。
本場のしろくまが食べたくなって、それでひょいっと鹿児島まで行っちゃうって。
「いやいやいやいや、春水さんフッ軽すぎでしょ!」
誰にも届かないツッコミが部屋に鳴り響く。返事もない代わりにジワジワとうるさい蝉時雨が一層大きくなった気がして。
僕は無意識に手にしていたリモコンを操作して、エアコンのスイッチを入れた。
春水さんの新たな一面を知った、それは残暑の厳しいある日の昼下がりのことだった。
☓END☓