不思議な仮装グッズ 平井桃香の住むこの町では、今年も駅前のイベントホールで小さなハロウィンパーティーが開催されることになった。参加者はこの場所で様々な仮装を披露したり、また鑑賞したりする。毎年とても賑わう恒例の催しである。
そしてそれに備えるべく、桃香は今日、幼馴染の横山徹平と共に、近所にある大型の雑貨屋にやってきていた。陳列棚には様々なコスプレグッズが置かれ、店内はハロウィン一色。当日まで一週間を切ったこともあり、かなり気合いの入った内装になっている。
「もう何でもいいんじゃないのか?」
楽しそうに品物を物色する桃香の横で、徹平が退屈そうに言った。
「そんなに迷う必要ないだろ」
「いやいや迷うって! だって年に一度なんだよ? とっておきのやつで参加したいじゃん!」
「無邪気だな……」
徹平は溜息を吐きながら、桃香のこの無邪気さは小学生に匹敵するなと思った。
「……というかその前に、今年も参加するなんてびっくりしたよ」
「え、徹平は参加しないの?」
「仮装はしない」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
桃香は「そうかなぁ」と小首を傾げた。
「でも実は、運営として参加することになってるんだよ」
「え、そうなの!?」
「そ。もう楽しむ側じゃなくて、楽しませる側だと思ってさ」
「けっ、大人ぶっちゃって」
「そんなつもりはないって」
そんな会話をしている時、桃香は棚の奥に小さな瓶があるのを発見した。手に取ってみる。
「なんだろ、これ」
中に入っているのは、小さなカプセル型の錠剤だった。一つ一つ違う動物のイラストが書かれた、まるで駄菓子のような見た目をしている。フタには小さな紙切れが貼ってあり、細かい文字で文章が書かれていた。一番最初には『飲むと大変身!』とある。ハロウィンに乗じたネタ系のお菓子だろうか。
「なんか面白そう」
「いや怪しさ全開だろ……」
徹平には引かれてしまったが、それ以上に桃香はこの錠剤に惹かれていた。
結局、桃香はその錠剤を買うことにした。仮装用には、迫力があるという理由で、大きなマントとドクロの仮面を買った。
◇
帰り道。横を歩く徹平が言った。
「そういえばさ。パーティー、美那を誘ってみたらどうだ?」
「あー、美那ね」
川島美那。彼女もまた、桃香の幼馴染だった。桃香、徹平、美那。三人は小さい頃から一緒に過ごすことが多かった。
「実はもう誘って、断られてるんだぁ」
「あぁ……かもしれないとは思ってたけど、そうだったか」
「うん」
美那は最近になって、こういったイベントごとにはほとんど参加しなくなった。なんでも、毎日毎日勉強で忙しいとか。まぁ、真面目な子なのである。
「前はよく一緒に出かけたりしたのにね。なんか寂しい」
「ま、一応受験も控えてるわけだしな。仕方ないだろ」
「そうだね」
いつまでも昔のままでとはいかない。徹平にも事情があって美那にも事情がある。
ハロウィンパーティーのワクワクに包まれながらも、桃香の心はだんだんと変わっていくその関係性に一抹の寂しさを感じていた。
◇
家に着いて自分の部屋に戻ると、桃香は卓上照明だけをつけ、その薄明かりの中で購入したものを机に並べた。
仮面とマント。この、お店で放置されて古くなった感じがまた、味が出ていて良い。桃香はこれを着てパーティーに参加し、周囲の人が驚いているところを想像して胸を高鳴らせた。
ふと、並べたグッズのそばに、例の小瓶が転がっているのを発見した。
「あ、そういえば買ってたっけ」
桃香はそれをつまみ上げた。改めて、フタについた紙切れの文字を見る。
「飲むと動物に変身……」
その後にも細かい説明がびっしり書かれているが、面倒臭いので読むのをやめた。そして、試しに一錠飲んでみよう思い、恐る恐るではあったが、桃香はそれを口に放り込んだ。
ごくり。
「…………」
飲み込んで数秒待ったが、なにも変化は現れない。
桃香は少しだけ落胆した。そして、こんな子供だましのような錠剤に淡い期待を抱いていた自分がいたことに気づいて呆れた。動物に変身するなんて、あるわけがないのに。
桃香は錠剤の入った袋を置くと、ベッドの上に転がった。ふぅと息を吐く。なんだか身体がポカポカとする。なにも起きなかったことに、少しだけ安堵している自分もいるようだった。
「…………あれ、なにこれ」
しかし段々と、桃香はその異変に気づいた。身体の内側が熱い。ポカポカどころじゃない。それに、心臓が鼓動がやけに早くなっていく。
桃香は咄嗟に身を起こした。その瞬間、全身がぞわりと震えた。身体の中心から手先や足先に向かって、鳥肌が立つような感覚が伝っていく。桃香はそれを収めようと、無意識のうちに両腕をさすった。
「へっ……?」
桃香が頓狂な声を漏らしたのは、その感触に違和感を覚えたからだった。桃香はそれが幻触でないことを確かめる為、自らの両腕を再度強くさすった。しかし、それは虚しくも確かな現実だった。
「ない……! 私のツルスベ肌はいずこへ!?」
桃香の腕には、確かに毛のようなものが生えていた。これは決して桃香がムダ毛の管理を怠っていたからではない。これはもうそんなレベルじゃない。
それに、まだまだ毛はどんどん伸びていく。なにを考えたか、桃香はその成長を止めようと、伸びる毛を両腕で抑えた。しかし桃香の手を押し返すように、無慈悲に毛量は増していく。それに、毛が伸び続けているのは腕だけではなかった。気づけば、足や首元にも生えている。桃香は慌てて服の中に手を突っ込んだ。腹部も同様だった。桃香は、残されたツルスベ肌を求めて全身をくまなく撫で回した。しかし、もうどこにも桃香の美肌は残されていなかった。
困惑と焦燥が脳内を支配し、頭がこの状況に追いつかない。何がどうなっている……? 桃香は恐る恐る部屋の電気をつけた。直接見る腕には、びっしりとクリーム色の毛が確かに生えていた。毛並みは……驚くほど綺麗だった。
「……」
桃香は衝動に駆られ、自分自身をわしゃわしゃと撫でた。その感覚は、親戚の家にいる愛犬を彷彿とさせた。誰にでも人懐っこく、誰にでも尻尾をブンブンと振って飛びかかってくるあの愛くるしい純粋無垢なモフモフ野郎。
「まんまだ……」
その犬を撫で回す感覚と全く同じ。
この頃にはすでに、桃香の感情は一周回って、むしろ冷静になっていた。
桃香はこの不可思議な現実から逃避するように自分自身を撫で続けた。自分を撫でるのも、自分に撫でられるのも、なかなかどうして悪くない。
しかし、桃香は再び異変に気付いた。先程から視界にちらついている突起状の何か。これは一体何なのだろう……。
桃香はおもむろに姿見の前に立った。
「うわぁっ!?」
思わず大きな声を出してしまい、桃香は慌てて口を塞いだ。驚きと共に再び心臓がばくばくと鼓動する。
鏡の中には、桃香の面影を残した犬の顔があった。桃香が塞いだ口元は、犬型の動物のように長く伸びいていたのだ。
「えっ……??」
桃香が首を傾げると、鏡の中のモフモフなそいつも同じように首を傾げる。桃香がウインクすると、鏡の中のそいつもウインクをする。
「私だ」
間違いない。これは桃香だ。鏡はいたって正常で、正しく正面の景色を映し出しているだけだった。
すると今度は、自分の口を塞いでいた手に、なにやら柔らかい感触があることに気づいた。形容しがたい、程よい弾力。桃香はハッとして、すぐさま手の平を確認した。
全ての指の腹と手の平のど真ん中に、ピンク色の肉球があった。それに、手の形状も犬のそれに近い。
「う、うわぁ……」
こんな間近に魅惑の肉球があること、それ自体は嬉しいものの、やはりその感情よりも困惑が勝つ。
桃香は目を丸くさせながら、再び鏡に映る自分を見た。そして自分の頭頂部を弄った。これだけの変化があるということは……あるいは。
すると、案の定ぞもぞと動き出すものがある。と言うと、まるで自分の意思に関係なく動いたように聞こえるかもしれないが、それは違う。桃香がぐっと力を入れると、それは勢いよく姿を現した。
耳である。
フサフサな毛に覆われた耳が、ぴんと元気よく立ち上がったのだ。女の子歴十数年ともなれば、桃香も犬耳カチューシャをつけた経験はあるわけだが、しかし、それとは全く違う。その耳は桃香の意思で動く、紛れもない桃香自身であった。
「ほ……本物だったんだ……」
振り返り、錠剤が置いてある机に向かおうとする。しかし、突然背後から引っ張られたような感覚に見舞われ、桃香は咄嗟に身を翻した。
「……?」
後ろには誰もいない。
「ひゃっ!?」
またしても同じ感覚。桃香は再度反射的に振り返る。しかしやはり、この部屋には桃香しかいない。
なんなのだろう、と考えている内に、桃香はその正体に気づいた。桃香は自分の肉球付きの手で、お尻の辺りをそっとさすってみた。
「やっぱり……!」
履いていたワイドパンツの布地に、明らかに不自然な膨らみがある。先ほどからなんとなく腰回りが窮屈だと感じてはいたが、ここもこれほど変化していたとは。
桃香が触れると、その膨らみは手から逃れるようにもぞもぞと服の中を移動した。
「ちょっ、逃げないでよ!」
とはいえそれも桃香自身なので、変な言い方だった。
桃香はムキになり、必死に手でその膨らみを捕まえにかかった。いっそパンツを脱いでしまえば話は早いのだが、その膨らみが引っかかってしまってどうしても上手く脱ぐことができない。
やがて無意識にその場をくるくると回る桃香。まるで、自分の尻尾を追う犬みたいだ。そんなことを飽きずに延々と繰り返していると、不意にビリッと嫌な音が鳴った。
まずい。と思ったのも束の間、膨らみは容赦無く内側で暴れまわる。というか、まだまだ大きくなっていくようにすら感じた。
「ちょっとお願い! 待って!」
と、桃香の懇願も届かず、やがて──。
一部分に力が集中したせいか、そこから亀裂が走り一瞬で広がった。
そしてその中から、どの部位よりも毛量の多い、大きな雲のような塊が飛び出した。桃香の毛並みと同じ、クリーム色。
言うまでもなく、それは尻尾だった。
服が破けて落胆する桃香とは裏腹に、その尻尾は狭い場所から解放されたことを喜ぶようにブンブンと左右に揺れている。
それを眺めながら、桃香は気づいた。
私、この状況に、本当はとてつもなく興奮しているんだ……!
ワクワクが治らない。
錠剤は本物だった。これは使えるかもしれない。
桃香は、来週のパーティーでこれを使う所をイメージした。
尻尾が勢いを増して、またも左右に大きく揺れた。
◇
あのあと、1時間半ほどして身体は元に戻った。破れた服は戻らなかったが。
そして桃香はしっかりと説明書を読み込んだ。
「飲むと錠剤に書かれたイラストにある動物に変身します。変身は約90分で解けます。扱いには十分注意してください……なるほどね」
錠剤はまだ10錠ほど残っている。桃香は、これをどう使おうか思案しながら眠りについた。
◇
パーティー当日。夜に沈んだ街を歩きながら、桃香は再度カバンの中身チェックする。
「よし」
錠剤はしっかり入っている。
桃香は、パーティー会場に向かう前に、まず美那の家に寄ることにした。用意してあったマントと仮面を被り、準備は万端。桃香がインターホンを押すと、しばらくして美那が扉の隙間から顔を出した。
「トリックオアトリート!」
桃香がそんなお決まりの文句を口にすると、美那は深くため息を吐いた。仮面を被っているのに、すぐに桃香だとわかったらしい。
「お菓子はないわよ」
「じゃあ、いたずらしちゃってもいいの?」
「別にいいけど」
美那の態度はまるで、子供に構う親のようだった。そんな余裕を見せる美那を見て、桃香は仮面の下でニヤリと笑った。
「じゃあ、これ飲んでみて」
桃香が錠剤を手渡すと、美那は不思議そうにそれを受け取った。
「なによこれ?」
「いいから飲んでみて」
「怪しいわね」
「全然そんなことないから」
「……はいはい」
美那は渋々と言った様子で、その錠剤を口に入れた。
「何も味しない……」
「ふふ」
「桃香はこれからパーティーに行くの?」
「そうだよ。美那と一緒にね」
「だから私は行かないって……、ん?」
と、美那はなにか異変を感じたようで、自分の肩やお腹を服越しにさすりだした。
そして、
「ぎゃぁっ!? なによこれ!?」
美那は自分の手を見つめながら叫んだ。美那の細い手は、だんだんとその形を変えていた。綺麗なネイルまでもが収縮して変形していく。おまけに、黒い体毛が彼女の白い肌を這うように覆っていく。
「どうなってるの!?」
美那は明らかに狼狽した様子だった。しかし変化はまだまだ止まらない。
美那は両手で、というか、既に前足みたいになったその手で、必死にお尻を抑えた。美那はタイトなジーンズを履いていたから、余計に気づくのが早かったのだろう。美那は必死に服の中で動く尻尾を抑え込もうとした。しかし、桃香と同じように上手くいかない。モグラ叩きのように逃げるその未知の器官に、美那は苛立ちを覚えているようだった。
「あ、早く脱がないと、破れちゃうかもしれないよ」
桃香のその言葉に、美那は驚いたように目を見開いた。すぐさま焦った様子で、ジーンズに手をかける。しかしなかなか脱ぐことができない。自分の手がうまく操れないからだ。既に美那の手は人間のものではない。指先で器用に脱ぐことがままならないのだ。美那は肉球付きの小さな手で、腰回りを必死に引っ掻いているだけだった。
「にゃぁああ!」
と、美那が叫びを上げる。
「あっはっは!」
桃香が笑うと、美那は全身の毛を逆立てた。
「にゃに笑ってんのよ!」
そしてついに、ビリッという嫌な音がした。見れば、美那のパンツの生地が綺麗に裂けている。お尻にあったポケットの部分が他と比べて脆かったのだろう。そこから顔を出していたのは、可愛らしい猫の尻尾だった。
「うわかわいい! 猫だ!」
桃香は歓喜しているが、美那はそれどころじゃない。やっと変化が収まり、段々と落ち着きを取り戻してきているようだが、美那はこの状況を未だ理解できていないようだ。
「ど……どういうことにゃの?」
不安そうな顔で美那は桃香に問いかけた。助けを求めているような表情である。
そしてそんな美那の前で、桃香はゆっくりと自分の仮面を外した。そこに桃香の顔はなかった。代わりにあったのは、もふもふと柔らかそうな毛で覆われた、犬の顔だった。
「にゃぁっ!?」
美那は絶叫と共に高く飛び上がった。
◇
桃香は美那に、飲ませた錠剤のことを説明した。美那は目を丸くした。
「し、信じられにゃい……」
「にゃい……ぷはははは!」
「笑わにゃいでよ!」
「あはは!」
いつまでも笑う桃香に、美那はシャーッと唸った。
「この錠剤の効果はわかったけど、にゃんであたしだけ口調まで変わってるのよ」
「知らないよ〜。ま、可愛いからいいじゃん?」
「いい加減にしにゃさい!」
「ぷはっ、かわいい!」
ひとしきり美那をからかって満足した桃香は、ふうと息を吐いて笑いを収めると、悪戯っぽくウインクをした。
「さ、これでもう勉強できなくなっちゃったね」
「にゃっ!?」
桃香の狙いはそれだった。美那を勉強ができない状態にさせ、パーティーへ連れ出したかったのだ。
美那はしばらく悩んだ後、「にゃぁ……」と深くため息をついた。
「わかったわ……。今日だけよ」
「やったぁ!」
そして二人は一緒にパーティーに向かったのだった。
◇
会場はとても賑わっていた。簡易的なコスプレから大掛かりなメイクをした人まで、大勢の人が色々な仮装を披露して楽しんでいる。卓上にはいろいろな食べ物が並べられ、見ているだけで気分が高まるようだった。
桃香は仮面で、美那は大きめのパーカーで顔を隠しながら会場に入った。二人はまず、徹平の居場所を探した。桃香は鼻をすんすんと鳴らしながら「こっちかも」と呟いた。
「徹平の匂いがする」
「そんにゃことわかるの?」
美那は不思議そうに、桃香の後を追った。
やがて会場の隅に、ドリンクの給仕を行なっている徹平の姿が見えた。きっちりとしたスーツ姿にジャックオーランタンの帽子をかぶっている。
「それ似合ってるね、徹平」
「お、桃香」
声で桃香と気づいたのか、徹平は嬉しそうに軽く手を挙げた。そして桃香の横にいるもう一人の存在をチラと窺う。
桃香は嬉しそうに言った。
「美那、来てくれたんだ」
「えっ」
その反応を受けて、美那は目深に被ったフードの下で口を尖らせる。
「こんにゃつもりじゃなかったのよ、無理やり来させられたの」
「『にゃ』……?」
「うっさい」
「そ、そうか。まぁどんな形であれ、来てくれてありがとな」
「……」
なんだかぎこちないやりとりをする美那と徹平。桃香はそんな二人の手を引いて、人目につかない会場の裏手へ向かった。
「どうしたんだ?」
徹平が小首を傾げていると、桃香は懐から例の小瓶を取り出した。
「あ、それ昨日の」
徹平は昨日のことを思い出した。
「徹平、今からこれでみんなにいたずらを仕掛けようと思うんだ」
「え、どうやって?」
徹平はますます不思議そうにした。
そんな徹平に、桃香はふふふと微笑みながら錠剤を一錠差し出した。
「とりあえずこれ飲んで見て」
「……ああ、わかった」
徹平はなんの疑いもせず、それを受け取って飲み込んだ。
少し後ろで、美那が呆れたようなため息をついた。しかし、美那も止めようとはしなかった。むしろ彼女は、これから起こる変化を楽しみにしていた。
徹平の変化はすぐに訪れた。
「うわっ!?」
徹平が声を出した途端に、ぐぐぐと風船が膨らむように身体が膨張していく。それに合わせて、ぴっちり合っていたスーツが、ギチギチと嫌な音を立てた。そして案の定、服の縫い目が裂け、そして勢いよくボタンが弾け飛んだ。
「なんだ!?」
なおも成長し続ける徹平の体躯。やがて、スーツは無残にも四散した。
「スーツがぁっ!?」
自分の身体の変化よりも、スーツが破れたという事実の方が現実味があるのだろう。徹平はうろたえながら、飛び散る破片を大きな手で掻き集めている。
「あっははっ」
「ぷっ」
桃香は笑い、美那までもがそのリアクションに思わず吹き出してしまった。
「って、なんだこれ!?」
徹平はようやく自分の身体の異常に気づいた。徹平は決して大柄な男ではない。しかし今や彼の身体は、灰色の体毛で覆われた筋骨隆々の肉体へと変貌を遂げている。徹平は困惑と同時に、身体の内側からみなぎる力強いエネルギーの奔流に、半ば高揚感を覚えた。
爪は鋭く伸び、口腔から覗く歯も獲物を噛み切るための鋭利なものになっている。
桃香と美那が見る限りそれは、
「おぉ、狼だね」
「狼ね」
凶悪な目つきをした狼の姿だった。顔の形も見事に変形しており、形だけでいえば、犬になった桃香と似ている。
桃香は嬉しそうに仮面を取った。
「じゃーん」
「えっ? 桃香!?」
「私だよ〜」
続けて美那もフードを取る。
「美那まで!?」
「不本意だけどね」
美那は猫になった自分の顔を、手でペタペタと触りながら不満そうにした。その仕草、側から見るととても可愛らしいのだが、多分彼女は自覚していない。
そして、徹平の変化は完全に止まった。
辛うじてズボンは残っているが、生地は裂け、中から毛に覆われた太い足が露わになっている。尻尾も同様で、これは桃香や美那と違い、綺麗にズボンの真ん中を貫いていた。
自分の身体に起きた変化を、徹平は徐々に認識する。自分の手を眺め、その丸い肉球と鋭利な爪に未知の魅力を感じた。続いて、自分の身体を眺め、自分の顔を恐る恐る触りだした。
「鏡見る?」
と、桃香は手鏡を取り出すと、そっと徹平に向けた。鏡を見た途端、徹平はそこに映るその凶悪な顔面に「ひゃあっ」情けない声を上げた。
「あははは!」
「そんなに驚く? ぷははっ」
桃香と美那が一緒に笑う。
「美那も同じくらい驚いてたけどね」
「う、うっさいわね!」
美那がまたもにゃぁと唸った。
◇
三人は顔を隠さず、今度は堂々と会場に出た。
三人はすぐに注目を浴びた。すれ違う人のほとんどから写真撮影を迫られ、それに快く応じた。
「あ、いたわよ」
移動中、美那が何かを発見したらしく、遠くを指さした。その先には、数名のコスプレ集団がいた。皆楽しそうに大騒ぎをしている。というか、少し迷惑なくらい騒がしい。それに、食器の扱いが雑で、周囲にはゴミが散乱している。少し盛り上がりすぎてしまっているのだろう。
「あれかぁ……」
「そうだ。さっきから注意しているんだが、なかなかやめてくれなくてな」
「よし、行くわよ」
美那が先陣を切って進んでいく。
桃香と徹平も後を追った
◇
徹平が狼になった会場裏で、桃香は言った。
「これで、このパーティーにいたずらを仕掛けたいのよ!」
飲むと動物になる錠剤。使いようによっては、盛大ないたずらが仕掛けられる。
その提案に、徹平も美那も少しだけ黙ったが、やがて、二人とも観念したようにため息をついた。
理由は三つ。こんな不思議なアイテムをこの機会に使わない手はないと思ったから。自分たちのいたずら心がくすぐられたから。そして何より、桃香が楽しそうだったから。
「わかった、やるか」
「いいわ。付き合ってあげる」
「やった!」
三人は、悪巧みをする幼い子供のようにクスクスと笑いあった。
笑いながら徹平が言った。
「でも、騒ぎになるようなことは避けたい」
「そうね」
「そこで一つ、俺から提案がある。……いたずらで懲らしめてやりたい人たちがいるんだ」
◇
「トリックオアトリート!」
いきなり現れた犬、猫、そして狼の顔をした人間に、それまで騒いでいた集団はこぞってポカンとした。しかしそれも一瞬のことで、すぐに「すげえ! 本物みてえ!」などと興奮気味に近づいてくる。
そんな集団の前に、桃香たちはカップ乗った一口サイズのケーキを差し出した。
「どうぞ! 召し上がってください!」
「おお、まじ?」
集団の中の一人が無遠慮に一つ受け取り「うめえ!」と叫ぶ。すると、その他の人たちも次々にそのケーキを受け取って食べ始めた。
そして全員が食べたことを確認すると、狼の牙を剥き出しにした徹平が楽しげに言った。
「マナーを守ってくれないと、いたずらしちゃいますよ」
瞬間。一人が「わぁっ!?」と声を上げた。そしてそれをきっかけに、次々と変化が始まっていく!
一人は頭に長い耳を持ったウサギに。またもう一人はモコモコと膨れたヒツジに。またもう一人はブタの鼻をひくひくとさせている。騒ぎながら、いろいろな動物に変化して行く集団。
異様な叫び声を聞いた周囲の人々は、一斉にこちらに注目した。周囲の人々は、それを何かのパフォーマンスだと勘違いしたのか、数名がカメラを持って撮影を始めた。「すげえ!」「どうなってんの!?」などの賞賛の声も上がり、結果、パーティーはそれまで以上の盛り上がりを見せた。
三人はといえば、集まった人をかき分けて外に──。すれ違う人たちをその容姿で驚かせながら、会場を駆け、抜け出した。
悪戯好きの子供のように、三人は笑いあった。
◇
まだ賑わいを見せる会場。そこから少し離れた場所。
夜風に吹かれながら、三人は会場の明かりを眺めた。そして仲良くハイタッチをする。
ひとしきり笑いあって、疲れ切った三人。
そして。
「あれ、桃香。お前だんだん元の姿に戻ってるぞ」
と徹平が言った。見ると、桃香の体毛がだんだんと短くなってきている。この錠剤で変身できるのは90分までだ。
「あーあ、終わっちゃうのか」
桃香は残念そうに肩を落とした。
「まぁ、なんだかんだ楽しめたわ。ありがと」
美那が言った。
徹平も頷く。
「毎年恒例にしてもいいかもな」
「でも、もうなくなっちゃったよ」
桃香は空になった小瓶を見せた。もうこの時間は、2度と味わえない。
「そうだ。今のうちに、記念写真撮っておきましょ」
美那がスマホを取り出す。
「桃香が元の姿に戻っちゃう前に」
「そうだな」
「うん」
そうして三人は写真を撮った。
映るのは、狼と猫と犬。無邪気に笑っていたあの頃と同じ表情の三人が、そこにはいた。