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    ぴかる

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    ザバ:アルフレッド・ペニーワースとトーマス・ウェインのお話。全年齢。

    W爆発の瞬間想ったのは、トーマス、あなたではなくブルースのことだった。きっとあなたはそれを喜んでくれるだろう。私はそれが、悲しくて仕方がないのだけれど。時が経ち、私は老いて、あなたの顔もぼんやりとしか思い出せない。

    1.
     父の、そしてペニーワースの仕事を継ぐつもりはまったくなかった。父から代替わりする頃にはそういう時代でもなくなっているだろうし、自分がやらなくてもなんとかなるだろうと気楽に考えていた。しかし父が急逝し、落胆する母をそれ以上悲しませることはできなかった。私が米国に渡ったのは、28歳の冬だった。
     ゴッサム・シティに足を踏み入れるのはそれが初めてだった。父が祖父のあとを継ぐために母と私を英国に残して渡米した時、私はもう15歳になっていたから、わざわざ父の顔を見にこちらまでくるようなことはなく、この街のことは年に一度帰省する父の話に聞いていただけだった。タクシーは危険だからと、ウェイン家の運転手が空港で私を待っていた。元SASも舐められたものだなと苦々しく思ったけれど、車の窓から眺めるゴッサム・シティの景色を見て、迎えを寄こしてもらって良かったと思ったことをよく覚えている。
     何もかもがロンドンとは違っていた。立ち並ぶ高層ビル、その隙間から見える暗い空では月すらスモッグで霞んでいた。悪趣味なネオンライトが流れていったかと思ったら、目を凝らしても何も見えないほどの暗がりがところどころにぽっかりと現れる。道端には残雪とゴミが一緒になって積み上げられいたけれど、道行く人々はそれを意に介する風でもなかった。あちこちで渋滞が起きていて、運転手が何度も私に詫びた。少しでもこの街に良い印象を持って欲しいという気持ちからか、昼間はこの辺も雰囲気がいいとか、表通りは清掃されているけれどさらに混んでいるからとか、色々と説明してくれるのが心苦しかった。
     郊外にでると景色はすこしましだったので、運転手の言い訳も止んだ。窓ガラスに映る自分の顔は見るからに不機嫌そうだった。もともと愛想の良い容貌ではないが、このまま雇い主の前に出たらすぐにでもクビにしてもらえそうだ。それも良いと思った。友人も、恋人も、キャリアも、生活も、すべてを母国に置いてきた私の手に残っていたのは、ペニーワースという家名だけだった。反対に財産も地位も将来も、すべてを持っていると言って良いであろう雇い主、トーマス・ウェインの前で悪態をつかずにいる自信もないし、追い返されたのなら母も諦めてくれるだろう。そう考えたらずいぶん気持ちが楽になり、目の前に見えてきた豪邸に数日滞在するのも悪くないように思えた。
     重厚で威圧的な外観同様に、重い扉の向こう側にも「外面」の空間が広がっている。ありとあらゆる調度品がウェイン家の財力と名声を誇示していた。どこまで続いているのかわからない左右の廊下にはいくつもの美術品が展示してあり、こんな場所に暮らす人間がどういう類か、英国で生まれ育った私には容易に想像がついた。
    「入場料を請求されそうだ。」
     運転手は私の荷物を運びこみながら曖昧な笑顔を返した。あまり機転の利く人間ではなさそうだった。
     メイドのひとりが申し訳なさそうに私を案内した客間は玄関からほど近く、他の場所と比べて少しだけ生活の気配がした。手染めのレザーで仕立てたブラウンのソファーはシングルベッドほどの大きさがあり、その上で家長と思われる男が丸くなって眠っていた。
     挨拶は翌朝にしよう、とメイドに声をかけて下がらせてから、私はしばらく、ぐっすりと寝入っている様子のあなたの姿を見下ろした。頭の上の方に3つほど置かれたゴブラン織りのクッションとはだいぶ不釣り合いなポロシャツとスラックス。髪も伸びきって疲れ果てた様子ではあったけれど、生気に満ちた整った顔立ちをしている。会社は人に任せて、無償で医師をしていると聞いた。こうしてベッドルームまで行きつかないことも珍しくないのだろう、ソファの足元に置かれたアンティークの小さなテーブルに高級そうなブランケットが畳んで置かれていた。起こさないよう、それを広げてそっとかけてやる。特に考えもせず自分がとった行動がまるで執事のそれだったので、私は思わず苦笑いした。
     翌朝、いかにも執事といった風に身なりを整え、居心地の悪さに顔をしかめながら朝食の席で手短に挨拶を済ませた。
    「君の父上には生まれる前からお世話になっていたから、今回のことは本当に残念だったけれど。ペニーワースから新しく来る君が僕と年が近いと聞いて、楽しみにしていたんだ。」
     あなたはそう早口で言ってから、焼き立てのクロワッサンを口の中に押し込んだ。忙しい人だと思った。
    「ところでミスター・ウェイン。」
    「トーマスで良いよ、アルフィ。」
    「…それはさすがに。」
     その時あなたは、確かにすこし寂しそうな顔をした。その理由を察したのは、日陰の雪も溶けて、ウェイン家の広大な敷地内にも春が近づきはじめた頃だった。

    2.
     いつどんなふうに辞めようか、そんなことを考えていたのははじめのほんの数日間だった。執事という仕事が意外と性に合っていたというのがもちろん一番の理由だった。とはいえ仕える相手があなたでなかったら、逃げ出していたかもしれない。
    「アルフレッド、僕はときどき君を羨ましいと思うよ。」
     朝食のテーブルで、あなたは目の前にサーブされたグリーンサラダのトマトにフォークを突き刺しながら言った。気分が落ち込んでいるのは一目瞭然だった。
    「なぜ?」
    「君は完璧に仕事をこなすし、自分で勝ち取った魅力的なキャリアもあるし、知識も豊富だ。」
     あなたはこちらを見ずにそう言って、フォークを置いた。
    「僕には何もない。」
    「何もない?ミスター・ウェイン。あなたは身を粉にして街の人たちに医療を提供している。立派な仕事でしょう。その上、この屋敷はぜんぶあなたのものだ。先日のパーティーだって、どれだけの人が集まったかお忘れで?」
    「僕の稼いだ金じゃないし、医師免許だって、ウェインじゃなかったら取れなかったかもしれない。パーティーだって、きっとひとりも集まらない。僕にあるのはウェインという名前だけだ。」
     ゴシップ新聞の記事には目を通していたから、あなたが『偽善』だとか『道楽』だとかいう単語の踊る記事のネタにされていたのは知っていた。おそらくあなたもそれを目にしたのだろう。
    「何もない。」
     あなたはもう一度そう呟いてからコーヒーを飲み干して立ち上がり、テーブルの真ん中に置かれたカゴからリンゴをひとつ手に取った。私はいつもどおり玄関まであなたを見送り、ジャケットを渡しながら今日の予定を伝えた。
    「今晩は総会準備の報告で会計士の先生がお越しになります。19時までに帰宅を、トーマス。」
     あなたは一瞬目を見開き、それからとても嬉しそうな笑顔を私に向けた。
    「わかった。ありがとう、アルフレッド。」
     正直なところ、これ以上あなたとの距離を縮めることを私は恐れていた。それは自分を苦しめるだけだということをよくわかっていたから。だけどあの時のあなたの嬉しそうな表情は、私にとって、それらの苦しみと引き換えにする価値のあるものだったから、あの時あなたをそう呼んだことを後悔したことは一度もなかった。

    3.
     その日は私がウェイン家にやってきてからの二年間で一番忙しい日だった。それを知っているであろうあなたがわざわざ私を書斎に呼び出したのには相当の理由があるのだろうと思ったけれど、それでも指定された時間には5分ほど遅れてしまった。
    「お待たせしてしまったようで申し訳ない。」
    「いや、忙しいだろうにすまなかった。」
     来客対応のためとはいえ、あなたが屋敷内でブラックスーツを着ている姿をパーティーのような機会以外でみるのは珍しいことだったから、皮肉のひとつも言おうかと思ったけれど、そういう雰囲気でないことはあなたの緊張した様子からすぐに察せられた。
    「アルフレッド、これを。」
     あなたは大きなデスクの上に置かれていた小さな箱を手に取り、ゆっくりと私の正面に立った。それからあなたは、その小さな箱をこちら向きに開けてみせた。深い赤のビロード生地に留められた、ウェインの名の入ったゴールドのカフス。
    「いただいても、使う機会がない。」
    「持っていてくれるだけでいい。」
     こちらをまっすぐにみて、そう言ったあなたの表情があまりにも真剣だったから、私はそれ以上固辞するのはやめて、その小さなケースを受け取り、ポケットにしまった。小さく頭を下げて踵を返す。部屋を出て扉を閉めるまでずっと、あなたを視界に入れないよう、床と自分の靴のつま先だけを必死で見つめた。あの日はあなたとマーサの結婚式の前日だった。その意味に気づかないふりをすることだけが、私にできる精いっぱいだった。

    ------

    ブルースが、そして私があなたを失ってからだいぶ時が過ぎた。
    トーマス、あなたの息子は驚くほどあなたに似ていない。人好きのする笑顔なんて見せたことがないし、作り笑いすらしない。機嫌が悪ければ返事もしないし、人と会うことを極端に嫌がる。食事をしっかり取らない。外に出ない。死ぬのは怖くないなどと口にする。ただ、あなたと同じく、人の痛みをわかろうとすることのできる優しい子だ。

    握ったことなど一度もなかったあなたの右手と、ブルースのそれは似ているのだろうか。あなたに会いたいと、久しぶりに思った。


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    ぴかる

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    W爆発の瞬間想ったのは、トーマス、あなたではなくブルースのことだった。きっとあなたはそれを喜んでくれるだろう。私はそれが、悲しくて仕方がないのだけれど。時が経ち、私は老いて、あなたの顔もぼんやりとしか思い出せない。

    1.
     父の、そしてペニーワースの仕事を継ぐつもりはまったくなかった。父から代替わりする頃にはそういう時代でもなくなっているだろうし、自分がやらなくてもなんとかなるだろうと気楽に考えていた。しかし父が急逝し、落胆する母をそれ以上悲しませることはできなかった。私が米国に渡ったのは、28歳の冬だった。
     ゴッサム・シティに足を踏み入れるのはそれが初めてだった。父が祖父のあとを継ぐために母と私を英国に残して渡米した時、私はもう15歳になっていたから、わざわざ父の顔を見にこちらまでくるようなことはなく、この街のことは年に一度帰省する父の話に聞いていただけだった。タクシーは危険だからと、ウェイン家の運転手が空港で私を待っていた。元SASも舐められたものだなと苦々しく思ったけれど、車の窓から眺めるゴッサム・シティの景色を見て、迎えを寄こしてもらって良かったと思ったことをよく覚えている。
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