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    weedspine

    気ままな落書き集積所。

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    weedspine

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    「宵月笑う」の続きのようなもの。月見酒する二人。

    moonshinemooonshine
     1.月光
     2.たわごと
     3.密造酒

    霧の多い倫敦において、晴れ渡った夜空は貴重である。
    厄介な案件に片がつき、少し気分がよかったバンジークスは
    隠すもののない月を堪能しようと、屋敷のテラスにテーブルと
    椅子を用意させ、食後に月見酒としゃれこんだ。

    「月は隈なきをのみ、見るものかは-と言えど、こう晴れ渡って
     くっきりと見えると一層美しいな」

    いささか眩しいほどの月明かりに目を細め、亜双義が感嘆する。
    バンジークスと挟むテーブルの上、グラスを満たすのは透き通った
    淡いトパーズ色の液体。ドイツに住むあの博士が送ってくれた甘口の
    白ワインである。
    月見酒ならば、月の光を溶かしたようなこれがふさわしいだろうと
    提案したのは亜双義だった。

    裁判では戯曲や詩を引用し、芝居がかった語調で陪審員に訴えかける
    弁護士も少なくない。
    事実を湾曲させかねないそのやり口に亜双義はよく歯噛みしているが
    詩情を全く解さないわけではない。
    古い随筆の一節を口にする程度には文学の素養もある。
    バンジークスからその意味を問われ、徒然草のこの段について軽く説明をする。

    「月を見て物思うのは万国共通か」

    「どこから見ようと、浮かんでいる月は同じものだからな」

    二人、空を仰ぎグラスを傾ける。

    「だが、同じ月を見ていても、その影に何を見るかは土地によって違うようだぞ」

    「そうなのか?」

    その呟きに興味をそそられ、バンジークスは亜双義の方を向いた。
    彼が倫敦までの旅路で見聞きしたいろんな国や階層の話は、英国貴族として
    生まれ育ったバンジークスにとって心躍るものが多い。
    さすがに自分からねだることは憚られるため、時折亜双義自ら話してくれる
    機会は密やかな楽しみであった。

    「女の横顔、蟹、ヒキガエル、ライオン…日本では兎だな。こう、杵を持って
     臼の中の餅をついている姿だ。餅つきと望月をかけているらしい」

    月を指さし、どこが何に見えるのかなぞりながら説明するが、杵と臼に
    馴染みがない英国人にはいまいち伝わらず、きょとんとした顔をしている。

    「そもそも、なぜ月に兎がいる?」

    納得がいかぬ風の師のために、亜双義は元となった昔ばなしを聞かせることにした。
     
      天の神が老人に姿を変えて森に降り立ち、獣たちに施しを求めた。
      力や知恵のあるものはそれを生かして食べ物を調達できたが
      か弱い兎は何も用意できなかった。
      思いつめた結果、火を焚きそこに飛び込んで、その身を焼いて差し出した。
     
    「なんと…」

    「天の神も貴公のように動揺したのだろうな。献身を称えてその姿を月に映し、
     永劫遺したというわけだ」

    「強烈な自己犠牲だな」

    バンジークスは大きなため息をつき、口をつけるのも忘れていたグラスを手に取った。
    月に住まう兎に献じるように掲げると、ワインの向こうに月光が揺らめく。

    「この話を聞いた時は、なぜそう簡単に身を投げ捨てるのかと憤ったものだ」

    「貴君らしい」

    「だが今は、その気持ちが少し分かる」

    亜双義はワインのボトルを掴むと、やや乱雑にグラスに注ぎ一気に煽った。

    「従者だった頃、夜に貴公の寝室を訪ねたことがあったろう?」

    「……そんなこともあったな」

    すっかり忘れていた様子のバンジークスを見て、亜双義は苦笑する。

    「やはり、何も察していなかったのか。そんなことだろうとは思ったが…」

    空になったグラスをもてあそびながら、その夜を思い返す。
    従者としては望外の厚遇の上、言葉少ないながらも確かに伝わる心配りに深く感じ
    入り、その恩をどうにか返したいと思うようになっていた。
    そうは言えど何も持たぬ身。せめて心を捧げたくとも記憶はなく己が何者かも判然と
    しない。
    唯一確かなのはこの体だけ。
    もし主が望むのであれば、用立ててもらえるならば幸い。
    退けられたとしても覚悟の程は示せるだろうと考え、枕元に立った。

    「それなのに、貴公はまず邸内に異変があったのかと問い、そうでないと知ると今度は
     体調がすぐれず眠れないのかと心配しだして…いたたまれなくて黙って部屋を出た」

    「そんな決意で立っていたとは、思いもしなかったのだ」

    心から申し訳なさそうにする姿を見せたい相手はもうどこにもいない。
    かわりに目に焼き付けておいてやろうと、亜双義はバンジークスを見つめた。

    「今なら、思いつめた結果とはいえ、馬鹿げた行いだったと分かる。
     奉仕にみせかけた自己満足ですらあった。拒むことなく受け取りもしなかった
     貴公の振る舞いに、結局のところ助けられたのだ」

    亜双義は再びボトルを掴み、今度はバンジークスのグラスに注ぐ。
    グラスの中はなみなみと、きらめく液体で満たされていく。

    「私は貴君が身をささげるに値するような存在ではない。
     兎とて月に報じられねば物語にもならなかっただろう。
     …その身を焼く前に思いとどめることができてよかった」

    重々しく語ると、バンジークスはグラスに手を伸ばした。たくさん注がれたため
    ずしりと重いそれをそっと持ち上げ、恭しく口をつける。

    「値するかどうかは俺が決めることだ。別に月に行きたいわけでもない。
     眺めるにはよくとも、住むにはなんだか寂しそうだ」

    亜双義はぼやきながら、残り少なくなったボトルの中身を己のグラスにすべて移した。
    少し語りすぎた気恥ずかしさをごまかすように、また一気に喉に流し込む。

    ふざけた量のワインが入ったグラスを飲む姿さえ妙に美しく様になる男を前にして
    ふと月には桂男という美男が住まうという伝説もあったことを思い出した。

    「貴公も一緒なら、寂しさも多少はマシかもしれん」

    「なっ…!」

    突飛な発言にむせたバンジークスはしばし苦しみ、涙で潤んだ瞳で亜双義を睨むが
    法廷で見せる震えあがるような一瞥とは程遠い。

    「月に向かう荷物に、ミスター・ナルホドーは入るのか?」

    「そうだな、なんとしても鞄に詰め込まねば!」
     
    たわいもない話に、大きさの異なる笑い声が重なり庭に響く。
    静かに降り注ぐ月光の下、ワインがなくとも朗らかな時間はまだ途切れないようだ。

    -完-

    引用
    徒然草 第137段
    今昔物語 巻5 第13話
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