利用価値がある相手Bプロは、色々な層からの人気が高い。それは同じ芸能界も例外ではなく。女優や、モデルや、同じアイドルにもファンがいて、時にはファン以上の感情をもつ人もいる。お互い合意の上であるなら、プライベートなことでもあるから口出しはあまりしたくないのだけれど。
しかし、〝彼女〟の場合は目に見えて度が過ぎていた。
「あっ、やっぱりいた」
撮影後、スタジオの入口から聞こえてきたその声に、つばさは溜息を吐きたくなった。
(まただ……)
何度目だろうか。そして、今日は誰が選ばれてしまったのだろうか。視線を上げれば、嬉しそうな様子で明謙に駆け寄る女性の姿があった。今日は彼が選ばれたらしい。別に彼らが本当に恋人同士であるなら、つばさもここまで頭を悩ませることはないのだけれど。この前は遙日で、その前は悠太で、さらにその前は暉だったか。彼女が狙いを定めるメンバーはいつもバラバラで、そして撮影現場でしょっちゅうメンバーと話す姿を見かけていた。
名前を、美園夏那と言ったか。人気女性雑誌の専属モデルで、年齢は不詳……二十代後半とか、三十代前半とか言われているらしいけれど……で、色気があり綺麗で格好良いとその人気は女性だけに留まらず、男性にも及んでいるとかいないとか。
そんな彼女が何故か、最近Bプロの撮影現場に顔を出すようになった。
最初の相手は健十だったから、また彼絡みなのかと思ったけれどどうやらそうではないらしい。そのことに気付きたのは、次に彼女が撮影現場に顔を出した時だった。前回話していた健十には目もくれず、その時は帝人へと足を向けて。そこから彼女は、毎回違うメンバーへと声をかけていた。
彼女について調べてみても、何かスキャンダラスな男女関係があったわけでもないようで、最初は少し油断してしまっていたけれど。流石にここまであからさまな態度を取られてしまうと、BプロのA&Rとしては見過ごせないわけで。
「すみません、明謙くん。急いで確認したいことがあると、真島さんがさがしていましたよ」
時間があれば確認したいことがある、と言っていたので嘘ではない。
最近は、こうして彼らを彼女から遠ざけていた。本当は、はっきりと拒絶してしまった方がいいのだろうけれど。
───美園夏那についてはこっちで対処するから!
───つばさちゃんは手を出さないで、メンバーから離れないようにしておいてね!
と、彼女のことを夜叉丸に相談した時にそう言われてしまったから、つばさからは下手に手を出すことが出来ないでいた。
「えっ……ええ、と……それって、今じゃないとダメ……かな……?」
明謙は、どこかここから離れづらそうな顔でチラチラと彼女の顔を見ている。なんとなく、言わんといていることはわかるから。
「すみません、美園さん。そういうことなので……」
「ええ、急ぎの用なら仕方ないわよね」
離れがたそうな明謙と違って、彼女の方は素直に彼を送り出そうとしているようで。
安心して、ここを離れてください。なんて口にするわけにはいかないけれど、そんな意味を込めて明謙の方を見れば、彼はその目を泳がせた。
「あ、えっ……ええ、と……ぁ……う、うん……呼びに来てくれてありがとう、つばさちゃん」
つばさと、美園と。二人を交互に見ていた明謙はやがて、こちらを心配そうに見つめながらもスタジオの出入口へと歩いていく。
これでとりあえず、今は大丈夫だろう。また今度も、彼女がメンバーに声をかける可能性は大いにあるけれど。
「……本当に、格好良いわよね」
ひと安心してその場を離れようとしたつばさを、そんな彼女の言葉が引き止めた。無視すればいいものを、いきなりのことでつばさも足を止めてしまう。
「あの子達のことよ。明謙くんだけじゃないわ。健十くんも、和南くんも、倫毘沙くんも……Bプロのメンバーは皆、格好良いわよね」
貴女もそう思わない? なんて、美園の嬉しそうな笑顔がつばさの方へと向いた。返答を促されても、彼女がどんな答えを求めているのかわからずに固まってしまう。
美園は、そもそも答えなんか求めていないのだろうか。
「ねえ、貴女はあの子達とデートしたりしないの?」
つばさの答えを待たず、次はそんなことを聞いてきた。
「し、しません……!」
「本当に? 恋人にしたいとか、将来結婚したい子とか」
「いません……! 絶対有り得ません!」
本当に、彼女は一体何をつばさから言わせたいというのか。つばさを、どうしたいというのか。
「私だったら、ミュージカルとか映画とか、美術館とか……そういう場所に連れて行ってあげるんだけど」
何かの、つばさに対するマウントだろうか。時々いるのだ。彼らと近い位置にいるA&Rという立場のつばさに対して優位に立とうとしているのか、つばさ本人だったりメンバー相手にだったりに、そういうことをしてくるモデルや女優が。悔しいことに、寸分違わない言葉達に落ち込む時もあるけれど、しかしあまり気にしないことにしていたのだ。
「私だったら退屈なんてさせないで、最初から最後まで……一日中、楽しませてあげる自信があるのに」
だから、ここまでマウントともとれる言葉にまた、固まってしまって。
「あ、あの……」
何か言い返すべきか、スルーして受け流すべきか、それともいっその事注意してしまうべきか。混乱して悩んでいる間にも、美園はじっとつばさを見つめている。どこか自信に満ちた顔で、なにか勝ち誇ったような笑顔で。
すらりとした、一七〇センチ以上はあるらしい身長で至近距離から見下ろされて、どことなく威圧感がある。というか、先程よりも少し近くなったような……
「ふふふっ……ねえ、よかったら今度───」
「つばさ」
圧倒されて声も出ないでいたところで、少し遠い場所から名前を呼ばれて我に返る。
「ちょっと確認したいことがあるんだけど、大丈夫かな?」
肩に手を置かれ、完全に現実へと引き戻されて。見上げ先に健十の顔があり、メンバーの姿を認識できたこともあってようやく緊張で張り詰めていた糸が切れた。美園にはバレないように、そっと息を吐く。
「わ、かりました。すぐ行きます」
彼女には悪いけれど、今すぐここから離れたくて。失礼します、と健十と共に頭を下げる。
「……それ、今じゃなきゃいけない大事な用かしら?」
顔を上げる前に、美園の不満げなことを隠し切れていない声が頭上から聞こえた。
やはり、彼女は最初から健十だけを狙っていたのかもしれない、なんて警戒して。しかし、彼には珍しくさほど気にしてもいない様子で、つばさの手を引き顔をあげさせた。肩に添えられた手はまだ残ったままだ。
「ええ、とても大事な急用ですから。行こう、つばさ」
「は、はい」
健十に手を引かれ、足早にその場を立ち去るけれど。背中から感じる美園の視線に、つばさはどこか居心地の悪さを覚えた。
健十に手を引かれ、スタジオから連れ出されたことでその視線を感じなくなり、つばさはようやく肩から力を抜く。
「あの……愛染さん───」
ありがとうございます、なんて言うのはおかしい事だとは思っているけれど。しかし御礼を言う前に口を開いたのは、彼の方だった。
「ねえ、つばさ。彼女と何を話していたの?」
見上げた先にあった、笑顔であるにも関わらず何かを探るような瞳に、つばさは思わず声を詰まらせてしまう。
どうして、そんなことを聞くのだろう。やはり彼の方も、美園に興味がないわけではないのだろうか。
「と、特に……これといって面白い話はなにも……」
それも本当の話だった。この場合の健十が求めているような答えを教えてあげられるような会話は別にしていないし、特に彼が知る必要のないものだったから。
しかしそれは、やはり彼が求めているような答えではなかったらしい。
「……そうなんだ」
口ではそう言いつつも、あまり納得がいっていないようなのはあきらかで。
「あの……」
「ね、つばさ」
口を開こうとしたところでまた遮られ、肩に添えられていた手が少しだけ服に食いこんだ。
「今度から、撮影に同行する時は俺と……いなかったら不本意だけどしょうがないから、他のメンバーの誰でもいいから一緒にいてほしいな。なるべく離れないで」
「えっ……えぇ……?」
また彼の、何かしらの冗談やからかいなのだろうか。そうは思ったけれど、しかしその目は一切笑っていないような気がして。
つばさはまた、困惑した。
~*~*~*~
ふふふ、と御機嫌な様子で彼女はスマホのカメラアプリを立ち上げて、楽しそうに、スタジオへ忘れ物を取りに来たらしいその被写体にズームする。
「〝美園さん〟、だって」
初めて名前を呼ばれ、それが忘れられないでいた。
本当は〝夏那〟の方で呼んでほしかったけれど、それはまだ先になりそうだ。
「本当に、いつ見ても可愛い」
被写体の、その一挙一動を逃すまいと連写するものだから、最近はカメラの容量がすぐいっぱいになってしまう。でも、可愛いのだから仕方ない。
数ヶ月前、ゲストで呼ばれた音楽番組の撮影中に見付けて一目惚れしたその被写体に、美園はすっかりと御執心だった。
しかしまあ、近くをうろちょろとするあの影達が邪魔である。一匹狼で自信家として有名なその影はカメラを向けていることに気付いているのか、こちらを睨み付けているけれど。しかし、後でトリミングして切り落としてしまえばいい話だ。
でも。
「すみません、美園さん。撮影は、事務所を通していただかないと」
横からフレームインしてきた、その紳士的な眼鏡の影に遮られてしまう。内心舌打ちをして、しかしこちらに〝彼女〟からの視線が向けられていることに気が付いて笑顔になる。
「はーい♡」
不安そうにこちらを見るその顔すら可愛くて。しかしそれも、女誑しな影によって隠されてしまう。
彼らといる時だけ、彼女は美園の方を見る。彼らと話している時だけ、彼女は美園に興味を示す。ならば、彼らを利用しない手はないだろう。
彼らはそれに気付いていて、気付いてないのは彼女本人だけのようだけど。
───いません……!
───絶対有り得ません!
彼女の、あの強い否定の言葉を思い出して、思わず口角が上がってしまう。
(本当に、カワイソ)
あれだけ想いを寄せているのに、誰のものもまだ彼女には届いていないようだ。それは自分も、人のことは言えないのだけれど。
だって美園から彼女を引き離そうとする様は、お姫様を護る騎士と言うよりも、〝彼女は自分達のものだ〟と独占欲を丸出しにして離さない動物達みたいじゃないか。
さて、そんな彼らからどうやって彼女を掠め取ろうか。
おちゃらけたお猿さんや、ムードメーカーの羊さんや、ワガママな双子なウサギさんの弟くん……警戒心は強いながらも、少し突けばポロリと口を滑らせて彼女の好きな食べ物や好きな場所や好きな物を教えてくれる彼らに近付いていたけれど。最近になってそれも勘づかれたのか、割と早い段階で誰かが割り込んでくる。
本当は、こんな回り道は嫌なのだけれど。それでも、彼女の視線がこちらに向いてくれるから頑張るしかない。それに最近はほら、先程のように彼女自ら話しかけるようになってきた。〝美園さん〟なんて、今日は名前まで呼んでもらえた。
本当はデートに誘うまでしたかったのだけれど、もう彼らに隠されてしまったから退散するとしようか。
美園の、スタジオから出るその足取りは軽かった。
(次はどうしよっかなぁ~♪)
少しずつではあるものの、でも確実に彼女がこちらに興味を持ってくれていることには違いないから。
次の目標は、彼らに向けている笑顔をこっちにも向けてもらえるようになる、に設定してみようか。
~*~*~*~
最初に気付いたのは健十だった。
ある音楽番組に出演した後から、他の撮影現場で頻繁に姿を見るようになった美園夏那の、その視線の先にいるのが誰か気が付いたのは。だから、そこから気を逸らすために話しかけた。
「美園夏那って言えば根っからの同性愛者で、女の子相手にスキャンダルを起こすって一部の業界人の間じゃ有名なんだよ」
彼女は、男性相手にスキャンダルを起こすことはない。何故なら、彼女の恋愛対象は女性だから。女優や、モデルや、女性歌手。何人もの女性が彼女に目を付けられている。公表しているわけでもないし、傍から見れば女性同士が仲良く遊んでいるようにしか見えないから、一般のマスコミには目を付けられていないようだけれど。しかし、それを知っている一部の業界人の間では有名な話。
なんて彼の言葉に、大半のメンバーは信じていなかったけれど。しかし、それを知っていたのは健十だけではなかった。
その後に行われたMooNsが出演する音楽バラエティ番組の撮影に、やはり顔を出した美園の態度に全てを察したのは帝人で。だから彼も、どことなく〝彼女〟から興味を逸らしてもらおうと、それとなく邪魔をしにいったのだけれど。
「あれは間違いなく、狙いを付けられてしまいましたね……」
なんて、収録が終わってから苦々しく笑っていた。
それから、日を追う事にBプロが関連する撮影現場に美園が顔を出すことによって、他のメンバーもことの重要性に気が付いてくるようになって。
最近は、剛士でさえも危機感を覚えるようになってきたらしい。
本当に、BプロのA&Rは色々なものを引き寄せる。
面倒事になる前に、こっちで対処してみるから! と、夜叉丸からは言われているけれど、先程の様子を見るにそれもあまり効果はなかったらしい。
「わーん! ごめんね健十!」
無情にも、つばさ自身によって追い出されてしまった明謙が、無事美園から彼女を連れ戻した健十に泣きつく。
他愛のない世間話から始まったものの、やはりいつの間にか話題はつばさの方へと誘導されてしまうらしい。
「僕も頑張って、口を滑らせないようにはしてるんだけど……」
「……まあ、それをわかって相手も明謙を選んだんじゃない?」
実際、暉や悠太や遙日はうっかりと口を滑らせてしまった。そういうことに関しては、美園の方が一枚上手らしい。
さらに厄介なことに、つばさ本人が美園に目を付けられていることに気付いていないから、最近は彼女自ら彼らを美園から遠ざけてしまう。それだって、美園の思うつぼだ。
「澄空の同行頻度を減らす……っていうのも無理な話だよなぁ」
龍広は、一瞬浮かびかけた案を自ら否定する。そんなことをしてしまえば、何かしらで仕事に支障が出る可能性の方が高いし、何よりつばさが不審に思うだろう。
いっその事、全部伝えて彼女自らに警戒心を持ってもらった方が早い気がする。
しかし、自分達からの……遠回しで間接的な好意ならともかく、直接的な好意にも鈍感な彼女に、果たして信じてもらえるのかというところから疑問ではあった。
「もう直接、迷惑だからやめてくださいっ! って言っちゃうのはどうかな?」
「……この前言った」
名案だとばかりに言う悠太に対して、溜息を吐いたのは剛士だ。
数日前に標的になった剛士は、遠回しな真似は面倒臭いと「迷惑だから金輪際関わるのはやめろ」と言ったらしい。剛士だけじゃなく、他のメンバーも何人か直接的にも間接的にも言ったらしいのだけれど。
その結果がさっきのあれである。
「やっぱりつばさ本人に自覚してもらって、迷惑だからって言ってもらった方がいいんじゃないの?」
竜持の言葉に、その場にいる全員も同意しているし、おそらく今つばさの傍に置いてきた他のメンバーだって同意するだろうけれど。しかしそれも簡単ではないことくらい、全員が知っていた。
さて、自分に向けられた好意にはてんで鈍感な彼女をどうすれば、あの魔女のような女から守ることができるのだろうか。
もうしばらくの間、彼らは頭を悩ませることになりそうだった。