ここだけ限定 彼はいつも背中を丸めて座っている。
何度も紙をぐしゃぐしゃにして投げ捨てながらこれじゃないあれじゃないと頭を抱える。休憩中だって背中は丸めたままで、ひどい時は椅子の上で膝を抱えながらコーヒーを飲んでいるのだ。
「また猫背になってるよ」
「ん? なに、いつものことだろう、気にするな。今さら直る癖じゃないよ」
アンデルセンが腰が痛いとか肩が痛いとかよく言っているのは姿勢が悪いせいじゃないだろうか。気がついた時にはいつも声をかけているけれど彼に改善する気は全くなさそうだ。
「それより肩が凝った。マッサージを頼む」
「……今回だけだからね」
もう何度目かの「今回だけ」。彼はあまり人を頼るタイプじゃない。世話焼きの彼は逆に人に世話を焼かせてくれないのだ。たかがマッサージなんて小さなことでも、こうしてお願いされるのは嬉しい。
姿勢を直した方がいいのはわかっているのに、結局今日も断らなかった。実のところわたしはだらけた体勢でわたしにマッサージをされたまま、彼が油断してうたた寝しているのを見るのが好きなのだ。
その日は珍しく仕事の打ち合わせで彼が外出していた。
(あれ、アンデルセン?)
スーパーで買い物した帰り道に、喫茶店の中にいる彼の姿を見つけた。
打ち合わせ場所が近所の喫茶店だったり、カフェになることはよく知っている。彼曰くスコーンやケーキが打ち合わせ経費で落ちる、とかなんとか。
彼が店内にいるのは見たのはいい。むしろ彼が外で仕事をしてるのを見るなんて新鮮で、ちょっと得した気持ちになる。……けれど窓越しに見える姿に大きな違和感があった。
執筆中はいつも丸くなっている背中が伸びている。猫背なんて無縁そうな姿。だらしない印象はゼロだ。
(家にいる時と全然違う……!)
どこからどう見ても完璧に「できる大人」の姿がそこにあった。
「ただいま」
「……おかえりなさい」
彼は帰ってきてからいつも通りに椅子に腰掛ける。やっぱり見られるのは普段見慣れた丸い背中だけ。外で見た姿は幻だったのかと思うほど。
「何だ、僕に穴でも空けるつもりか?」
「アンデルセンって外ではちゃんとしてるんだね」
「は? 何の話だ?」
「さっき買い物帰りにアンデルセンが喫茶店にいるの、見かけたの。全然猫背じゃなかった! ……いつも癖だから直らないって言ってるのに!」
「そんなことか。家の中でまで姿勢を正せだの言うなら……」
「外でちゃんとしちゃやだ!」
勢い任せに言ってしまった。口を抑えても言ってしまった言葉は消えない。
「なんだ、嫉妬か」
当然、そんなことを言えば彼に私の気持ちなんて筒抜けだ。口角を上げて目を細める彼の姿にわたしが劣勢であるのが分かってしまう。
家の中で油断してる彼を見られるのがわたしだけで嬉しい。だけどああも外でしっかりしていると分かると、他の人に見られるのが惜しくなってしまう。
外であんまりしっかりした姿を見せないで、だけど油断している姿はわたしだけが見たい。ワガママだと分かっているのだ。もちろん子どもっぽいということも。
彼がわたしを楽しそうに眺めながら頭を撫でてくる。子ども扱いしないでよ、と普段なら言えるのに……今回は自分でも自覚があるから強く言えない。
「機嫌を直せ。――お前の前でだけ気を抜いているんだ」
とびきりの『良い声』。耳元で囁くようにするのは、わたしがそれに弱いと知っているからだ。しまいには椅子に座ったまま、わたしを膝の上に抱き上げる。
甘やかし放題だ。さすがにこんな体勢をずっと続けるなんて恥ずかしい。
「ちょっと、アンデルセン……!」
「なに、心配しなくとも誰も見ていない」
「そういうことじゃなくて!」
「今さら暴かれて困ることもないだろうが。もう大体暴き切った後だ」
「なっ……」
彼がとんでもないことを言うから、膝の上に抱えられたままで固まる。
「いい加減に慣れたらどうだ? まぁこれはこれで悪くはないが」
反論もできないまま黙って頭を撫でられる。
上機嫌でわたしを膝に乗せる彼の前で、わたしはいつまでま顔の赤さが戻らないまま。……やっぱり相変わらず彼には勝てそうもない。