君の名を呼ぶ「なあ、今日は俺の祝いの日だろう? ひとつ頼みを聞いてほしいんだが」
よく晴れた秋の日。大般若長光が執務室にやってきて、そんなことを宣った。
「それ、お金かかる?」
「いや、かからない。あんたに、俺の名前を呼んで欲しいのさ」
「……大般若?」
一体なにを求めているのか。わからないけど、反射的に名前を呼ぶ。大般若長光は両目を伏せていた。好きな音楽を聴くときみたいに。
「……ああ、ありがとう。じゃあ、次に手を繋いで庭を歩いてくれ」
「え? お願いっていくつあるの?」
大般若長光に恭しくエスコートされ、庭に連れ出される。朝の光を浴びる竜胆が朝露に濡れていた。今朝は今年一番の冷え込みで、そのおかげで澄んだ空気を思い切り吸い込む。
「寒くないかい」
「平気。肌寒いの、結構好きだから」
と言ってるのに、大般若長光はむぎゅっと抱きしめてくる。折角なのでコートの中に入れてもらい、暖を取る。
「寒いときに抱きしめあうのも乙だなあ」
「……これも"頼み"なの?」
「あんたは勘がいいなあ。そうだよ」
一体、何個"頼み"があるのだろう。というか、お祝いなのだろうか。一応訊ねたけど、返事はない。
「なあ、俺の名前を呼んでくれ」
「……大般若」
「ありがとう」
「……ねえ、どうしたの?」
「どうもしないさ。今日は俺の祝いの日で、それはあんたが俺にこの名で呼びかけてくれたからで、寒さやぬくもりを感じるからだを得て、喜びやさみしさを感じるこころを持っているのも、あんたがいるからに他ならない。同位体という存在がそこらじゅうにいる俺が、あんたがこの名で呼びかけてくれる間は、大般若長光でいられる。だから、いまは、敵を討ち滅ぼすためだけではない腕で、抱きしめさせてほしい」
返事の代わりに、大般若長光の背中に腕を回す。
「大般若」
名前を呼んでいるうちは、というのなら、いくらでも、たとえ頼まれなくたって、名前を呼ぶ。何度だって。