誰のミートパイが一番おいしいか決めよう世界の狭間。
または緞帳が下りた有るとも無いともいえる場所。
ローブ姿の青年達が修道院にあるような長い机を囲んで談笑しておりました。
「おや見かけない子がいるね?」
十字柄のモノクロのローブを身につけた男が声をあげ、
「そう貴方だ。白い私」
続いて一様に顔を隠しているローブ姿の青年達の中でも最初に声をあげた男によく似た、十字にワイン色のローブ姿の男が声をあげました。
「私……私?」
声をかけられてもまだ微睡んでいるかのように白い私は床に座ったまま、ゆっくりと歩み寄るふたりを目隠し越しにぼんやり見ています。
「なり損ないの蛹の私」
「彷徨う子羊の私」
「「貴方は何者だ?」」
目前でふたりが立ち止まったところでやっと白い私が夢から覚めたようにハッと顔をあげると顔の横で真っ白な三つ編みが揺れました。
「ああ、ああ!私はたぶん代役なのです!この"記憶で出来たパイ"を"誰か"から預かりました。私が目覚めた時にはもうこのパイが腕の中にあって……こんなに良い薫りがするのですからきっと大切な人の為に用意したと思うのです」
白い私は腕にかかえていた大きなバスケットを示しました。
バスケットからは彼が言った通り香ばしい良い薫りがしており、蓋を開けるとその香りはより一層強く辺りに漂いました。
香りの奥にあった小さな円形のパイは見事な艶はあるものの所々焼け焦げ、表面の網目も少し歪んでいて不器用さはありますが手間を惜しまず丁寧に作ったのが分かります。
「焼き立てだ」
「はやく届けてあげないと」
同席していた頬に涙のような刺青のある不思議な青年たちは感心したり心配したりし始めます。
ローブ姿が多い中で珍しく鎧を身に纏い、落陽を映した湖面のような宝石の仮面を着けた青年が振り返って叫びます。
「ヤコウ!」
「ああ。私が力になろう」
ヤコウと呼ばれた青年は勿論だと立ちあがり、一鳴きして青く光る梟になると白い私を乗せて飛び立ちました。
ヤコウが大きな翼をはばたかせる度にぐんぐんと高度はあがり、やがてほっそりとした月と星の間までくると天と地を分けるように夜空を駈けていきます。
「寒くはないかい」
「フードを被るので心配は無用です」
白い私の服は腹まで大きく開いていて夜風を抱き込んで風船のように膨らむので、同じく風を受けてバタバタと鳴る外套を体に巻きつけて抑え込んでから体を低くしてヤコウの背中にしがみつきます。
「ご覧。解厄の私と……これは夜火だね。まじないをかけてくれた。これなら万が一にも道に迷うことはない」
ひとつ。ふたつ。ヤコウが大きく羽ばたいた後。ふっ、と何かに守られているように風が弱まりました。目深に被った三角の飾りがついたフードの下からそろりとあたりを見回すと星と星を繋ぐように閃光が追い越してゆきました。繋がれた星々は途端に明るさを増し、きらきらと細かな光の粒を産み出して、遠くで篝火のように揺らめく光に向かって一筋の道を作りました。
大梟の背で光を受けては返す白いヴェールの輝きはもし地上から見る人がいたのならば天からの使いだと信じるに違いない程に神々しいものでした。
長いミルキーウェイの先。
遠くで揺らめいていた光の元には立派なお屋敷がありました。
宝石の彼が手助けしてくれたのかまだ温かいパイのバスケットを抱え直し、白い私が手入れの行き届いたバルコニーに軽やかに降り立つと屋敷の中から白蛇を連れた身なりのよいとても美しい青年が出てました。
「あ……」
ピュイ、黒を纏った美青年と向かい合うのを見届けるとヤコウは激励するように鳴いて夜空に飛んでいきました。
「君は一体?」
「私、は……」
答えようとした喉がひゅう、と痛みます。
彼の連れる白蛇の赤い目が恐ろしかったのではありません。私をじっと見つめる彼の宝石のような美しい深い青の目が何故かとても恐ろしくかったのです。
カタカタと震える指先を握りしめ、ぐっと腹の底に力を込めて背筋を伸ばします。
「……っ、とある人から預かりものを届けに来ました……!」
勝手知ったるとばかりにずかずかと部屋に押し入り、机に置いたバスケットからぴかぴかのカトラリーを取り出すとパイを切り分けて美青年に押しつけます。驚きながらも愉快そうな顔をして受け取った美青年でしたがひとくちパイを口にすると一瞬、動きをとめました。
「"記憶のパイ"?……そうか……馬鹿な子だ」
困ったように眉を下げ、もうひとくち。
「勝手に消えるくせに私に覚えていろと。大概あの子も傲慢だ。まったく誰に似たんだか」
パイがほろりほろりと崩れる度に青年は全てとらえて口に運びます。
ひとくちまたひとくちと消えるパイとは反対に、自分が何者なのか理解し始めた"白い新しい私"は義兄だった青年にたずねました。
「私に食べさせたら元に戻るとは思わなかったんですか?」
解ってないなあと青年は笑います。
「君にだってあげないよ」
あの子は私のだ。
最後の一欠片まで食べきりました。
「君の今の名前は?」
白む空に星々がとけていく。
机に残された銀のカトラリーと金で彩られた白磁の皿。
その上に何があったのか。
覚えているのは"誰か"の兄だった青年ただひとりだけ。