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    とりあえずざざっと書いた

    お嬢様と従者 あるところに、引退したばかりの暗殺者がおりました。これを機に穏やかな生活を送ろうと夢見ていましたが、どこからともなく敵が現れ、命を狙われてばかりの日々を過ごすことになります。夢見るどころかおちおち寝てもいられない状況に追い込まれてしまいました。眠気で重くなった目蓋をなんとか持ち上げて、あてもなく逃げ惑うことになったのです。そんなある日、逃げ道の途中、暗殺者は疲れで霞んだ視界をはっきりさせようと、何度も目を擦りました。それもそのはず、道の真ん中で怪物を見つけたのです。しかも、その怪物はうつ伏せになって倒れていました。一大事です。暗殺者は一瞬ぎょっとしましたが、恐る恐る声をかけました。
    「一体どうしたんだい」
     怪物はぐったりとしていましたが、ゆっくりと上体を起こし、か細い声で答えました。
    「狙われているんだ」
    「誰に?」
    「敵に」
    「敵だって?」
     同業者かと思いましたが、どうやら怪物には怪物なりの事情がありそうです。
    「もう力が出ない。しかし、奪われるわけには……」
    「狙われたり、奪われそうになったり、実に大変だな。怪盗からの予告状でも届いたのかい? まるで宝石だね」と暗殺者は言いました。
    「宝石?」怪物は怪訝そうに目を細めました。
    「いいや、自分はそんな美しいものじゃない。皆はこの存在を忌み嫌っているんだからな。狙われているのは命だよ。魂さえ消すつもりなんだ」
     暗殺者は笑みを浮かべました。
    「奇遇だね。実は、私も命を狙われているんだ」
    「なんだって?」
    「手を組もう。まだ諦めたくはないだろう」
     怪物は差し出された手をじっと見つめていました。目の前で何が起こっているのかわからないようでした。戸惑いを隠す様子もなく、時折暗殺者の顔をうかがいました。
    「いい考えだと思わないか」
     怪物は歩いて来た道を振り返りました。自分を追う者たちの声が聞こえた気がしましたが、どこにも姿は見当たりませんでした。
     怪物は暗殺者に向き直ると、そっと手を差し出しました。
    「私の影においで」
     暗殺者から伸びていた影がひとりでに動き出し、怪物を飲み込んでしまいました。怪物は暗殺者の影に住む用心棒となり、一緒に敵を倒しながら暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

     暗殺者と影の者の伝説を初めて語り聞かせてくれたのはお嬢様だったが、本当に初めてだったのかと指摘されると自信がない。有名な話だとお嬢様は言っていたから、どこかで耳にしたこともあるだろう。しかし、私には記憶がない。お嬢様との出会いははっきりと思い出せるが、それより前の記憶がないのだ。
     雪の中で倒れていた私を助け出したのはお嬢様だった。
    「安心して。もう凍えることはないわ」
     ベッドのそばで、くすんだ黄色の目がこちらを見下ろしていた。月に覗き込まれていると思った。長い水色の髪を束ね、仕立ての良い青の服を身にまとった幼げな月だった。
    「……ありがとうございます。もう、平気です」
     どうして倒れていたのか、それまで何をしていたのか、自分が何者なのか、どこからやって来たのか、ベッドの上で目覚めたときには何も覚えてはいなかった。
    「無理をしないで。調子が戻るまで休んでいて」
     月は私の言葉に納得しなかったらしい。怪我をしているのではないかと、注意深く目を配らせていた。
    「一体何があったの? もし話せるのなら教えて。あなたのことを」
     私は何も言えずに俯いた。自分は南国の生まれで、吹雪の恐ろしさを知らず、夜の散歩に出かけてしまった迷子ではないだろうか。いや、案外近くに住んでいたのかもしれない。雪に慣れ親しんでいる者でも、視界が白で埋め尽くされると、方向感覚を狂わされ、家が目の前にあるのに延々と寒空の下を歩き回ってしまう悲劇も起こる。まさか、正体は世を騒がす大悪党で、命からがら逃げて来たのではないかと嫌な妄想までしてしまった。だが、どれにも当てはまらないような気がした。
    「残念ですが、私にできる話はひとつもありません」
     記憶がないことを伝えると、お嬢様は励ましと微笑みを私に与えた。
    「きっと、春になれば凍りついた記憶も溶けるわ。私にできることがあれば、なんでも言って」
    「……では、あなたの話を聞かせてくれませんか。私には知らないことが多すぎる。話をたくさん聞けば、何かがきっかけとなって、記憶が呼び起こされるかもしれません。体が動くようになれば、あなたのために働きます」
     それから、お嬢様は毎晩物語を紡いだ。この地に伝わる昔話や異国のおとぎ話から、冬になると重たげな灰色の雲が雪を連れてやってくること、太陽に照らされ輝く雪原の美しさや自身の思い出話まで、内容は多岐にわたった。初めての語りが、暗殺者と怪物のおとぎ話だった。
    「このお話が元になって、影は最良の友の象徴になった。影を連れているひとに対して、ご友人の調子はいかがですかと挨拶することもあるのよ」
    「影の者は実在するのですか?」
    「ええ。街に出かければ、見かけることもあるでしょうね」
    「てっきり、おとぎ話だけに登場する存在なのかと……。誰にでも影が?」
    「ひとによるわ」
    「条件でも?」
    「条件というほどのものではないけれど……」
     お嬢様はためらいがちに口を開いた。
    「影の者は宿り主から魔力をもらい、宿り主にも魔力を与えるのよ。分離もできるけれど、遠くまでは行けないわ。互いに影響を及ぼすようになるの。だから、魔力を持っているひとでないと……」
    「魔力? 魔法使いですか?」
    「そうね……」
     悲しげに俯くお嬢様を横目で見ながら、何かまずいことを聞いてしまったかもしれないと反省したが、どの言葉がお嬢様に陰りをもたらしてしまったのか、そのときはまだ知る由もなかった。
    「私はあなたの影になれるでしょうか」
     そう尋ねると、お嬢様は大きく目を見開いた。
    「一体どうしたの?」
    「あなたの役に立ちたいのです」
     お嬢様は困ったように笑いながら毛布をかけ直してくれた。肩が温もりに覆われた。
    「ありがとう。でも、まずは体を癒すことだけを考えて……」
     お嬢様の声を聞くと、緊張や焦りがほどけていくようで心地が良い。心に染み入った言葉たちにゆっくりと撫でられているかのようだ。甘い安堵に満たされ、大きく息を吐き出した。
    「ゆっくりお休みになってね」
     忍び寄る眠りの気配に目蓋が重さを増していく。
    「また明日も話しましょう。おやすみなさい」

     様々な話を聞くうちにわかったことだが、お嬢様は氷の魔法の使い手で、数々の大会で優秀な成績を収める実力者であった。
     その実力もあってか、「氷の魔女」と呼ばれているようだが、お嬢様はその呼び名を好んでいなかった。魔女は特に恐ろしい存在を指す代名詞で、恐怖の対象として扱われているらしい。噂では、氷漬けの魔法によって体の自由を奪われるだけでなく、氷の使い手の口付けを受けると魂まで凍ってしまうそうだ。その噂が真実でないことは、私自身がよく知っていた。
    「次の大会は一緒に行きましょう」とお嬢様は言った。交わされた約束に、私は内心舞い上がっていた。腕の良い写真家を呼んで、お嬢様の勇姿を収めなければ。アルバムを作るのもいいだろう。この屋敷にトロフィーや表彰楯がずらりと並んでいるところを見ると、お嬢様はめっぽう強いに違いない。
    「ええ、もちろんです。応援します」
    「私はじわじわと体力を削るのが得意。相手は氷の魔法に耐えられずに地面に伏してしまうの。恐怖と寒さに震えた体が、だんだん動かなくなっていって、気づいたときにはもう遅いのよね。でも、気づかれる前に倒したいわ」
     まるで暗殺者のようなことを言う。戦いに関しては私の手を借りる必要がない。
    「怖がらないでいてくれる?」
    「氷の魔法を?」
     お嬢様は頭を小さく左右に振った。
    「私のこと」
    「一体、どうして怖がることができるのですか。あなたは私にとって恩人です。それに……」
    「それに?」
    「お嬢様こそ、何者でもない私が恐ろしくはないのですか。そう、もし、悪い奴だったとしたら……。私が貴重な宝石を狙ってばかりいる大怪盗で、諦めの悪い探偵に追われていたらどうするおつもりだったんですか?」
    「私が見つけたとき、あなたは宝石なんてひとつも持っていなかったわ」
    「もし私が大悪党だったら……」
    「武器も持っていなかったから心配いらないわ」とお嬢様は微笑んだ。
     春は目前だった。私は凍えることなく生きている。

    「どのお姿も凛々しくて素敵です、お嬢様……」
     ほとんど独り言に近かったが、隣に座っていれば自ずと耳に届くようで、「なんだか慣れないわ」とお嬢様は苦笑していた。私の手の中にあるのは、大会でのお嬢様の活躍を何枚にも納めた記念すべきアルバム第一号である。
    「確か、アルバムを作るのは初めてですよね」
    「そうだけど、慣れないのはそっちじゃなくて……。面と向かって褒められると、くすぐったいわ」
     あたたかな日差しに誘われて雪解け水が流れ出し、眠っていた植物が芽吹くように、いつかは記憶が蘇ると想像していたが、春が訪れても記憶は戻らなかった。
     二度目の冬がやって来たとき、「あなたの影になりたい」と私は告げた。
    「あなたのおかげで、再び人生を歩む勇気を抱くことができました。何も思い出せず、私は欠けた存在であり続けていますが、それでも、あなたの最良の友でありたいのです」
     お嬢様は首を傾げて、そっと私の顔を覗き込んだ。
    「欠けた存在になんて見えないわ」
     お嬢様の瞳には労りと慈しみに溢れていた。
     その眼差しに私の心は打ち震え、体中が甘い熱に飲み込まれた。
    「雪の中であなたを見つけたとき、あなたの凍えた指先が、私の手を握ったの。弱々しい力だったけど、まだ諦めたくないって伝えているようだった。あなたはこれまで何度も手を差し出してくれた。受け入れたかったけど、でも、ずっと怖くて……。記憶が戻らなくても、あなたはどこへだって行けるのよ。私があなたを影にしてしまったら、自由を奪うんじゃないかって」
    「それでも、決めたのです。私は自分の意思であなたと共にいる」
     お嬢様は小さな両手で私の頬を包み、ああ、と感嘆するような息を吐いた。
    「私の影……」
     私は影の住人となり、いくつもの季節が過ぎてもお嬢様との記憶を育んでいる。
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