「もう少し、酔っていかれませんか。今日はそういう気分なんです。」
揶揄うように唇で弧を作ると、カウンター内に置かれていたワイングラスを煽る。空になったグラスは粗雑にシンクへ置かれた。
分針が真逆の方向を指す頃には2人はソファに雪崩込んでいた。硬く薄い手の上に重ねられた手のひらはシャイロックのそれよりひと回り大きく厚い。その指が細く節の高い指に絡まり、無骨なブーツに包まれた脚が器用に、細い脚をソファの上に誘う。カインはシャイロックのスタイと胸元のボタンを外し、かさつく手で白く薄い胸板を撫でた。カインの肩に伸ばされた手は、拒んでいるようにも見えた。しかし、カインは駆け引きをする素振りも見せず、物足りなげに開く口元に舌を差し込む。鈍い月明かりに照らされた銀の糸が引いた。がっしりとした腕がもう一度とばかりに細いあごを掴む。
「サービスはここまでです。」
その声は、いつものぴしゃりとした芯はなく、艶やかな唇に反しては拗ねる少女のような、色気の無い声だった。
「今日は、あの月が、一段と美しい日ですから。」
いつもより頼りなげに見える手が厚い胸板を叩く。
シャイロックはそのまま上体を起こして、ジャケットの内ポケットから銀に光る年代物であろう小ぶりな懐中時計を取り出し、少し乱れてしまった髪を手先で整えた。2人の目線が重なる高さで、蝋燭の炎が静かに燃えている。部屋を出て行こうとする彼に向けて腕を伸ばしたのは無意識だっただろうか? 悲壮さを滲ませていた顔は一瞬だけ躊躇ったようにだったが、シャイロックは再び体をソファに沈ませた。白い肌に、触れるだけのキスが落とされる。呪文と共に火種は消え、窓が微かな音を立てて閉まる。室内は再び夜の静けさを取り戻した。カーテンの向こう側は夜明けまでまだまだ遠いようだ。
遠くの方からかすかに聞こえてくる鳥の声を聞きながらシャイロックは窮屈に折り畳まれた足を伸ばす。そのまま上半身を起こして隣を見ると、床でソファにもたれかかり、眠りこけている黒い塊があった。どうりで静かなわけだと納得する反面、何ともまぁ気持ち良さそうなことだと自然に唇が綻ぶ。
そういえば昔にもこんなことがあったような気がしたけれど、思い出せないということはきっと大したことではなかったのだろう。