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    nukabosi

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    WEBオンリー「月が綺麗でしたね」用展示です。

    ※既刊の後日譚です。単独では読めません。フィ+晶♀の逆トリ「きみは世界の真ん中さ」をご覧いただいてからお読みください。
    https://www.pixiv.net/artworks/127280364

    フィガロの死に際にブラッドリーが訪問してくる話です。

    約束の果て フィガロの診療所は今も湖のそばにあった。
     人口の増えた街が交通の要所沿いに移ったこともあり、患者の受け入れはしばらく前からやめていた。今はむしろ魔力を失いつつあるフィガロ自身のための療養の場になっている。人が訪ねてくるのは大好きだったから、手紙を受け取ったり相談事を聞いたりは続けている。ルチルもミチルも毎日のように遊びに来ていた。

     春の真昼。草むらは海のように、湖面は星のようにきらめいている。その上を強い風が渡っているのだなと気づくころには、窓から花の香りがカーテンを巻き上げながら入り込み、ベッドから立ち上がれないフィガロの全身をやさしくなでた。南の精霊も変わらずフィガロのそばにいた。

     近ごろフィガロは体を休めている時間が長くなった。そんなときはこうして草原が光る面を変えながら輝きの波を届けてくるのを飽きもせず眺めていた。だからその脚にもすぐに気づいた。晴れた空気を迎えるために開け放たれた窓から割り込むにはいささか不釣り合いな黒い脚。夜みたいにきらめくよう手入れされた革靴を履く男なんて南の国にはいない。男の服に染みこんだ煙の臭いのせいで春めいた部屋の空気が乱された。異質な訪問者が白黒の髪の下から傷だらけの顔をのぞかせた。男はブラッドリー・ベインだった。

     ◇
     
     石になる日を待つ男に対し、まるで死神の来訪だった。事実、ブラッドリーはフィガロを殺す十分な理由を持っていた。
     賢者の魔法使いの責も失い、魔力も弱まったフィガロは、本当なら彼にいつ石にされてもおかしくなかった。だが、どうしたことか、ブラッドリーはある時代に賢者を務めていた真木晶という人間に対し、彼女が死ぬまではフィガロを殺さないと約束したのだ。いや、約束だったのかはわからない。しかし彼はその言葉を律儀に守っていた。強い魔法使いらしく当然のように自分の心を守って見せた。そのおかげでフィガロは北の魔法使いからしてみれば気の抜けたような南の国で愛すべき人々に囲まれ死に向かう日々を穏やかに送っている。もちろん自身の人生に決定的な亀裂を与えられた怨みは消えようはずもない。ブラッドリーはフィガロの顔など見たくもなかっただろうし、お互い顔を合わせるのはあの賢者の来訪日以来はじめてのことだった。

    「石を盗るなら弔いのあとにしてくれる? ミチルが泣くからさ」
     フィガロは驚きをおさえつつ、探るようにブラッドリーに声をかけた。ブラッドリーはフィガロのいるベッドには一歩も近づかず、入ってきた窓に体重を預けたまま晴れやかな病室を胡散臭げに見まわしている。艶を揺らす黒髪は子供たちからの手紙で壁が飾られた真昼の病室には似合わない。いまも力ある北の魔法使いのブラッドリー。いまさらこの男が自分を殺さないだろうことはフィガロにも分かっていた。フィガロの寿命は尽きつつあり、晶はまだ生きている。ブラッドリーはフィガロを石にする機会を永遠に失うだろう。それなのに難儀な美徳を持ち、死者を冒涜できる男でもなかった。豪奢な体躯で場に闖入したわりに、命を獲れない死神だったし石を荒らせない盗賊だった。目の前に殺したくても殺せない男がいるのは苦しいことだろう。フィガロには彼が自分のもとに現れた理由がわからなかった。
     
    「俺の勝ち逃げになっておまえには悪かったね」
    「これで勝ったつもりかよ。おめでたい野郎だな。女子供に守られて生き延びて情けねえと思わねえのかよ。あれだけ尊大だった分、無様だな」
     こんな侮蔑のためだけに足を運ぶ男にも思えないが。そもそも侮蔑にもならない。フィガロの軽薄もブラッドリーの挑発も見せかけで、二人ともあの遠い日の賢者との会話を頭に置きながら慎重に言葉を選んでいることを知らせあったようなものだ。フィガロはゆるぎなく答えることができた。
    「無様だなんて思っちゃいないよ。賢者様が俺に他人とつながって生きるよう願ってくれたんだ。それを叶えてあげてるだけさ」
     春風が窓枠のブラッドリーの背を越して部屋に吹き込んだ。フィガロに届いて巻き毛がそよぐ。ここは南の国だ。ろくに言うことも聞かなくなったわがままな精霊たちがそれでもフィガロのことを愛している。
    「俺にはおまえのほうが意外だったけど。条件付きとはいえ俺を殺さないと言っただろう。北の盗賊団の誇りを曲げるとは思わなかったけどね」
     言葉にしつつ、フィガロにはなんとなく分かっていた。ブラッドリーはフィガロではなく賢者を選んだのだ。フィガロに罰を与えるより、賢者とのつながりを保つことを選んだ。規律を守るより宝を得ることを選んだのだ。復讐を諦めたことを言葉にさせればそれこそ侮辱になるだろうが、あの日の譲歩に助けられた部分のあるフィガロは追及はしないでおいてやった。ブラッドリーがフィガロを選ばなかったように、フィガロにとってもブラッドリーの本質の追及は逃してもいいものだった。ブラッドリーがフィガロ以上に罰を与えるべき相手に対し、どうふるまったのかも言及してやるつもりはなかった。ただ、本来なら智謀に長けた彼の詰めのゆるい言葉が気になった。

    「それで、おまえほんとに何しにきたの」
    「晶には知らせたのか」
     息をのむ。振り仰ぐとブラッドリーの赤い目が今日はじめて存在感を放って燃えていた。ブラッドリーは彼女を呼びに行きたいのだ。
    「てめえが死のうがてめえの勝ちだとは思わねえが、晶にとっては勝ちだろう。部下に大仕事の成果を見せてやるのも頭領の仕事だろ」
     ブラッドリーがなにか色気のないことを言っているがどうでもよかった。彼女を呼ぶ? なんのために。彼女は俺に会いたがるだろうか? フィガロにはわからなかったがブラッドリーがフィガロのために働くはずはない。ブラッドリーがそれが彼女のためになると考えているのは事実のようだった。本当に? ずいぶんかいがいしいじゃないか。似合わないぞ、そんなこと。
    「……俺の髪でも持っていく? おまえの魔力じゃ世界を渡るには苦労するだろう」
     気が動転したのか自分の施しを受けるはずのない相手にそんな提案さえ持ちかけた。いまならなんでも分け与えられるのに。
    「誰がてめえの施しを受けるかよ」
     案の定の答えのあと、ブラッドリーが窓の外を見やって言った。
    「もう連れてきてる。下の街で南の若い連中に会わせてきたからそのうち一緒にこっちに来るだろ」

     とたんに目の前の男が憐れに思えた。100歳にも満たない若い人間の言動で自分の矜持を曲げた憐れな男。夜も輝かす財宝を奪い、燃える敬慕を差し出す配下を持ち、眩暈がするほど豊かな女を抱いてきただろう男が、場違いな白い明るい家まで来て憎い相手を前に手も出せず立っている。のんきな南の精霊に撫でまわされたまま耐えている。あの日の少女の言葉を守りたくて。そして同時に分かった。たぶん相手から見れば無様と罵られた自分も同じように憐れに見えていただろうことも。どうしてそれを自分たちは心地よく感じているのだろう。魔法舎のあったあのころから感じていたが、つながるはずのない縁がつながるなんとも不思議な時間だった。不思議な仲介者だった。友人だった。

     ◇

     草原の波の音を聞く。太陽に照らされた道をあの子がやってくる。
     フィガロは何年も前の記憶を振り返っていた。
     大丈夫。きみの言葉が魔法みたいに残ってる。
     心の中で唱えていた。ついに会えたら伝えよう。きみが守ってくれていた。死ぬまでひとりじゃなかったよって。

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    nukabosi

    DONEWEBオンリー「月が綺麗でしたね」用展示です。

    ※既刊の後日譚です。単独では読めません。フィ+晶♀の逆トリ「きみは世界の真ん中さ」をご覧いただいてからお読みください。
    https://www.pixiv.net/artworks/127280364

    フィガロの死に際にブラッドリーが訪問してくる話です。
    約束の果て フィガロの診療所は今も湖のそばにあった。
     人口の増えた街が交通の要所沿いに移ったこともあり、患者の受け入れはしばらく前からやめていた。今はむしろ魔力を失いつつあるフィガロ自身のための療養の場になっている。人が訪ねてくるのは大好きだったから、手紙を受け取ったり相談事を聞いたりは続けている。ルチルもミチルも毎日のように遊びに来ていた。

     春の真昼。草むらは海のように、湖面は星のようにきらめいている。その上を強い風が渡っているのだなと気づくころには、窓から花の香りがカーテンを巻き上げながら入り込み、ベッドから立ち上がれないフィガロの全身をやさしくなでた。南の精霊も変わらずフィガロのそばにいた。

     近ごろフィガロは体を休めている時間が長くなった。そんなときはこうして草原が光る面を変えながら輝きの波を届けてくるのを飽きもせず眺めていた。だからその脚にもすぐに気づいた。晴れた空気を迎えるために開け放たれた窓から割り込むにはいささか不釣り合いな黒い脚。夜みたいにきらめくよう手入れされた革靴を履く男なんて南の国にはいない。男の服に染みこんだ煙の臭いのせいで春めいた部屋の空気が乱された。異質な訪問者が白黒の髪の下から傷だらけの顔をのぞかせた。男はブラッドリー・ベインだった。
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