宇宙「人」の不可思議タイトル通りである。
先日ふと、「宇宙人」という単語に違和感を覚えた。
というのも、「宇宙人」という単語には当然のように「人」という単語が紛れ込んでいるのだ。私はこの「人」という文字に、どうも引っかかる。
因みに、広辞苑によるとこう。
ひと【人】〘名〙
❶ 動物分類学上、霊長目ヒト科に属する哺乳類。学名はホモ‐サピエンス。人間。人類。
❷ ある特定の個人。また、ある一定の条件にあてはまる個人。
❸ 能力などのすぐれた個人。有能な人材。
❹ 自分以外の人間。他人。
❺ 性格。人柄。
じん【人】
(造) ひと。人間。
要するに「人」とは前提として、人間、human、人類のことではないかと思う。しかし我々は宇宙人を「ウチュウジン」という生き物として捉えている。我々の認識の中で彼らは、「人類」という枠組みからは外されているようだ。
しかし何だ?この「人」は。「宇宙人」という単語の中にさりげなく忍び込み、あたかも初めからそこが自分の居場所であったかのように我が物顔で居座っている。それはもう、オットマンまで用意して深い腰掛けに脱力して沈み込んでいるかのような。
そして、(これは途中で気が付いたことだが、)よく考えたら宇宙人ってヒト型なのだ。馬型とか虫型だとかは、あまり見ない。よく見るUMAというものは大概が往々にしてヒト型なのである。何故だろう。
そもそも地球は人間のもの、という訳でもあるまいに、我々は「地球の支配者→最も知能の高い生き物=人間」だと思い込んでいる。よって、宇宙の支配者も当然ヒト型であろうと、そう言う理屈だろうか。
・知能が高いから支配者たり得るのか?
否。所詮ヒトは物理的に強い生き物には敵わない。そして人間が猿よりも何よりも知能が高いという考えですら、我々人間の脳みそで考えた人間の中だけでの常識だというのに、何故こんなにもはっきりと、「(人外も含め)誰の目にも明らか」かのように言えるのか。
・知能が高いなら二足歩行をするのか?
これも否。寧ろ二足歩行どころか、肉体すら持たない方が便利なことも沢山あるだろう。しかし尚も「ウチュウジン」という単語に対して我々が「肉体があり、2本の脚で自立するイメージ」を抱くことは、あまりにも人間という生き物の中にある固定観念に囚われすぎているような気がしてならない。
さて、ウチュウジンとは何なのか。
そして私は何故いきなりこんなことに文句をつけ始めたのか。
冷静な思考を試みたつもりでいたが、今の私が一番冷静ではない。
うん。最初から宇宙人どころではないのだ。実は私には締切が差し迫っている。馬鹿野郎。
ここまでずっと人間を愚かしく批判してきたが、「誰もそんなこと(宇宙人が皆ヒト型だの人間が地球の支配者だの)言ってねぇよ」とか言われてしまったらどうしよう。その通りすぎる。愚か者。申し訳ございません。
…結の無い尻切れ蜻蛉だが、今回もこの辺でいい逃げさせていただこう。
MeteOの新曲が美しい詞で描かれることを信じて、一度仮眠を取ろうと思います。では。