カルデア特捜班 ルルハワ特別編「チェックメイト」
黒い国産セダンのハンドルを握る男がニタリと笑う。助手席の男が忌々しげな舌打ちをして懐へ手を伸ばすのを「禁煙だヨ」と言葉で制した。
隣り合う二人の男はまるで対照的だった。
髪からスーツまで飾り気なく黒一色の若い男に対して、ロマンスグレーの髪の彼はタイピンからシャツのボタン一つに至るまで隙なく上質な物を選んでいた。
カルデア署の捜査一課に所属するシャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティがカルデア署でバディを組んではや五年。数々の難事件を解決に導いてきた名コンビだ。この二人とあと一名、それと班長である柳生の四人で構成される第三班は通称カルデア特捜班と呼ばれている。
「……それで」
ブラインドチェスの敗北を苦々しく噛み締めながらホームズは片眉を上げて男を横目で見た。「チェスに負けた方が勝った方の言う事を聞く」それが彼らの中での不文律だった。
「新年休みの当直を代わってくれ。もちろん全部だヨ」
「……なんだ、そんな事でいいのか」
どんな面倒事を押し付けられるのかと内心身構えていたホームズは拍子抜けした。長期休暇期間でプライベートな予定は無かったし、むしろ仕事にかこつけて鬱陶しいほど過保護な兄と顔を合わせなくて良いのだから、願ったり叶ったりだ。
チェスの件がなくても快く代わっていただろう。
「旅行でも行くのかい」
「ご明察」
明察でも推理でもなく、単なる世間話だがモリアーティはやけに上機嫌だ。珍しく勝てたのがそんなに嬉しいのだろうか。
「七泊九日でルルハワにでも行ってこようと思ってネ」
「それは結構な事だ」
今年の年末年始休暇は土日を合わせて九日間となる。モリアーティは一日休みを取り十連休とする心算のようだ。
南の島で羽目を外すような趣味があったとは知らなかったがどうでも良い。せいぜい楽しみたまえ、と肩をすくめた瞬間爆弾を落とされた。
「ジムと一緒に⭐︎」
「ーーは?」
ジムとは現在事務所で待機しているカルデア特捜班三人目の刑事である。緊急事態に備え、長期休みであっても各班のうち一名は交代で出勤、当直に当たる必要がある。管理職除いて三人いる班のうち二名が休むということはつまり、簡単な算数だ。
ここにめでたくホームズの十連勤が決定した。
事務所内の空調は効いていたが、手足の先がしんしん冷えるような寒さがどこかから這い寄ってきていた。眠気覚ましと指先の暖の為に淹れたコーヒーを飲みながら、ホームズは苦々しくスマートフォンを睨んだ。
『イェーイ! きっちり仕事しているカネ?』
『せんぱーい! お土産何がいいですか?』
南国らしいカラフルなシャツを着た二人の男がスマートフォンの中から満面の笑みを向けている。時差のためあちらは昼間だがこちらは深夜。絶賛当直中のホームズを煽るためのビデオ通話に他ならない。
「……今すぐ雪でも降ってくれないかな」
『ひどーい』
『やっぱり先輩怒ってるんじゃん!』
壮年の男はもちろんモリアーティ。
仕立ての良いスーツ姿を投げ捨てて花のネックレスにサングラスなんて付けて調子に乗っている。
その隣で同じような格好をしているのもジェームズ・モリアーティ。モリアーティの甥に当たる青年だ。老齢の方と同姓同名のため署内では「ジム」と呼ばれている。去年特捜班に配属された新米刑事だがIT技術に長けているため早くもなくてはならない存在として重宝されていた。
この青年をモリアーティはことさら可愛がっておりプライベートでの甘やかしぶりは目に余るものがあった。
ルルハワ旅行も彼が行きたがったのだろう。「本場のパンケーキ食べてみたいなー」とでも言って。
そもそも長期海外旅行など、この職業では新婚旅行くらいでしか認められないはずだが一体どういう手段を使ったのか。例え今すぐ馘になろうが問題なく生活していける男に怖いものなどない。
甘やかしたくなる気持ちは分からないでもない。
輝くようなプラチナブロンドに猫のような瞳。人懐っこい笑顔により誰もが彼に心を開く。色々な職員にお菓子をもらっているところをよく目にしていた。
現にホームズも、「本当に休み代わってくれるんですか……?」と申し訳なさそうに確認された時「私のことはいいから楽しんでおいで」と言葉を返してしまった。
ジムが楽しそうにしている姿は別にいい。楽しみのない当直中の良い気分転換になる。しかしその隣でモリアーティがはしゃいでいる姿でホームズの機嫌はそれ以上に急降下した。
『お土産いっぱい買ってきますから……』
「気にすることはないと言っているだろう」
しょぼくれたジムの隣で若造りしたダブルピースを決めているモリアーティを視界から無理矢理消し去り、ホームズは通話を切った。
巷では名コンビだの言われているが、ホームズとモリアーティは本当に馬が合わない。捜査方針も個人の趣味嗜好、性格もことごとく合わない。今すぐ彼は警察を辞めるべきだとホームズは常々思っていた。おそらく向こうも同じ意見だろう。掴み合いの喧嘩になったことも数えきれなかった。
ただ、お互い自分達以外の者とコンビを組むと途端に振わなくなる。不思議なことに。そこで唯一二人のストッパー役となれる柳生を班長として、このカルデア特捜班は絶妙なバランスで成り立っていた。
通話を切った事務所は静けさを取り戻していた。ホームズがコーヒーを飲む音と、遠慮がちな時計の秒針。遠くから聞こえる救急車のサイレン。
眠気覚ましのコーヒーも虚しく、気が付けばホームズの瞼は落ちていった。
『……三丁目、○○ビルの工事現場にて遺体発見。急行願います』
けたたましい出動要請で飛び起きる。
無意識のうちにコートに手が伸び、貴重品と車の鍵だけ突っ込んで事務所を飛び出した。頭の中で地図を展開して最短ルートを思い描く。
駐車場に停まる黒塗りのセダンに手慣れた仕草でパトランプを取り付け、ホームズはアクセルを踏み込んだ。