珊瑚の死骸 2 本丸に自然のものが入り込んだと言えば緊急で現世への扉を開いてくれた。私の担当員さんはそういうことに巻き込まれることが多いらしく、「何かあったら言ってください」と送り出してくれた。担当員さんに丁寧に頭を下げて再び南の海辺へと降り立つ。
「笹貫は南の海が似合うね」
「そ? ま、海に捨てられたこともあったしね」
「はは、捨てたりしないよ」
「そうして。ま、今は自分で戻ってこられるんだけどさ」
布に包んだ珊瑚の死骸を取りだす。そしてそれに目が奪われる。
全長は八センチほどだろうか。途中で折れ曲がっている。折れ曲がったところに少しだけ突起があり、全体に穴が開いている。軽石を削りだしたらこんな風になるだろうか。重さはわずかにしか感じられない。
科学館で鳥の骨の断面図を見たことがある。あれほどにはすかすかではないものの、似ているような気がした。やはり骨だ。これは骨なのだ。
海に居た時の柔らかで波に身を預けている姿からは想像できないほどに硬くなってしまった姿。
ふっと、誰かの手が私と珊瑚の死骸の間を遮る。
「駄目だよ、主」
「……誰」
「あちゃー、これは相当だね」
誰かが私の手から死骸を奪い取って砂浜に投げた。なんてことをするのだと嘆く暇もなく、そして私の隣にいるのが笹貫だとわかった。
「ごめん、笹貫」
「いいよ。もう忘れないで」
「うん、忘れない」
「言ったね?」
「……そう言われてしまうと不安だなあ」
笹貫が私の手を取り恋人のようにつなぐ。心がドキリと跳ねる。私の心は喪失していたから。
指と指の間、水かきが触れ合って溶け合っていくような手のつなぎ方だった。先まではそこに白い死骸があった。けれど今はベージュに黄色を少し混ぜてそのまま透過したような手のひらの色と、手のひらに刻まれた皺と、刀を持つがためにできたたこと、そういうものが表面に凹凸を作っているそれが私の手の中にある。
ああ、物に人の形を与えた人は誰かを喪ったことがあるんだろうか。
その誰かの骨を手のひらに乗せたことがあるんだろうか。
笹貫の手を握り返す。彼は小さく喉で笑って、そうして私の手を引く。
死骸は手のひらから離れて靴底を押す。踏みつけることに戸惑いがないかと言えばそうではなかったが、それでも歩かなければならないのだと感じる。
「笹貫」
「なあに」
「ありがとう、ついてきてくれて」
「いいよ。それにオレが来たかったんだ」
「そう言ってくれると楽になる」
「主を楽にしたくて言ったんじゃないんだけどなあ」
「そうなの」
「そうだよ」
堤防まで上がっていって海を眺める。エメラルドグリーンの海に白い砂浜。生者と死者が共存している。珊瑚にとっての冥土はあの白い砂浜なのだろうか。
「帰ろうか」
私から提案する。あれほどまでに心惹かれていたものはもうここに無い。それに仕事を放り出してきたのだし、本丸のみんなも心配しているだろう。
「もうちょっとだけ。駄目?」
笹貫は先ほどから私の手を握ったままだ。まだ心配しているんだろうか。
「もう大丈夫だよ」
「オレが大丈夫じゃないの」
「え? それって」
「主ともう少し二人きりでいたいってこと」
笹貫はその言葉の割に行動はドライで、「捨てないでね」なんて言葉を吐くのにいつも一線を置いていたりする。
珍しいなと思ったからそう言葉を掛けると、笹貫自身もそう思っていたのか「そうだね」と苦笑した。
「オレはさ。海が怖いんだ」
ちゃんと怖いからいいよと言っていた。その言葉を思い出す。怖いのならなおさらにここから立ち去ったほうがいいのではないかとも思うが、笹貫の言葉を待つ。
「ちゃんと怖いものがあるほうが、ここにいるって感じがする」
「どういうこと?」
「なんていうんだろうな、怖いって、すごく強い気持ちでしょ。オレは戦場で怖いと思ったことはないけれど、オレの逸話に関わるものを見て怖いと思うことがある」
刀は人を斬るものだから、そのことに疑問を抱いたことはない。何度捨てられてもそのたびに見いだされて、あげくの果てに人の身なんて与えられて戦場に駆り出されて。
何度も斬る。なんども血を浴びる。それは自身を自身たらしめるものであることに間違いはなく、気分を高揚させるものだったけれど、それでもそうしていないときは。
「自分が自分であるということがどういうことがわかる気がするっていうのかな」
「笹貫は笹貫だよ」
「ありがと。そう言ってくれる主もいるしね」
だから今はこのままで。笹貫が私のほうに寄りかかってくる。
通りすがりに見る人は私たちのことを恋人だと思うのだろうか。男の姿をした刀と、審神者という肩書をもつ女が寄り添いあって生まれるのはなんだろうか。
私は夢で産卵をした。いったいそこで産まれたものはなんだったのだろうか。
南の国は暖かい。肌はいつでもぬくもりに包まれている。
ゆっくりと目を閉じる。波の音と笹貫の脈拍が聞こえる。
ああ、この二つは似ている。生者の世界は安心する。
私たちはそのまま二人で寄り添い、夕日が海に沈むころにその場を後にした。
珊瑚の死骸はきっと、今日の月に照らされる。