かたわら 店長はたいして質問はせず、「力仕事だが大丈夫かい?」とだけ聞いてきた。私がそれに「はい」と答えると「それじゃあ頼もうか」と快諾した。
そんなものでいいのだろうか。そう思いもしたが、職が早々に見つかるのはありがたかった。
「週四出勤でシフトは自由に決めてくれて構わない。時折買取や売り込みで俺が車を出して方々にいくからそれには付き合ってくれるとありがたいな。そういう経験を通してここがどういう商売をしているか見てほしいというのもある」
「わかりました」
「ところであんた見たところこの辺の人じゃないようだが」
「あ、実はK市からきて」
「ずいぶんと遠いところから来たなぁ。この辺に住むのかい?」
「はい。そのつもりでいます。今日は下見に」
「へえ、じゃあ家も探しているのかい?」
「はい。手ごろなところがあればいいんですが」
店長はそれなら大丈夫とウインクした。そんな気障な仕草ですら様になってしまうのが憎らしい。
「俺の家は代々この辺の土地の地主でね。不動産もいくつかある。紹介できるよ」
「本当ですか?」
「ああ、実際のところこの店も俺の趣味のようなものだ」
「そうだったんですね。え、でもそれならアルバイトは……」
「最近親戚筋の取引が増えたんだ。依頼を受けることも多いし、店を空けなきゃいけないこともある。どのみち人手は必要なのさ」
「なるほど、そうでしたか」
とんとん拍子にアパートが見つかり、それから少しして転居手続きなどを済ませてここへ移り住んだ。
美丈夫と同じ職場にいるからと言って何があるわけではない。ただ、大般若長光さん――それが店主の名前だ――が目の保養になることは確かだった。
お客さんはここから少し離れたところにある街に住んでいる人が多い。といっても何かを買っていくというよりは大般若さんと話すのが目的の人がほとんどだ。
一年大般若さんを観察してこの人がどれだけ変わり者なのかわかった。
まず、人当たりはいいが深いつきあいはないようだ。
それとなく恋愛方面の話を聞いてみたりしたことがあるが、彼曰く「いつも最後は思っていたのと違った」と言ってフラれるのだそうだ。私も彼と職場で顔を合わせているが、彼は私のプライベートにさほど興味が無いらしく、深いことを聞いては来なかった。仕事のやり方や教え方は非常に丁寧なので、なるほどこういう風に自分も扱ってもらえると勘違いする人が多いのかと納得した。
次に親戚筋の多さだ。いや、これは変わっているとはいえないのかもしれないが、しかし彼の親戚筋は皆一様に顔が良い。体格も良い。顔で付き合う相手を選んでいるのではと思うくらいイケメンが揃っている。甥っ子だという小学生や遠縁の高校生という年齢の人間ですらすでに将来いや、もう現在の話かもしれない。その美貌で女の子たちの心をめちゃくちゃにしているのだなという風情だった。
先に深いつきあいはないと言ったが、ほかの人に比べて親戚筋にはいくらか気楽なように見える。とはいえ会話は軽い近況報告であり、やれ結婚はどうの子どもはどうのという話はなく、まあお互い生きているならそれでいいくらいの感覚がある。
そして極めつけはこれだ。
「ああ、今日もあんたの釉薬は川辺の鮎のきらめきを思い起こさせるよ」
これは私に向けていっているのではない。「骨董品」に向けて言っている。
変わったことに、この古書店には古本以外にも骨董品が置かれている。それは本棚の一角に飾られていたり、机の上に並べられていたり、時には本を別の場所に移動してそれ用のブースを作ったりもしている。
大般若さんは美術品もたいそうに好きらしく、親戚筋や遺品整理などで行き場を失った美術品をよく集めている。そうして「口説く」のだ。
「あんたの絵は仏教の曼陀羅由来なんだろうなあ、ああ、実に見事だよ」
今も器を見てはその絵に感嘆の声を漏らしている。しかもそれは決して演技じみたものではない。ギャグではないのだ。この男は真剣にそれをやっている。
最初に見た時は正直引いた。なるほどこれがこの男が四十路になっても独り身でいる理由かと思った。
一年たった今はもはや日常と化している。むしろそれが無い日は大般若さんの体調が悪い日のようなので、健康の指標としている。
(こんな天然記念物のような人間、いるんだなあ)
今はこう思っている。
ああ、そうだ。極めつけと言ったが、もう一点、彼の人柄を表すにふさわしい行いがある。
これだけ毎日熱心に骨董品を口説き、手入れをするのに、大般若さんはすぐにそれを手放す。彼曰く「俺は仮の宿なんだよ」だそうだ。
手放したものについてどうこういうこともない。よくもそんなにボキャブラリーがあるなと思うほどに口説いているのに執着しない。
「物っていうのはあるべきところに流れ着くものなんだよ」
大般若さんは何かを売るときに必ずそう言って手渡す。事実そう思っているんだろう。
それならここにあるものたちは、一切が彼のものではない。
彼個人のものというのはいったいどこにあるのだろう。