彼は決してその痕跡を彼女の体に残さなかった。陽の光を遮った暗い部屋で愛し合う時でさえ、それは変わらない。どんなに2人の間に相棒を超えた関係が生まれようとも、周囲に悟られないように彼は努めていた。どうしてそうしているのかを彼女は理解している。直接彼がそう言ってきたわけではないけれど、彼の行動と性格から察しはついていた。
だから、寂しく思う必要はない。少し残念ではあるけれど、これも彼の愛の形であると、理解しなければ。
そう冬弥は考えて、洗面台の鏡の前で溜息を吐く。目の前のそれに映る彼女の肌はシミひとつなく、白磁と呼ぶに相応しいものだった。そっとパジャマの前を開けて首筋から胸元までを見てみても、異常は見当たらない。わかりきっていた結果だ。どこを見ても、今日、日がな1日男に愛されていた女とは思えない肌に再度息を吐く。
別に、これが嫌なわけではない。理解はしている。理由もわかっている。何より元を正せばすべて自分が悪いのだ。彰人は何も悪くない。なのに、ほんの少しだけ寂しいと考えてしまう時があった。
(私は、ダメだな)
深く身も心も愛してもらっているのに、こんなことを考えるなんて。目に見える何かをこの体に残して欲しいと、彼に望むなんて。首を振って思考を外に追い出す。
いけない。自宅にいると、妙に不安になる。もう何も考えず寝てしまおうと、パジャマの前を閉じてその場を後にする。このままベッドの中で目を閉じて、眠ってしまえば明日が来る。明日が来れば、彰人に会える。そうすれば、怖いものなんて何もない。
父にできる限り存在を認知されぬよう足音を殺し、彼女は自室のベッドへと潜り込んだ。冷えたシーツにじんわりと体温が移っていき、彼女を温かく包み込む。
(彰人のベッドの方が気持ちよかった)
なかなか来ない眠気を待ちながら、冬弥はそんなことを考える。
値段を聞いたわけではないが、使われている家具はおそらくこちらの方が高いだろう。しかし、それでも行為を終えた後など彰人のベッドでよく休ませてもらっているが、彼の部屋にある寝具の方が余程安心して眠ることができた気がした。
1人用のベッドに2人で寝転がるから少し狭く、落ちないようにと抱き寄せてくれる彰人の腕は見た目よりもずっと太く逞しい。そんな彼の胸に耳を当てると、トクントクンと優しい彼の音が聞こえきて、それを聞いている間に冬弥はいつも眠りに落ちてしまうのだ。
(彰人に、会いたい)
記憶を追えば追うほどに、その思いは増していく。まるで世界に1人取り残されてしまったように、耳が痛くなるほどの静寂。体のどこを探しても、彼の愛はどこにもない。
(……あきと)
あと数時間。日を超えればまた会える。名前を呼んでもらえる。だからもう少しの辛抱だと、彼女は己に言い聞かせた。