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    InkLxh

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    「春と魂」
    kozさんの素敵なイラストに触発されて書かせていただいた北无。
    魂の話。

    #北无
    northless
    #北限
    northernLimit

    向こうから、春の気配がした。

    おもむろに起き、身支度をする。髪は手つかずのままで、外に出た。
    うららかな匂いが立ち込めていた。肥えた土と、その下に埋まっていた植物が根を張り顔を出し、花を咲かせる匂い。遠くから野火のくすぶる匂いも、風に乗ってやってきていた。

    今年もやることが沢山ありそうだ、と思いながら、天高く腕を突き上げ伸びをする。春がやってきたときの匂いが好きだった。背筋がしゃんと伸びて、深呼吸ができて、自分の中のものが洗いざらい真新しくなっていく感じがする。大地から命が生まれ、芽吹くこの季節に、生活に必要なものをこしらえてつつがない生活をすることを、もう何年も好んで続けている。おかげで野山に関する知識はひととおり学び、ひとりでもなんら問題なくこの場所で暮らしていけるようになった。それでも、人と人との結びつきは強い。縁や結びというものはあるようで、傷負いの武人がひとり、俺の世話になりながらこの地で過ごしている。今は眠っているだろう――春の陽気は滋養をつける睡眠にもってこいだ――、あいつのことを少しだけ逡巡し、そして畑に行こうと思い立った。遠くの山々をなぞる稜線が薄墨でぼかしたように滲んでいるのと、薄青い風と、鳥のさえずりを聴く。今日という日は始まりの日なのだと、なんとなくそんな気がして、心臓の弁が速まる。生きている。わずかな眠気とちょうどいい怠さの中で、俺という人間が春の中で息をしているのを感じていた。

    「北河」
    「うわっ」

    声がしたほうを振り返ると、無限がいた。傷は日に日に良くなってはいるものの、まだ日常生活を送るには支障になる。俺は慌てて伸びきった身体をもとに戻し、突然そばにやってきた無限を諫めた。

    「だめだろ、寝てなきゃ。お前、まだ外歩けるほど良くなってないんだから」
    「気配が消えていたから」
    「俺の? ああ、ごめん。ちょっと、外に出たくなって」

    気配という言葉に、ぴんと張りつめたものを感じた俺は、宥めるように無限の背中をとんとん、と叩く。

    「いいから、お前は寝てろ。春の陽気は寝るのにちょうどいい。
    滋養を得られるからな」
    「いや、いい。今日は何かやる。
    何か人手が必要なら、手伝う」
    「いいって、いいって」
    「私がやりたいんだ」
    「……」

    ここに来てからというもの、己の意志を拒まれないことに味を占めたのか、無限はことさら自分がやりたいのだということを主張してきた。その言葉をのんで、仕方ない、と嘆息をする。

    「簡単な仕事なら」
    「恩に着る」
    「とりあえず、家でできることを任せるよ。
    その前にこれから畑に行くが、一緒に行くか?」
    「ぜひ」
    「まあ、作物の様子を見に行くだけだが――少し歩くから、訓練にもなるだろ」

    葉物がきちんと成っているか、果物は頃合いになっているか。自然相手のものは、対話が必要だ。いつもそうして、生命を「いただいて」きた。風を聴いて、土を見る。そういえばここに来てから五感というものがずいぶん研ぎ澄まされてきたな、と思う。指の先まで宿る感覚は、触れたもののかたちを寸分なく伝える。

    いつしか偶然にも無限の髪に触れたとき、それが河のようだったことをよく覚えている。
    清い流れに指先を浸し、攫われていくような冷たい感触だったことを覚えた指は未だに恋しいのか、たまに無性にその冷たさに触れたくて仕方なくなる。

    「――髪が」

    無限は言った。そうして、俺の髪を指で梳き、なでつけた。あまりに突拍子もないことに、俺は肩を跳ねさせて驚いた。

    「えっ、な、」
    「?」
    「なにを……!」
    「髪が乱れていた」
    「あ、ああ」

    動揺が隠し切れないまま、自分の髪に触れる。そういえば、春の気配に浮かれていたせいで髪に気をかけていなかった。半ば夢うつつだったのかもしれない。恥ずかしいことをした、と顔にかっと血がのぼる。

    「あ、ありがとな」
    「――ない」
    「ん?」
    「勿体ない」

    無限が告げた言葉の意味をすぐには理解できず、俺はしばらくの間、そこで呆けたように立ち尽くしていた。互いの間を、風の子どもがすり抜ける。すり抜けて、一目散に野山を上っていった。無限の髪が、さらさらと揺れていた。

    「…………」
    「行かないのか?」
    「え?」
    「畑に」
    「ああ、行く、行くよ」

    結局、何を惜しんで無限が俺にその言葉を言ったのか、何も分からないままに俺たちは改めて身支度をし、畑に出向かった。
    畑に行くまでの道の間、何も話さなかった。というのも俺はすっかりその言葉に囚われていたし、無限はどこか遠くのほうを見て、何か考えているのかそれとも何も考えていないのか、話しかけるのを躊躇われる表情をして、ただじっと唇を結んで草を踏みしだき続けていたから。いやな沈黙ではなかった。むしろ、どこかで俺たちは対話をしているような気すらしていた。言葉にしないだけで、どこか息のようなか弱い音で会話をしているようだった。

    俺はこの時を、好きだと思った。
    耳が、からだが、よろこんでいる。春の浅さと深いところのあわいで、お前と話ができて、こうして共に歩けることを、うれしく思っている自分がいた。実際のところは、何も話していないのだけれど、無限のことについて、沢山のことを訊けたような感じがしたのだった。


    「着いたぞ」
    「あれは」
    「ああ、菜の花だな。
    菜種油を採るんだよ」

    無限は畑のそばに咲いている花のほうに行き、しゃがんだ。あまりにも長く真剣に花を見ているので可笑しくなり、ふ、と笑いがこぼれる。

    「気に入ったか?」
    「とても」

    美しいな、とこぼす無限の言葉は穏やかだった。髪で表情はうかがい知れないが、きっと安堵したような顔つきをしているのだと思った。

    「見慣れすぎて、きれいだって言葉にする機会を失ってたよ」
    「わたしは」
    「うん」
    「美しくそこに在るものに気づけるような人でありたいと思う。
    自分がどんなにおろかになっても」

    おろか。蛇のような言葉だと思った。うねっていて、黒い。
    お前はそうはならないよ、決して。なぜ決めつけているのか、どうして確かなことのように言えるのか分からないけれど、そう思った。そして、それを伝えたくなった。

    「無限」

    名前を呼ぶ。こちらを向いた顔が、ひどく優しく眦を滲ませていて、ああ、稜線のようだなと思った。雨が降れば泣く。風が吹けば眠る。そんな山の稜線に、とても似つかわしい眦だった。

    そのとき、俺はとたんに腑が落ちた。迷子が居場所を見つけたようなその感覚に、思わずああ、と声が出た。

    「そうか」

    無限は俺を見ていた。決して目を逸らさなかった。青い瞳が、俺を取り巻く春をも見つめていた。

    「勿体ない、」
    「――北河?」
    「ん、いや」

    なぜそう言われたのか分かる気がしたよ、お前を見ていると。
    それはうわべではない、柔らかくて血のしたたる俺たちの内側にあるものだ。
    春になると躍り出し、歓びはじめるそれは、外側から見るとやたら輝いて見える。

    俺はさ、そんな大層なものじゃないよ、無限。
    でも、お前のは。

    「いい日だな、今日は」

    空を見上げ、そこにできた暈に目を細めた。
    春がやってきた。木々のさわぐ朝に見つけてもらえたありのままの命が、お前と共にいたいと叫んでいる。
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    InkLxh

    DONE3月、通販申し込みしてくださった方にお付けした無配でした。
    桜と師弟。
    薄青い空を、幼い子が見上げている。
    空には細やかな桜の花弁が散り、風を受けている。小黒は私の見ているところで、私を見ず、只、空を見ていた。
    人の手の行き渡らない自然のはざまで生まれ、育った時間は決してすべてが柔らかく穏やかなものではなかっただろう。けれど今、大木から降り落ちる桜を見つめる瞳は世界の小さな美しさを捉え、硝子玉のようにかがやいている。それをあの子はどう思っているのだろうか。倖せだと、感じているだろうか。
    その瞳を覗き込みたくなった。桜という、私からしてみればもう何度見たか分からない、季節の象りを前にしてかがやく魂を、遠くから見ているだけではきっと飽き足らない。私の心にはそういう、たまに現れるしたたかな欲があった。あの子と過ごすようになって、まろみのある指を握り起き、眠ってを繰り返す毎に、欲は確かなものになっていった。

    あの子が生きている歓びを感じているとき、そばにいたい。
    あの子が見つめ、感じるものを、私も見て、なにかを思いたい。

    そんな風に思っては、こうして季節の巡るときに、小黒と外に連れ立ち、見慣れた光景を見てはそこにいるあの子のたたえる笑みの暖かさを身に沁みさせ、 958

    InkLxh

    DONE「春と魂」
    kozさんの素敵なイラストに触発されて書かせていただいた北无。
    魂の話。
    向こうから、春の気配がした。

    おもむろに起き、身支度をする。髪は手つかずのままで、外に出た。
    うららかな匂いが立ち込めていた。肥えた土と、その下に埋まっていた植物が根を張り顔を出し、花を咲かせる匂い。遠くから野火のくすぶる匂いも、風に乗ってやってきていた。

    今年もやることが沢山ありそうだ、と思いながら、天高く腕を突き上げ伸びをする。春がやってきたときの匂いが好きだった。背筋がしゃんと伸びて、深呼吸ができて、自分の中のものが洗いざらい真新しくなっていく感じがする。大地から命が生まれ、芽吹くこの季節に、生活に必要なものをこしらえてつつがない生活をすることを、もう何年も好んで続けている。おかげで野山に関する知識はひととおり学び、ひとりでもなんら問題なくこの場所で暮らしていけるようになった。それでも、人と人との結びつきは強い。縁や結びというものはあるようで、傷負いの武人がひとり、俺の世話になりながらこの地で過ごしている。今は眠っているだろう――春の陽気は滋養をつける睡眠にもってこいだ――、あいつのことを少しだけ逡巡し、そして畑に行こうと思い立った。遠くの山々をなぞる稜線が薄墨でぼかしたよう 2992

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    DONE「春と魂」
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    魂の話。
    向こうから、春の気配がした。

    おもむろに起き、身支度をする。髪は手つかずのままで、外に出た。
    うららかな匂いが立ち込めていた。肥えた土と、その下に埋まっていた植物が根を張り顔を出し、花を咲かせる匂い。遠くから野火のくすぶる匂いも、風に乗ってやってきていた。

    今年もやることが沢山ありそうだ、と思いながら、天高く腕を突き上げ伸びをする。春がやってきたときの匂いが好きだった。背筋がしゃんと伸びて、深呼吸ができて、自分の中のものが洗いざらい真新しくなっていく感じがする。大地から命が生まれ、芽吹くこの季節に、生活に必要なものをこしらえてつつがない生活をすることを、もう何年も好んで続けている。おかげで野山に関する知識はひととおり学び、ひとりでもなんら問題なくこの場所で暮らしていけるようになった。それでも、人と人との結びつきは強い。縁や結びというものはあるようで、傷負いの武人がひとり、俺の世話になりながらこの地で過ごしている。今は眠っているだろう――春の陽気は滋養をつける睡眠にもってこいだ――、あいつのことを少しだけ逡巡し、そして畑に行こうと思い立った。遠くの山々をなぞる稜線が薄墨でぼかしたよう 2992

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