午睡「あれ、何処に行っちゃったんだろう……?」
談話室で目覚めた藤村は、ソファーの空いた部分に無造作に置いていたはずのマントの不在に気づき、辺りをきょろきょろと伺っていた。
部屋の角にある蓄音機からは『亡き王女のためのパヴァーヌ』が流れていた。誰か洒落た趣味の文豪がセットしていったのであろう、心地よいクラシックのレコード。ここ最近頻繁に頼まれる助手業務の疲れとこの音楽とが合わさった結果、不覚にも居眠りをしてしまったようだ。
図書館の文豪の中でも藤村と親しくかつ情報通な独歩に尋ねると、繊細な模様の藤色の裏地が美しい茶色の布を司書が抱えて歩いている姿の目撃情報があったとのことだった。
コンコン、とドアをノックしたが反応がなかったので、少し躊躇った後、ドアを開ける。年若くして飛び級で大学を卒業しアルケミストになった特務司書は、実験に集中しすぎると周りが見えなくなるきらいがあった。勿論、ノックの音を聞き逃すことも。
実験に集中する小柄な少年の後姿を思い浮かべながら藤村は司書室に踏み入った。しかしいつもの椅子の上に司書の姿はない。藤村が小首をかしげて少し視線を横にやると、青々とした畳が映る。
改造に改造を重ねた末和洋折衷となってしまったこの図書館の司書室は、半分が和室だ。一段高くなっている其処にはイグサの香りが漂っており、何やら複雑な数式やグラフの書かれた紙が散らばっている。そしてその畳スペースの真ん中に、探し物があった。いつもよりふっくらとした状態で置かれている茶色のマントだ。
ブーツを脱いで畳に上がり、そろそろと這い進んで別の角度からマントを見てみると、ぴょこりと亜麻色の髪が出ている。司書の頭だ。普段から童話組の文豪たちと並んでしっくりくる体格の司書は、小さく丸くなって藤村のマントに包まって眠っていた。
そう言えば昨晩は遅くまで司書業務に追われていたようだった。起こしてしまうのも忍びない。マントは諦めてしばらくの間貸しておこう、と藤村はブーツを履いて部屋を出ていこうとした。
「だれ……?」
聞き慣れたボーイソプラノの声に振り返ると、司書が起きていた。
「君の布団の持ち主かな……」
「えっ、あれっ、と、とーそんせんせー!?」
藤村と自身が纏うマントを交互に見て、司書は慌てた。すかさず畳の縁に身を乗り出した藤村が詰め寄る。
「ねぇ、君が僕のマントを持ってるのは、どうして?」
「これは、えっと、談話室を通りかかったらちょうどいい布があるなと思ってつい……」
「ふぅん……司書さんはちょうどいい布があったら持って行っちゃうんだ……?」
「ほら、ちょっと肌寒かったからさ、あったかそうだなって思って!」
「そう……あったかかった?」
「そ、そりゃあ、まあ……。勝手に借りて悪かったって! ごめんって!」
「ふぅん……。ねぇ、僕のマントを布団にするってどんな気分?」
「えっ、えっと、ちょうどいい大きさだし気持ちよく安眠できたけど……って、違う! 別にせんせーのでなくてもおれは快眠できるんだからな! 健康優良児なんだからな!」
もはや何を言っているのか自分でもわかっていない司書に、藤村の頬が自然と緩くなる。
「ふふ、そのマントはしばらく貸しておいてあげるよ……」
そう言い残して藤村は司書室を出ていった。
「な、何だったんだよまったく、すぐに質問攻めにしてくるんだから……」
あとに残された司書は独りごちて、先ほどの藤村の普段より少し柔らかい表情を思い出す。ドクンと胸が高鳴ったが、それが何による化学反応なのか、司書にはわからない。顔に血液が昇ってきて熱いが、これは羞恥による反応だろうと司書は思った。人の物を勝手に借りておいて爆睡しているなんて情けない。
藤村のマントを布団にした気分。なぜだろう、それは悪いことをしているはずなのに、それ以上に満たされた気持ちになるもので。
少年は赤くなった顔をマントにうずめながら叫んだ。
「せんせーのにおいがして安心するなんて、言えるわけないじゃん……!」