鴨居百の百物語 春のお仕事「鴨居百です。よろしくお願いします」
「アッ めちゃくちゃ健全な人間なんだ?」
「えっ?」
「イヤ、僕らんとこに回される暦の人って冬を経て憔悴しきってる人間が多いから」
三月。
冬の仕事にもかなり慣れたある日、俺は『春』という組織へ移籍する事になった。冬にいた頃から何度か春の人に荷物の受け渡しをする事があったので、大体どんな仕事をするかは聞いている。冬のうちにお世話になったスズシロさんという人は、「お前ウチ来たらゴチャゴチャ喋らずに黙って働けよ......おはぎ屋さんの世話になりたくなかったらな……」と忠告されている。
何おはぎ屋さんって......何の隠語なの......。
斯々然々。
俺は待ち合わせ場所である喫茶店で、春で世話になるアズマさんと落ち合っていた。
アズマさんは、俺と同い年くらいに見える。
くりっとした大きな目をしていて、少し長めの髪。少年と少女の間くらいの不思議な声色で、話し方や雰囲気も極めて明るく友好的な人に見えた。
今まで出会って来た裏社会の人間と全く別のタイプというか、言い方が悪いかもしれないが、まるきり一般人の様に思えた。
「僕、春陽日(あずま はるひ)。今日からしばらく百くんのお兄ちゃんだから、よろしくね〜」
「ハイ。ふつつか者ですが、よろしくお願い致します」
「うわっ 普通に喋ってる......怖......」
「なんでですか」
「え〜〜っホントに冬の仕事やって来たの〜?」
「やってきましたよ!スズシロさんにもお世話になりましたし」
「よく死ななかったね」
「仕事はまぁ、この世界なら当たり前なんだろうなって」
「あー違う違う、よくスズシロさんみたいなバーサーカーおはぎ屋さんと喋って殺されなかったねって言ってんの」
「バーサーカーおはぎ屋さん」
なにそれ......。
ここでも出てきた「おはぎ屋さん」という単語(恐らく何かの隠語)。バーサーカーとくっついて使われるくらいなので、恐らく暴力的な存在の人なんだろうか......。
確かに、スズシロさんは怖い人だった。挨拶と荷物の説明以外に世間話をしようものなら普通に顔面を殴られたし、荷物を片手でプラプラ持って彼の前に出ようものなら「てめぇが商品になるか?あ?」と脅された。でも何度か会う内に「お前まだ生きてんのか」「うわまだいる」と生存確認をされるようになり、夜中の仕事は腹が減るから骨を燃やす火の横でマシュマロを炙って食べている事を話した時は「気味の悪い物食うな」と箱詰めの最中をくれた。
以外と優しい所もあるのに。あと最中は何の変哲もない、美味しい最中だった。あんこ美味しい。
そんなスズシロさん優しいエピソードを披露すると、アズマさんは手元の抹茶ラテをくるくるかき混ぜながら「あー」と苦笑いした。
「何ですか?」
「いや、百くんて割とヤバいんだね」
「えへへ、それオツルさんにも言われました」
「いいじゃんいいじゃん、ヤバい奴は大歓迎!でももう骨焼く火で食べ物炙らないでよ、そんな寒くてひもじい冬の仕事から暖かくて楽しい春のお仕事教えてあげるからね!」
「炙りマシュマロは美味しいですよ」
「脳みそまで炙られちゃったのかな君は......」
アズマさんとの会話は楽しい。同年代と喋っているような気すらした。
「じゃあま、午後から僕お仕事あるからさ、お仕事見学からはじめよっか」
「よろしくお願いします」
「敬語いらないよ〜、僕まだ23だし」
「えっ?!俺17です!」
「はァ?!未成年なワケ?!嘘でしょ......あぁでも、そっか、キミ確か夏の怪談に捕まったんだっけ」
「助けて貰いました。表面上は」
「あー、やっぱり聞いてるんだ」
「ハイ、一応」
夏の怪談、夏代秋市朗。
彼がどうして僕なんか、敵対勢力に使われていたガキを拾ったのか。冬の怪談、麋角解はそれを「貴族が蛍狩りをするのと同じだ」と語った。
色々複雑な話をされたが、要約すると捨て駒集めだ。
優秀な人間を選ぶ必要は無い。腹にダイナマイトを括り付けられても動揺せず、ある程度丈夫な体を持っている人間なら誰でもいい。
拾った人間を信頼する必要は無く、拾った人間に信頼されるように適当に甘やかして育てればそれで良い。
夏の人間はそういう、『いけない』人間が多いのだ。
夏代秋市朗が夏の怪談たる所以は、彼がその『いけない』人間の筆頭だからだった。
「長生きしろと言われたろう。彼奴らの常套句さ。人の命ってものを、彼奴らは玩具花火みたくポンポン使い捨てる......」
「そうやって使い捨てられた暦の死体を地に戻すのも、俺達冬の仕事だ」
「俺とは、二度と会わない方が良いんだよ」
冬の怪談は、焚き火を見詰めながら静かにそう語った。
正直、驚きもしなかった。
凡そ予想していた事と変わりなかったから。
まぁ、そりゃこういう世界なのだから、信用の無い新入りはその程度の利用価値が妥当だ。
複雑な顔をするアズマさんに「気にしてません」と言うと、彼はニコ!っと笑う。
「僕、そういう思い切った子スキ!」
「ありがとうございます」
「よーし、お兄ちゃんがそんな悲しい事忘れちゃうくらい、楽しいお仕事紹介をしてあげようね!」
「わぁい」
アズマさんは底抜けに明るかった。
この人となら春の仕事も楽しそうだな〜、なんて平和ボケした頭でそう考えもした。
二時間後、俺はこの考えを改める事になる。
○○○
右手には「かみなりおこし」、左手にはスマートフォン。
ローテーブルに土足で乗ったアズマさんはスマートフォンで誰かと話していて、「えーっと、五体です」「はぁい、はぁーい」「殺してませんよう」とリラックスしている様子だ。
ローテーブルの向こう側、取引会場となった『非利益法人』の事務所内は、惨憺たる様だった。
床に転がる男、棚の下敷きになった男、壁に叩きつけられたっきりウンともスンとも言わなくなった男、歯を全部砕かれて口に花瓶を詰められ白目を剥いた男、全裸で土下座をしながら嘔吐している男。
音を発しているのは全裸で土下座をしている男のみ。しかし彼もまた顎を蹴り砕かれているので「うごご」「ごかーーっ」と意味の成さない呻き声を吐いていた。
俺は、この部屋に来てソファに座ったっきり身動ぎ一つしていない。
全てアズマさんが一人でやった事だった。
「はぁい、お願いします〜。......え?あぁ、居ますよ。もーもくん!」
「は、ハイ」
「お電話。代わってってさ」
アズマさんはくるりと上半身だけをこちらに向け、ポイッとスマートフォンを投げて寄越した。涼しい顔をしている。
寄越されたスマートフォンを耳に当てると、聞き覚えのあるテノールが俺の名前を呼んだ。
『よ、元気にしてる?モモちゃん』
「! カシロさん」
『久しぶりじゃん。もう春行ったんだ、早いね〜』
「お陰様で......」
『うん?虐殺現場の当事者だっていうのに、随分落ち着いてるね』
「まぁ俺見てただけなんで」
『アハハ! ズレてるな〜。これから俺達夏がそこに転がってる豚共の回収するから、そこでお兄ちゃんと待ってな』
プツ。
電話はこちらの返事を待たずに切られた。久しぶりに聞いた恩人の声は懐かしくもあったが、なんだか埃を被っているような感じがした。
あの人に恩があるのは事実。
( 事実では、あるのだけれど......。)
スマートフォンをアズマさんに返却する。待機するよう指示があったと報告すると、アズマさんは「いつも遅いんだよね、あの人達」と言ってかみなりおこしに付いた血を男達から剥ぎ取ったスーツで拭った。
彼は特別息が乱れている様子も無いし、指先が震えてもいない。軽いジョギング帰りの様な爽快感すら漂わせ、鉄と胃酸の臭いが漂う四畳半で運動後のストレッチを始めた。
カシロさんともオツルさんとも違う「異常」。
事の発端は、商品を机に出した途端向こうの頭が短刀を突きつけた事だった。
頭(カシラ)であろう初老の男は背後に四人の若人集を率いて「破談だ」と一言鋭く放った。
「てめぇら、シキの若造がよ。舐め腐った真似しやがって、生きてけえる(帰る)気でいたか」
俺は、『あ、今日死ぬんだ』と思った。
五対二(戦力的には五対一)、しかも相手は確実に武器を持っている。この時点では初老の男しか武器を出していないが、背後の若人集だってジャンプすれば銃の一丁や二丁ポンポン出てくる事だろう。
対して、俺は丸腰。
アズマさんが武装しているとは聞いていない。
終わった。
度肝を抜かれて動けないでいる俺は、藁にもすがる思いで隣のアズマさんを見た。
彼は、無表情だった。
先程まで「初見学だね〜!緊張しなくていいよ、お兄ちゃんがいるからね!」と朗らかに笑っていたというのに。
短刀の切っ先を向けられているというのに。まるで遠景を眺めているかの様な無感情。
俺は、彼が恐ろしさの余りに壊れてしまったのかとすら思った。
やがて、彼は桃色の薄い唇をひらける。
「困りますよ」
色のない声だった。
彼の身体からジワジワと何かつめたい空気が滲み出ているような気がして、俺は身動ぎ一つできなくなった。
緊張と恐怖。こちらの心臓を舐める様な冷たい威圧感、空気が変わる気配。
アズマさんは、突然ゆっくりと腰を上げた。
しかし誰も動かない。初老の男は短刀を掲げたまま、若人集は腕を背に回して組んだまま、こめかみに脂汗を浮かべてじっとアズマさんを見ることしかできない。
(......あぁ、これ、あれだ)
(金縛り)
アズマさんは立ち上がり、机に出した商品の風呂敷を解く。中から出てきた漆の小箱を開けば、小型のトランシーバーの様な物が出てきた。
「『かみなりおこし』ってご存知です?
焙煎したもち米を水飴なんかで練って固めたお菓子。僕あれ好きなんですよね、お腹ふくれるし素朴な味でなんだか懐かしくなるし。よく僕の祖母が作ってくれたんですけどねえ、手作りだから、なんだか凄く大きなかみなりおこしが出来ちゃって。でも、あんな硬いものを嚙み切るなんてできないでしょう?だから、小さい頃はその大きなかみなりおこしがベトベトになっちゃうくらい舐め回してたんです。
するとねえ、祖母が怒るんですよ。雷様が怒るぞー、バチが当たるぞーって。
雷を避ける、即ち災害を遠ざけるって縁起物でもあるお菓子なんだって、その時知りました」
ブブッ。ブツッ。
アズマさんが喋りながら機械を弄ると、鈍い音を立てて青白いフラッシュがおこる。
俺はその稲光を、四季会に入る前に何度か見た事があった。
店に取り立てに来たヤクザが使っていた。
スタンガン。
「舐めるとバチが当たるんです」
主に護身用として一般にも販売される物。死に至る様な攻撃力は持ち得ていない。
しかし、それは正規販売品に限った話だ。
改造してリミッターを外した海賊版なら、
ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ
「僕は忠告しましたよ。アンタら全員、『困りますよ』ってね」
......それからは、何がどう動いたかあやふやだった。激しい閃光と地鳴らしの様な電撃音の隙間からひらひら舞うアズマさんの背中と吹き出す血飛沫が垣間見え、叫び声とかわゆい高笑いが軋みを上げた。
嵐の中にいるようだった。
暴風雨が止んだ頃には男達は皆ずたずたになっていて、惨状のど真ん中にしゃんと立つアズマさんだけがやけに華やかに見えた。
「ね、びっくりした?」
「それはもう......」
「春のお仕事ってねー、ホントはもうちょっと穏やかなんだよ?今回は予め踏み倒すだろうって予測ついてたから大分派手に散らかしちゃったけど」
「そ、そうですか......怪我、とかは......」
「ありがとね、僕こう見えてプロだから無傷だよ!でも百君はまだ真似しちゃダメだよ。かみなりおこしは扱いに失敗したら即死だからね」
かみなりおこし。
これはスタンガンの隠語であると、後に知った。
春では売り物を全て和菓子に例える。
刃物は千歳飴、銃はポン菓子。金平糖や落雁は......お察しの通り。
アズマさんがスタンガンを片手にひらひら虐殺を繰り広げる様は圧巻だった。確かに、素人にできるものではなかった。
「......あの」
「なーに?」
「春の仕事って、商売ですよね。こんな風に武器を使った制圧も、時には必要なんですか」
俺がぽつりと零した問に、アズマさんは晴れやかに笑った。
「春で直商売ができる人間の最低条件は、『多対一でも武器を用いた制圧が可能』だからね。
言いそびれてたけど、君は僕の代替品になるまでキッチリ育てあげてみせるから!」
「えっ」
「だって次待ち構える季は夏でしょう?君、このままじゃ秋まで生きてらんないよ。
あそこの連中は皆敵だと思ってね!部外者に絆や情なんてものを持たない怪物ばかりだから」
そうだ。すっかり忘れていたが、俺はここの仕事を終えたら「夏」という組織に飛ばされるのだ。
カシロさんがいる夏へ。
「百君、何か悪いものにでも取り憑かれてるんじゃない?」
「そうでしょうか......」
「だって、暦の子は大体1ヶ月くらいで死んじゃうんだもん。ここまで長生きできるなんて、やっぱり悪いものに取り憑かれてるんだよ」
「長生き......」
「君、何ヶ月生きてたいの?理想とかある?」
......拝啓、ここにはいないカシロさんへ。
俺、あとどれくらい生かして貰えるんでしょうか。
目の前で笑うアズマさんは、血塗れていても燦々ときらめいて見えた。
その煌めきは狂気か、其れとも......。