ミレニアムのメイドの日「ちょっと、ラクス! これはどういう事!?」
「あらあらあらぁ。キラってば、本当にとーっても似合いますわぁ」
ミレニアムの士官室で目覚めたキラは、ラクス(と、恐らく他の複数人)の手によって、所謂ゴスロリメイドと呼ばれる、レースふりふりでリボンやクロスを誂え、黒を基調としたメイド服を着せられていた。
「うふふ、昨日のキラの夜食のコーヒーに一服盛った甲斐がありましたわ」
「やけに眠気が強かったのはラクスのせいだったんだね……」
ヘッドドレスも着けられ、オーバーニーハイソックスにはベルトの飾り、スカートで見えない部分までこだわられており、ガーターベルトと女性用下着まで穿かせられていた。逆に意識が無くて良かったと思う。目覚めている時に着替えさせられるのは、羞恥に耐えられる気がしない。
「今日はメイドの日、なのですわ」
「メイドの日」
ラクスは真剣な表情で言い、キラにそっとハタキを手渡す。何故そんなにも深刻な表情なのか、ハタキを素直に受け取ったキラには全く分からない。
「ミレニアムでもたまには楽しい事がありませんと、皆さまの気分が滅入ってしまいますでしょう? ですので、メイドの日である今日は、上官のキラが皆さまにお仕えすると言ういつもとは違う趣向で気分転換をして頂こうと思いまして」
「メイドである必要ある!? それに、僕が望んでこの階級じゃないって知ってるでしょ!?」
「もちろん存じておりますわ。だからこそ、キラにも気分転換をして頂きたいのです」
「なんて曇りの無い目で……」
キラはげんなりと肩を落とし、それからキラキラと瞳を輝かせているラクスを見返す。
「つまり、今日の僕はミレニアムのメイドとして働けばいいってこと?」
「はいっ」
ラクスは心底嬉しそうに、そして力強く返事をした。これは何も自分の意見は通らないなと、キラは悟る。それに、総裁になってから溜め息を吐いたり、表情が曇っている事が多くなったのはラクスも同様だ。自分が羞恥心を捨てさえすれば喜んでくれると言うのなら、捨ててしまおう。
「分かったよ……」
「キラ! ありがとうございます!」
「それで、僕は何をすればいいの?」
「まずはご主人様と一緒に、艦橋へ言って艦長へのご挨拶ですわね!」
「え」
ご主人様? そして、艦橋!?
疑問しか無い単語が聞こえた気がするが、キラが問う前にラクスが手を叩く。
「入ってくださいませ~」
「し、失礼します」
ラクスに呼び込まれたのはシンだった。シンはラクスに下げた頭を上げ、それからキラの姿に気付いて瞳を大きく見開いた。
「キラさっ……!? は!?」
「メイドのキラちゃんですわ、シン。今日はキラのご主人様として、しっかりキラを仕えさせてくださいませ」
「メイっ……!? え、ちょっ、わ、訳が分からないんですけど!?」
「シン、ごめんね。本当に……」
シンの動揺は尤もである。ラクスはシンに、メイドの日なのでこの可愛らしいキラを見て、皆に癒されて欲しいと言うことを伝える。
「はぁ……。キラさんで癒されるのは分かりますけど」
「分からないで」
思わずキラが突っ込むが、シンには届かない。
「でも、俺がキラさんの主人でいいんですか? 恐れ多いんですけど」
「シンだから良いのですわ。無邪気な少年主人と、薄幸の美少女メイドの組み合わせはラブコメの予感しかしませんもの」
「ラブコメ……」
「ですので、夜のお世話まで頼んでも良いのですよ?」
「えっ」
「ラクス!!」
キラは思わずラクスの口を両手で塞いでいた。ラクスの口を塞いだままで、そっと背後のシンを振り向けば、シンは何を想像したのか真っ赤になっており、キラはそんなシンの反応を見て、自分も頬を紅潮させる。ラクスは赤面したまま固まってしまった二人を見比べて、キラの手を自身の口元から外す。
「うふふふ、今日の内はメイドの日ですわ。楽しんでくださいませ」
そう言うと、ラクスはスキップのような足取りでキラの士官室から出て行った。残されたキラとシンは、気まずい沈黙の中でちらりと視線を合わせる。
「……とりあえず、艦長のところに行きます?」
シンが問うと、キラは苦笑する。
「そうだね。ラクスがそう言うんだから、きっと艦長も分かってると思うし」
そう言った後で、キラは少し考える。シンが首を傾げると、キラはそんなシンに向かってにこりと微笑む。ドキッとシンが心臓を鳴らした後で、キラはスカートの裾を摘まむと、恭しく一礼をする。
「ご主人様、本日はどうぞ宜しくお願いいたします」
ずきゅん。
キラの耳に、そのような音が聞こえた気がした。シンは自分の心臓の位置をぎゅっと鷲掴みにすると、「落ち着けぇ、俺の心臓ぉぉ!」と自分に言い聞かせた。
士官室から艦橋に向かうだけで、キラは当然のようにすれ違う人々からの視線を山のように浴びた。そして、ルナマリアとアグネスには「隊長!?」「何の罰ゲームですか!?」と言われてしまった。ラクスからの命令だと言えば、何故かアグネスは「やるわね……」と呟く。いったい何がやるのかはともかくとして、
「シンだけでは危険ですね。私たちもお供しますよ」
と、ルナマリアが申し出る。アグネスも「そうね。私も行くわ」と言えば、シンは「助かるよ」と言い、キラは「危険って?」と首を傾げていた。
「……隊長、そろそろ自分の可愛らしさを自覚した方が良いですよ?」
「え?」
「そんな恰好でうろうろしていたら、どんな奴に狙われて襲われるか分かったもんじゃないわ。シンだけだと心配だから、私たちも今日は割と暇ですし、一緒にいてあげますって事ですよ」
アグネスの言葉に、シンもルナマリアと共に何度も頷く。キラはやはりその言葉の意味が分からない様子だった。
「僕がメイド服を着ているだけで、どうして危険なの?」
キラの問いに、三人はドン引きと言う顔をした。キラは侮蔑のような、呆れたような、そんな視線を向けられた事に焦りを見せる。
「えっ、えっ?」
「キラさん……さっきのルナが言った事、聞いてなかったんですか?」
「隊長、普段から可愛いのに、そんな格好していたら可愛さが倍増なんですよ?」
「複数の男たちから邪な視線を向けられているのを、まだ分かってなかったんですか?」
「ひぇ……」
さ、三人が怖いよぉ……!
キラは三人から向けられる圧に、小さくなって「ご、ごめんなさい」と呟いていた。可愛いと言われるのは不本意だし、全く自覚は無いのだが、どうやらシンたちからの印象はそうらしい。上官としてどうなのだろうと思ったが、これ以上何かを言うと三人の機嫌が更に悪くなりそうだった為、キラは口を噤んでいた。
「シン・アスカ大尉、入ります」
そう言って敬礼をし、シンはコノエのいる艦橋へと入る。コノエはくるりと椅子を回転させて、シンへと向き直った。
「おはよう、シン。総裁から今日は君にメイドが付くとか何とか、面白いことを聞いて……」
そこまで言ったコノエがぴたりと止まる。シンの背後には、メイド服を着たキラが立っており、何故かその後ろにはルナマリアとアグネスも控えていた。
「…………なるほど、君のメイドとは准将……。いやはや、これは予想外だ……」
戦況の把握や予測ならば、それなりに出来ると自負しているコノエではあるが、流石にこの艦で最も地位の高いキラがメイド服を着せられて、部下であるシンに仕えさせられると言うのは考えてもいなかった。
「すみません、コノエ艦長……」
キラがしみじみと申し訳なさそうに言えば、コノエは苦笑して「いえいえ」と返してくれる。
「しかし、これは確かにルナマリアとアグネスが一緒にいた方が良いね。よい判断だ」
「はっ!」
「当然です」
コノエに言われた二人は、背筋を伸ばして敬礼をする。
「あれ? でも、艦長も総裁から俺とメイドさんが来るって事しか聞いてなかったって事は、特に用事がある訳じゃないんですか?」
シンが問うと、コノエは顎に手を添えた。
「特に何かを命じられてはいないねぇ。楽しそうに『メイドさんに癒されてくださいませ』と言われたくらいだよ」
「ラクスが本当にすみません……」
「いえいえ、准将のせいでは」
コノエはそう言ってから、ふっと柔らかな笑みをキラたちに向けた。それはとても、慈悲深くて大きくて優しい笑みだった。
「いつも命を賭けて戦場を駆ける貴方がたが、年相応に楽しそうな事をしているのは嬉しいことですよ」
「コノエ艦長……」
その言葉に一瞬じぃんと感動したキラだが、すぐに「これは楽しい事なのかな……」と我に返る。シンたちはキラとは異なり、コノエの言葉に素直に感動したままである。
そして、その後で視線を感じたキラがバッと左へと視線を向ける。
「ふむ。このメイド服は単なるクラシカルメイドとは異なりゴシックロリータの系譜を組み込んだ所謂ゴスロリメイドと呼ばれる分類に近い代物であり、これは総裁の趣味なのか准将に合うメイド服として他の誰かの意見が通ってこれになったのかとても興味深い。私個人としては准将に合うであろうメイド服はロングスカートで露出が殆ど無い物が良いと思われるが、主人の役目がシンであるならばその主人の趣味と言うコンセプトとは非常に合致すると推測され……」
「ハインライン大尉!!」
じぃっとキラを観察していたアルバートが、コノエの言葉が終わったと判断して口を開いていた。片目のデバイスをかちゃりと掛け直して、早口で捲し立てるアルバートを、キラは思わず呼んでしまっていた。真面目な顔でメイド服を語らないで欲しいと、切実に思う。
「すみません、准将。貴方の姿に見惚れてしまい、若干動揺しました」
「なっ……」
見惚れたと素直に言われ、キラはぶわっと赤面した。ハッとしたルナマリアとアグネスが、思わずアルバートとキラの間に入って、キラの姿をアルバートから隠す。
「隊長! ハインライン大尉から離れてください!」
「むっつりだわ! この男、冷静な顔してむっつりよ!」
「失礼な。私は思った事を口にしただけだ」
「尚更悪いぞ、アルバート」
コノエが釘を刺すと、アルバートは仕方なく口を噤んだ。シンは背後のキラを振り向くと、ハタキを持っていないキラの手を取る。何故かラクスから持たされたハタキを、キラはずっと握っていた。
「キラさん、総裁命令なのでとりあえず俺の傍にいてもらわないといけないみたいなんですけど、今日はこのまま一緒にいてもらっていいですか?」
くぅん……と、申し訳なさそうな子犬のようなシンに、キラの心臓がドキッと音を立てた。
「う、うん。今日は何をする予定だったの?」
「デスティニーのOS調整と、それから先日の出撃時の報告書作成。後は、体術と剣術のトレーニングをしようかと思っていたんです。だから、キラさんを連れ回すことに……」
出来れば自室に閉じこもって、キラの姿を他者の視線から隠しておきたいくらいなのだが、今日はやりたい事が多い。シンのそんな心情を感じ取ったらしいキラは、ふわりと微笑する。
「大丈夫だよ。今日の僕は君のメイドさんなんだから、色んな所に連れて行ってね。えっと……ご、ご主人様?」
「ンンッ……!」
最後の一言の後で、シンは言葉にならない声を発していた。キラからの『ご主人様』呼びは、何度聞いても攻撃力が高過ぎる。シンは鼻血が出そうになった鼻を強く押さえながら、なんとか立ち直る。
「ま、まずは格納庫に行きましょう。本当に周りには気を付けてくださいね」
シンはそう言ってからコノエに一礼し、艦橋を後にする。コノエはひらひらと手を振って、シンたちを見送ってくれた。
その日、メイド姿の准将がミレニアムのクルー達を癒したのか、はたまた興奮させたのか、はたまた新しい扉を開かせてしまったのかは定かではないが、後にラクスが「とっても素敵でしたわ、キラ!」ととても満足そうだったので、キラは恥ずかしかったけど良かったと思ったのだった。
因みに夜に何かあったのかは、キラとシンだけの秘密である。