「ねえアズール、俺らが浮気したらどうする?」
VIPルームでフロイドの質問が降ってきたのは唐突だった。頭のなかにうずまいている錬金術のレシピやら、先程飲み干したジェイドの淹れたハーブティの味やらの懸案事項を少しだけ脇に避けておいて、アズールはフロイドの言葉を考えた。
「浮気……?そもそも僕らは……」
言葉の途中で、はっとする。
最初に確認しておくべき重要な前提条件があった気がするのだが、三徹目の疲労がのしかかるのを気合いで跳ねよけなんとか覚醒を保たせている頭はどこまでもとっ散らかっていて、過程をすっ飛ばし彼らの言いたいことを唐突に「理解って」しまった。ただの支離滅裂とも言う。
「つまりお前達、出会ってしまったんですか……僕より面白い奴に……」
「んぇ?あーまー、浮気したって事は……そうかも?」
「僕より面白い奴ってそうそういますか」
「あくまで浮気したらという仮定の話ですよ?アズール」
首をひねりながら答えるフロイドを真顔で問い詰めるアズールに、ジェイドが口を挟む。いちおう困ったような顔をしてはいるものの、明らかに笑いをこらえている声だった。
「アズール、自分おもしれーって自信あったんだね。まあおもしれーけど」
ふんと鼻を鳴らして、アズールはようやくチェックを終えたばかりの書類を脇におしやると、代わりにメモ用紙を引き寄せる。頭の中の錬金術のレシピを書き出しておかないといけない。実際書いてみるとだいぶ改良が必要そうだなと疲労しきった頭の冷静な部分がささやいた。まあ、メモに残しておいて悪いことはないだろう。
「この僕が、気まぐれなお前達が離れた時にどうするかを検討していないわけがないでしょう。対策はバッチリですよ。ああ、でもラウンジをやめるなら十四日前には言うのが規則ですからね。いきなり離れたくなってもその日数を働くことは要求します」
「へえー」
フロイドの声の温度がぐっと下がった。機嫌が悪くなった時のサイン。フロイドがそうした束縛を嫌うのは知っているが、これは他の従業員にも守らせているルールだ。特別扱いはしない。
「ああ、それと、お相手は紹介して下さい」
「なんで?」
「お前達は色々と趣味が悪いが、ひとを見極める目がないとは思いません。それが僕より面白いと判断するのであれば、きっとなにかしらみるべきもののある方なんでしょう。お近づきになってみる価値はある」
こいつらの事だからとんでもないものを持ってくる可能性もあったが、こいつらよりとんでもない存在というのは海だろうが陸だろうがそうそういない。よしんばとんでもなかったとしても、NRCの寮長職なんかについているせいでそういうのを相手取ること自体は慣れている。リスク回避ばかりで商機をつかむことなどできないのだ。
「僕らの浮気相手からも利益を出す気ですか、アズール。さすがの強欲さですね」
「ふふ、そうなるかはお前達の浮気相手次第ですよ。せいぜい、したたかな相手を選ぶといい」
「わかってたけどさあ、アズール止めないんだね」
ふふ、うふふと性格悪そうな含み笑いを始めた兄弟と幼なじみをけだるく眺めながら、机の脇に立つフロイドが言う。
「そうなった時に止めてどうにかなるもんじゃないでしょう、お前達は」
ふわ、とアズールはあくびをする。
「けど、僕はこれからまだまだ事業を広げる予定ですし、やることも沢山ある。それが浮気より面白ければ、さっさと放り捨てて戻ってくれば良い。使える人材なら、出戻りだろうが歓迎してやりますよ……」
彼らが他の何かを愛そうが離れようがどうしようが、自分の歩みを止めるつもりはない。
けれど、こちとら復讐に人生の三分の一は消費しているほどあきらめが悪いのだ。長期戦にも慣れている。きっと、彼らを諦めきれない時には可能な限りの策を立て、手を伸ばしてしまうだろうという予感もあった。
そうして最後にアズールのそばにいるのならば、それはそれでいい。
どこかの世紀末覇王のような思考を最後に、アズールの意識は眠りの闇に沈んだ。
アズールが机の書類の上に倒れ込む前に、ジェイドはさっとティーカップを彼のそばからどかして、その顔の下に柔らかなクッションを差し込む。同時にフロイドが崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。
「あー、やっと寝たぁ」
さらにテンションの下がった低音でぼやくフロイドに、ジェイドは笑いかける。
「薬が効くまでの引き留め、ありがとうございます」
「このままだと徹夜つづきの訳わかんないテンションのまま錬金術やりに出かけちゃってたもんねえアズール。こないだそれでやけどしたのに」
「睡眠薬、思ったより効果が出るまでに時間がかかってしまいました。徹夜を重ねると何故か意地でも寝なくなってしまう癖はなんとかして欲しいものですけれど」
「アズール走り出すと止まれないからねえ。タコなのにマグロみてえ」
「ええ。ご自分でもそれはよろしくないとわかっているから、睡眠薬入りでも飲んで下さるのでしょうね」
「これやっぱ気づいてるんだ?」
「おそらくは。気づかないレベルで判断力が低下している時もあるでしょうが、今日くらいの調子であれば、味の違和感には気がつくと思いますよ」
アズールがオーバーブロットしてから、ジェイドは時折こういう事をするようになった。別に最初から薬を盛っていた訳ではないのだが、体調を気遣っていやみを言い続けたジェイドとそれでも意地を張って仕事や勉強を続けたアズールがお互いこじれて引っ込みがつかなくなった結果、今のところこういう形に収まっている。どっちもメンドーな性格だよねぇ、というのがフロイドの感想である。
ジェイドは眠り込んだアズールの手にあった紙片を取り上げ、内容を確認する。
「ずいぶんとピーキーな調合だ。でも作り込めば面白くなりそうです。たくさん休んだら、明日一緒に考えましょうね」
眠り込んで聞こえていないだろうアズールに語りかけ、用意していたブランケットを肩にふわりと着せかけた。
「けどフロイド、時間を稼いでくれたのは助かりましたが、何故あの質問だったんですか」
「んー?なんか今日、バスケ部でそういう話が出たからさあ。彼女のいる先輩がそれ聞かれて答えがまずかったとかなんとか」
フロイドはよっこいしょ、とアズールを椅子からすくい上げるように持ち上げ、ブランケットにくるんだ形で横抱きにした。頬にふわふわした銀色の髪先が当たって、くすぐったくて笑ってしまう。
「『浮気なんてするな』とか言ってくれてもいいんだけどねぇ」
「それで済む話だと気づけば、きっと、いつかは」
「そんときはアズール契約書とか用意してきそー」
「楽しみですねえ」
言い合いながら、兄弟達は眠るアズールを連れてVIPルームを出て行った。部屋の灯りがぱちんと消される。
「……ていうか、そもそも僕ら付き合ってないだろ……」
フロイドの腕の中、むにゃむにゃと夢うつつでアズールが何やら反論していたが、ウツボ二人はどちらも聞こえてないふりをした。