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    hanatouta_

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    hanatouta_

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    話す時にはどうか目を見て 手を繋いだみっつの影が、海の底から浮かび上がっていく。真ん中の影は、たくさんの脚を膨らませてはしぼませてを繰り返して優雅に水を掻き、両側の影は、長いひれをひらひらと素早く揺らめかせて、真ん中の影を引っ張るように泳いでいた。緩やかにたゆたう光のカーテンの合間を泳いで、水面へと向かう。
    「うわ、まぶしっ」
     恐る恐る顔を出したアズールはまたすぐにぽちゃんと水の中に入ってしまった。フロイドがけらけらと笑った。 
    「最初は目え細くしといた方がいいよお」
     ジェイドもまた目を細めて、空を見上げた。  
     暗い海の中に慣れた目には、そっと顔を出した海面の向こうにあふれる白い光は、目を灼くようにまぶしい。
     青い。 
     青い空の底にある一等まぶしい光は太陽と呼ばれるもので、ゆっくりと流れていく白い塊が雲だというのは、人魚の学校でもエレメンタリースクールで習うのだけれど、実物を見る機会はとても少ない。ジェイドは、海の中のどんなものとも違うこの空の青が好きだ。あまり見ることはないけれど。
     人魚の子供は、人間に見つからないように陸に近づくな、特に昼間は海面にもあまり近づくなと言い聞かせられて育つから、昼間の空の光など、ほとんど見たことがない。海の深みは決して優しいだけのゆりかごではないけれど、それでも人魚の子供はそこに守られて育つのだ。
     ジェイドとフロイドは親の言いつけをよく破る子供だったけれど、陸や海面に近づく事は少ない。怖いからではない。海面近くや岸辺は、大概が海底よりも殺風景で、彼らの興味を引くものはさして多くはない上に、大人の人魚にバレた時にひどく叱られるので、割に合わないからだ。海の底で、時々沈んでくる沈没船や海溝の近くを探検する方が、見つかる物が多くて楽しい。
     稚魚としては無謀なほどに行動力のある兄弟ですら、陸に近づく機会はその程度である。いつもタコツボに引きこもっているようなアズールには、そもそも昼間の海面に近づく事からして、ほとんど初めての冒険らしかった。
     それでも今日、アズールを連れて海岸に近づく事になったのは、彼自身の希望によるものだ。兄弟が興味を持ってからこのかた、タコツボをのぞきに行ったり、遊びに誘ったりしても、アズールはウツボの兄弟達をうるさがって追い払おうとするばかりだった。しかしある日のこと、彼が眺めていた本の中をよこからのぞき込んだとき、そこに記してあった地上の薬草のひとつに、ジェイドは見覚えがあった。それを話したところ、アズールは薄暗いタコツボの奥で、夜光虫の発光のようにほの青い目を光らせた。そして、対価をやるから場所を教えてくれと言ってきたのだ。
     ウツボの兄弟は承諾した。対価は、アズールがその草を採りに行くときには、自分たちも連れて行くこと。それと、出来上がった薬を自分たちにも見せてくれる事。アズールが、なんだか面白いことをやろうとしているみたいだったから。目指すは、一番近い陸の岸辺にある、兄弟小さな砂浜である。  
    「うわ、ほんとにあった!」 
     たどり着いた先にあったのは、岩場の狭間の、小さな砂浜にへばりつくようにして生えている、何の変哲もなさそうな草の群生だった。アズールは草を踏まないように蛸の足をそっと陸に乗り上げさせた。いそいそと手で葉をつまみ、植物の形を確認して、うなずく。
    「これが、そんなに貴重なもんなの?」
    「うん。これがあれば、もっと質のいい薬が作れる」
     砂浜に上半身だけ乗り上げて寝転んだフロイドが尋ねたのに、アズールは弾んだ声で返す。元々、海藻などを育てる事が趣味だったから、探検の時に見掛けた植物を少し細かく記憶していたが、この植物にアズールが見いだしている価値は、ジェイドにも正確なところはわからない。
     興奮した様子のアズールは、ジェイドを振り返った。
    「ジェイド、君がこの草の生えてる場所を覚えてたおかげだ。ありがとう」
     青い瞳が、きらきらと喜びに満ちた光をはらんで、ジェイドを見つめていた。 
     海の底では、深い暗闇のなかの夜光虫のようにひっそりとほの青く光るように見えていた彼の瞳は、太陽の下で見たとき、空の底と同じ色をしているのだと、初めて知った。
    「……お役に立てて、何よりです」
     答える自分の声が他人のようで、自分がどんな顔でそう言ったのかも覚えていなかったけれど、その日に見た空と、初めて太陽の光の下で見たアズールの瞳の青は、今でも覚えている。
     その後、三人で、体を乾かしてしまわないように気をつけながら、岸辺から手の届く限りの薬草を摘んだ。
     その合間に、空の色をした目が岸辺の向こう、陸の奥の方をじっと見つめているのを、ジェイドは……多分フロイドも、気がついていた。 


     
     移動教室の際に、廊下で声をかけられた。
    「あの、リーチ先輩……」 
     オクタヴィネルの腕章をつけた一年生だった。ジェイドの顔から少し視線を外したまま、おずおずと言ってくる。
    「あの、同室のマッカードですが、今日風邪引いて部屋でダウンしてて。ラウンジのバイトができそうにないから伝えておいてくれって言われて」
    「なるほど」
     おや、と思い、顔をのぞき込んでにっこりと笑うと、相手は面白いようにおびえた顔で、さらに目をそらした。
     病欠と言われた生徒は、真面目でラウンジの仕事にも意欲のある方だ。後で病気の生徒の安否確認も兼ねて軽く裏はとるつもりだが、特にやましいところがあるとも思えない報告だった。その割には、随分と怖がられている。 
     目の前の生徒は、以前、ジェイドがショックザハートを使って、腹痛でラウンジの仕事を放り出したという嘘を暴き、「取り立て」を行った生徒とは部活の先輩後輩の間柄で、付き合いがあったはずだ。あの生徒には、他の学生に対する脅しも兼ねて、わざわざ自白させるのにユニーク魔法を使って見せたので、その効果が出ているのであれば何よりだが、何でもない会話にまでおびえられるようでは、あまりよろしくはない。
     もう少し怯えさせてみたい気持ちをこらえると、ジェイドはいつもの笑顔に少し困ったいろを混ぜ、力づけるように、できるだけ優しい声をかけた。
    「病欠は仕方がありません。前もって伝えてくださって、助かります。シフトはこちらで調整しておくので、ゆっくり休んで欲しいとお伝え下さい」
    「は、はい」
     目を合わせないままだったが、少し柔らかくなった声で、寮生は返事をした。

     その後、廊下を進んですぐに、階段の上にふわふわした銀髪の頭を見つけた。
    「アズール」 
     少しだけ早足で階段を昇る。病欠の生徒分のシフト調整やラウンジに関して、いくつか申し送りをしたかった。今アズールの了解をとっておけば、次の休み時間あたりで処理できそうな作業もある。
     アズールを呼び止める事など珍しくもないので、自然とその後の反応はこうだろうという予測している。足を止めて、こちらを見て、「はい」とうなずく。大抵はそうなのだが。
     階段を上ってくるジェイドをちらりと見たアズールは、そのままふいと顔を逸らした。
    (え?)
     違和感を覚えながら階段を上りきり、アズールに近づくと、足を止めて待っていた彼はジェイドの顔を横目でちらりと見ただけでまたすぐ顔を逸らし、廊下の方を指し示す。 
    「少し急いでいるので、一緒に歩きながらでもいいですか」
    「はい」
     その後、ジェイドはアズールの横顔に向け、いくつかの用件について確認した。
     会話の内容も声の調子もいつも通りだったけれど、アズールは一度もジェイドの方を向いてこなかった。

     銀のフォークを、白いリネンで磨き上げる。柄まで、曇り一つ残さないように。持ち上げ、光に当てて、それが完璧に磨き上げられていることを確認すると、満足し他の磨き上げたカトラリーと一緒に置いた。そしてまた、磨かれるのを待つナイフを手に取る。それと同時に。
    「どっかーん」
     フロイドの声と同時に、肩に衝撃。座っているソファの背中側から思い切りタックルされても、ジェイドのぴんと伸ばした背中はほとんど揺るぎもしなかった。フロイドがこれと同じようなノリで陸の小魚に突っ込む時、大抵の相手は盛大につんのめっているのだけれど、ジェイドにとってはほんのかわいいじゃれ合いだ。
     ジェイドがソファに座る位置をずらして座る場所をつくってやると、フロイドはジェイドに横に座り込む。そして肩をくっつけてきた。
    「フロイド、今日はくっつきたい気分なんですか」
    「んーん、もやもやしてるジェイドを突っつきたいだけ。それ磨くのそういう時でしょ」
     言って、ぴかぴかに磨かれ、箱に収められたたくさんのカトラリーを指した。磨かれるのを待つカトラリーはもうほとんど残っていない。
     カトラリー磨きはあまり仕事を覚えていないアルバイトでもできることだし、カトラリーの数も十分あるのだから、手の空いている者が適宜やれば問題ないのだ。
     それをラウンジの開店前に一人で徹底的に片付けておくのは、ジェイドが気分を晴らしたいときによくやる作業だった。
    「たいした事ではありませんよ?」
    「いいよ、教えて。今ヒマだし」
     ふっと、ジェイドは小さく息をついて話し出した。
    「僕がユニーク魔法を初めてアズールに見せた頃のことを、思い出していました」
     
     ジェイドがユニーク魔法をアズールに見せたのは、ミドルスクールも半ばを過ぎた頃の事だった。初めて三人で地上に薬草を採りに行ったあの時から少しだけ後の事。
     その日、いつものように双子達が遊びに行くと、アズールは依頼をうけたという魔法薬にかかりきりだった。
     兄弟は横で眺めていたが、フロイドは途中で飽きて、そこら辺をきりもみ回転しながら泳いでいた。「目が回る~」という楽しそうな声が時折聞こえる。
     ジェイドの方は大釜のそばで時々攪拌を手伝いながら大人しく見学していた。作っている魔法薬についていくつかアズールに質問すると、アズールはそこからさらに改良を思いついたらしい。考えを整理したいからとジェイドに思いついたアイデアをとうとうと話し出した。
     声を聞き、興奮に薄青く光る瞳を見ている内に、ふと不思議に思ったのだ。  
    「君は、僕の目をじっと見てきますね」
     疑問を口に出すと、アズールは不思議そうな顔をした。
    「それが何?僕が人の目を見て話すマナーを守っているのがおかしいとでも?」
     この頃のアズールはまだ今ほどに丁寧な話し方はしていなかったし、本格的に大人の低さに変わる前の声は透き通った子供の気配を残していた。
    「先日、僕のユニーク魔法について、お話ししました」
    「うん、聞いた」
     正確には、なしくずしにバレてしまったようなものだけれど。アズールに契約を持ちかけてきたカサゴの人魚と一悶着あった時、二度とこちらに向かってこないよう、脅しの種を探るためにジェイドがユニーク魔法を使ってみせたのだ。
     そのときのアズールの反応も覚えている。『精神操作系ですか。術の操作にもかけるタイミングにも相当に繊細な対応が必要なのに、習得してしまうなんて。これは使えそうだ』と珍しく素直に褒めてくれた。けれど。
    「怖くはないんですか?僕が、君にユニーク魔法を使うかもしれないことが」
     実際、ショック・ザ・ハートをかけられた後やその内容を知ったときに、彼の目を避けようとする者は多かった。
    「ああ……なんだ、その事か。気にする必要ないだろ。僕が魔法にかかるほどお前達に気を許すと思うか?」
     アズールは、心底不思議そうにそう言った。ジェイドは目を見開いた後に、顔を曇らせてくすんと鼻を鳴らした。
    「……許さないんですか?それは残念です。こんなに一緒に遊んでいるのに」
    「そういうとこだよ」
     アズールはジェイドの泣き真似に取り合わなかった。前はこうして悲しそうな顔をすると少しは動揺してくれたのに、つまらない。
     アズールが警戒しないのはジェイドにも納得できることではあった。そこら辺の魔法の使えない人魚と違って、アズールには強い魔力がある分、ショック・ザ・ハートを成功させるハードルも上がる。今のジェイドの実力ではよほど動揺しきっている時でなければユニーク魔法の成功は無理だろうし、そこまでぼろぼろになった状態のアズールを、ジェイドはまだ見たことがない。
     けれど、当たり前のように気を許さないと宣言されたのが少し面白くないのも確かだった。
     そんなジェイドの心境に全く気づく様子のないアズールは、ちょいちょいとジェイドを指で招く。ジェイドがわずかに尾びれをゆらめかせ、アズールのそばによると、かれは紫がかった色のやわらかな手のひらでジェイドの顔をはさみこんで、じっと目をのぞき込んできた。
    「お前達の目、獰猛だけど、色がきれいだからな。片方は地上の貴重な薬草と似た色だし、もう片方は、沈没船で見つかるあたらしめの金貨みたいだろ」
     ジェイドの目をのぞき込む、うす青い目が、ゆるく弧をえがいて、笑みにとろける。
    「目を見ながら話す方が、僕も気分がいいよ」
    「…金目の物に例える辺りが、強欲なアズールらしいですね」
     素直な賛辞と不意の柔らかな笑顔に一瞬返答に詰まってしまい、とっさに口から出たのはそんな言葉だった。
    「褒め言葉くらい素直に受け取ったらどうなんだ」
     アズールがむっと唇をへの字に曲げたところで、フロイドがきりもみしながら急降下してきた。余波でふわりと辺りに水流が通っていき、鍋の近くは止めろ!とアズールが鍋にかかりそうな水流をブロックしながら叫んで、この会話は終わりになった。

     ジェイドの思い出話を聞いたフロイドはくすくすと笑い出した。
    「アズールらしいねえ。あったっけそんなん」
    「あったんです」
     ジェイドもふふっと笑う。
     そして今日のアズールの様子を話した。話しかけたときに顔を逸らされ、横顔しか見せてくれなかった時の事を。
    「数年前、アズールはああ言いましたが。
     ここまで長くつきあってくれば、それなりに隙が見えることはあります。僕のショック・ザ・ハートも、以前よりは成功率が上がっていますし」
     いくらアズールが用心深くて魔法耐性も高い方とはいえ、精神がひどく消耗していたり、深く動揺しているような時には、ジェイドのユニーク魔法は効果がある。
     もう何年も一緒にいるのだ。これは確実にショック・ザ・ハートが効くのではと思うときは、少し……結構、ある。たとえばこの間、以来の薬の作成に何日も失敗し続け、最終的には徹夜でようやく仕上げた直後、朝食の席で買っている株が急に下落しているのを新聞で確認してしまったときとか。すごい顔をしていた。
    「だから、考えてしまったんです。もし、アズールがそのことに気がついてしまって、僕の目を避けるようになるとしたら……」
    「したら?」
    「僕は、アズールにがっかりしてしまうかもしれません」
     ずいぶんとかたい声が出たな、と他人事のように思った。
     磨き終わったぴかぴかのナイフが、ジェイドの顔を映し、ぎらりと光っていた。
     フロイドはふうん、と軽くうなずくと、ジェイドの頭を抱え込む。ジェイドは小さく、「わ」と声を上げた。落としそうになったナイフを、クロスの上に置く。
     フロイドはそのまま頭をぐりぐりと撫でてきた。ジェイドの整えられたまっすぐな髪が、くしゃくしゃと乱される。
    「アズールはオレ達の事を怖がったりなんか、しないよ。今のアズール強ぇもん。ジェイドだって、知ってるでしょー?」
     だから、心配しなくても大丈夫だって。そう言って頭に触れてくる兄弟の手のひらは、乱暴なようでいて、とても優しくて心地がよい。フロイドはジェイドを撫でるのがとても上手だ。そうされる時はいつも、ジェイドはつい素直にうなずいてしまう。
    「……はい」
     本当は、ジェイドだってわかってはいるのだ。昔のアズールならいざ知らず、今の彼がジェイドに対して怖じ気づく事などそうそうない。寮長の座をかけて決闘しようが返り討ちにすると豪語しているくらいである。ジェイドのユニーク魔法が強くなったのと共に、アズールだって能力を磨き、したたかさと不屈さを増している。今回の事だって、いつもと違う態度には別の要因がある可能性の方が高いだろう。
     それでも、あの青い目が自分の目をのぞき込んでくれなくなる日が来るかもしれないと考えるだけで、嫌だった。

    「つか、アズールなんでジェイドと目え合わせなかったんだろ。昨日はそんな様子なかったよね」
     片割れの問いに、ジェイドはあごに人差し指を当てた。  
    「フロイドは、今日はアズールに会いましたか」
    「会ってなぁい。オレ今日バスケ部の朝練久しぶりに出たでしょ。昼メシの時間もズレちゃってジェイドとふたりだったし、一緒の授業もなし」
     彼ら三人はいつも一緒にいると見られがちだが、日中に学校のある日はそうでもないのだ。何せNRCは広いので、授業の都合で校舎のあちこちに散らばってしまうと、本当に会わない。朝食、昼食などの折々で顔を合わせる事は多いし、モストロラウンジでの勤務もあるので、お互いの顔を全く見ない日というのもほぼないのだが。
     今日のアズールは午前中にあった錬金術の授業が長引いたらしく、兄弟は二人で昼食を食べた。
    「僕は朝食の時にアズールと顔を合わせましたが、そのときは特に違和感は感じませんでした。一々顔をのぞき込んだりもしていないので確証はありませんが……」
    「ジェイドが気づかなかったんなら、そこは何もなかったって事でいんじゃね」
     それもそうですねとジェイドはうなずく。そもそも常のアズールは相手の顔や目を見て話す方だ。それくらいの接触でも違和感に気づける自信はある。
    「何かがあったとしたら、朝食後から僕と午後に顔を合わせるまでのどこか、なのでしょうが」
    「今日、アズールの出た授業でなんかトラブったって話ある?」
    「軽く調べはしましたが、少なくとも大きなトラブルはなかったようですね」
     授業での事件などはネットや噂ですぐに共有されるので、ジェイドの情報網に引っかかってこないというのはまずない。
     そこで今日のシフトに入っているオクタヴィネル生達が賑やかに話しながらラウンジの扉を開けたため、彼らの話は結論の出ないまま一旦終了となった。

     フロイドは気分が乗ると接客がとても上手いしジェイドも料理は得意なのだが、フロイドの「気分が乗る」事が多いのはどちらかというとキッチンにいるときで、乗らない時のカバーもキッチン勤務の方がやりやすい。そしてジェイドの丁寧な物腰と相手の意をくみ取るのが上手い性格は安定して接客向きだった。今日もそれぞれキッチンとホールに分かれてくるくると立ち働いている。
     アズールは、今日はVIPルームにいる日で、いくつかのアポイントが入っている。問題が起きそうな客が来る場合、ウツボの兄弟のどちらかは必ずアズールのそばに控えているのだが、寮生のラウンジ勤務に関する面談とポイントカードを使った至極無難な成績相談であったため、ふたりともラウンジの方で働いている。
     営業も終盤にさしかかり、手が空いてきた頃、一度だけアズールがキッチンに顔を出していた。注文の確認のためにちょうどキッチンを覗いていたジェイドは、アズールがアルバイトの寮生と何かを話しているのを見た。シフト表を前に並んでいるから、おそらく勤務の相談なのだろう。真正面から話し合っているわけではないものの、昼間のジェイド相手のようにことさらに目をそらすことはしていないようだった。こうしてみている分にはおかしな様子はない。
     アズールがきょろきょろと首を振って何かを探す仕草をした。シフト表に書き込むための油性ペンだろうか。話をしていた寮生が気を利かせ手元からペンを取り、アズールに差し出す。アズールはうなずいて手を伸ばすが、手はペンを行き過ぎ、一瞬空をかく。その後にきちんとつかんだ。 
     思わずキッチン奥のフロイドの方を見ると、視線が合った。向こうもアズールを見て同じ事に気がついたのだろう。似ているようで中身の全然違う兄弟だが、こういう時の呼吸は合う。
        
     ラウンジの締め作業を大方終えると、ジェイドとフロイドはそろってVIPルームに向かう。アズールは今日予定されていた面会をつつがなく終え、今はノートパソコンをにらんで何やら考え込んでいた。入ってきたジェイド達の気配に少し顔を上げ、うなずく。
    「お疲れ様です。報告を」 
     とだけ言って、再び手元のデータに目を落とした。やはり視線はほとんど合わない。
     ラウンジの勤務日は、このタイミングで報告と必要な相談をするのがジェイドとアズールの習慣となっていた。
     その間、フロイドはなんとなく一緒に居てそこら辺でごろごろしている事が多く、気が向いたときだけ話に入ってくる。
     しかし今日はふらふらとさりげない仕草でアズールの左手に回り込んだ。ジェイドはフロイドの方に注意を向けさせないように気をつけながらアズールの正面に立って、いつも通りラウンジの業務についての報告を始めた。
     しばらくして、フロイドはそこら辺のコピー用紙を折って紙飛行機を完成させる。それを構えてアズールの方に狙いをつけているが、アズールは全く気がつく様子はない。やがて、気配や物音を殺したまま、フロイドが思い切り腕を振りかぶり、紙飛行機がその手から放たれた。紙飛行機の翼が左腕を掠めるくらいのタイミングでアズールはようやく驚いた顔になり、すいっと手前を横切って机の端に着地した折り紙とそれを左側から投げたフロイドを見比べる。
    「上手く飛んだあ」
     フロイドは満足げに笑っている。ジェイドはわざとらしく、首をかしげてみせた。
    「おや、そんなに驚いてどうしたんですかアズール。フロイドが紙飛行機を作って投げる様子はあなたにも見えていたでしょうに」 
     紙飛行機を投げる一連の動作は、アズールの視界に入るはずの位置でオーバーリアクション気味に行われていた。それに気がつかなかった様子が、今のアズールの状態を証明している。
    「それとも、本当にお見えになっていらっしゃらなかったのでしょうか。左目を、どうされました?」 
     先ほどペンをつかみ損ねていたのは、片目が見えないために距離感がわからなくなったためなのだろう。
     アズールは観念した表情でジェイドを見上げてきた。あおい二つの目は両方ともこちらに向けられてはいるが、真正面から見れば、左側だけ焦点が合っていないのがわかる。彼は少し芝居がかった仕草で両手を上げ、肩をすくめてため息をついてみせた。
    「三日くらいならごまかせるだろうと思っていたんですが、こんなに早くバレてしまうとはね。やはりお前達相手だと無理か」

     アズールは錬金術の授業の準備当番で薬草を採りに行き、その妖精に出会ったのだという。
    「以前からごく稀にうちの植物園に姿を現すかたで、会えたのはかなりラッキーらしいです。元々大陸の山の奥に本体のある力の強い妖精なのだそうですが、人というものに随分興味があるらしくてこの島にも顔を出すとか。視覚、味覚、触覚など、なにがしかの感覚を何日か貸し出せば、その山に生える貴重な植物などを分けていただけると言うことで、僕が契約しました」
    「ほんとに大丈夫なの、それ」
    「僕が契約でそうそう遅れをとると思いますか。裏をかいたりするようなまねは一切できないよう、内容はがっちり確認して魔法で契約書も作成しましたから、いくら力の強い妖精でも破れないはずです。それにたまたま近くにいたクルーウェル先生に確認したところ、契約先としては優良な方で、今までもそうして一時的に契約して目や舌を貸した方は学園にもそれなりにいたそうです。クルーウェル先生ご自身も契約の経験がおありで、彼の知る限り、彼含めみんな問題なく契約を履行できていたとのことです。
     ただ、妖精を脅かしたり軽率に問題のある契約を結んでしまう生徒を出さないため、妖精の存在は広めないようにと口止めはされました。お前達も口外はしないでください」
    「事情はわかりましたが……いくら安全に契約をされたのだとしても、僕らには教えて欲しかったです。何かあったとき、あなたの片目が見えていない状態と知っているのと知らないのとでは対応が違ってきますから。なぜ、あそこまで隠そうと?」
     アズールは少しだけ口をつぐみ、観念したようにため息をついた。
    「もう、ここまでわかれば知られるのも時間の問題でしょうから教えます。妖精が来たのは氷の国の山脈、その奥深くからです。
     ここからずいぶん離れてはいますが、この島は魔力の濃い場所ですから強い妖精にとってはむしろ行き来がしやすいのでしょう。この妖精が宿るものは、ユキダルマタケ。僕らの今の背丈を超える大型菌類、簡単にいえば巨大なきのこです」
     アズールの言葉が終わらないうちにジェイドがくるりときびすを返してドアに向かう。フロイドが思い切り顔をしかめた。
    「確認例すらごくわずかな、幻のキノコといわれるユキダルマタケの妖精ですか……!?その方は、今どこにいらっしゃいます?」
    「落ち着きなさい」
     まだ植物園に居る可能性があるならばと、今すぐ探しに行こうとするジェイドをアズールが止める。
    「僕と契約した後、ほとんどすぐにお帰りになったようですから、今行っても会えませんよ。あまり長くはいられないようでしたし、気まぐれな方らしいので、次にいつ来るかは予測できないとのことでした。対価は魔法で届くそうですし」
    「そう……でしたか。出会った時点で連絡してくださればすぐに向かいましたのに」
    「お前飛行術のテスト中だっただろ」
    「ホウキで飛んででも行きました」
    「やめてください。……絶対こういう反応するから嫌だったんですよ」
    「なんか……アズールちょっとだけごめん」
    「わかればいいです」
     素直に謝るフロイドに、アズールは理解者を得たといいたげにうなずいている。
    「しくしく。会ってみたかったです、ユキダルマタケの妖精」
     泣き真似を始めたジェイドに、アズールはいくらかばつの悪そうな顔になった。ジェイドのこの手の演技への反応としては珍しいことだった。
    「だってお前、幻のきのこ相手とか、面白がってうっかり目どころか他の体の感覚まで色々と渡しそうじゃないですか。今ラウンジが繁忙期なんですよ。お前をきのこの妖精に渡すつもりはないです」
    「そこまでうかつな真似はいたしませんよ。僕ときのことの付き合いを甘く見ないで下さい」
    「せいぜい二年弱のつきあいだろ」
    「てか、ジェイド気にするとこそこでいいの」
     アズールけっこういいこと言ってんのに、とフロイドが小声でぼやいたが、ジェイドの耳には届かなかった。
    「……力の強い妖精で、この地に縁があるなら召喚術で呼び出せる可能性はありますね。琥珀とシダの花の蝋燭……スレイマンの塵……」
    「ジェイドこら、キノコ呼び出すのとかぜってぇ部屋でやんなよ」
    「お前ほんとにやり遂げてしまいそうだな……。僕は協力はしませんよ。あの力の強い妖精相手だとこれ以上の取引はリスクの方が高い。せいぜい気をつけてやりなさい」
     ぐったりしてきたフロイドが、宙をかき回すような仕草でぶんぶんと長い腕を振った。
    「あーもーキノコの話やめよーよ。
     そういえばさアズール、やっぱ目に関しては最初に教えてよ。ジェイドなんかアズールにユニーク魔法怖がられてる可能性まで考えてたんだから」
    「フロイド。可能性としてはあると考えていただけですよ」
     かれらの言葉に、アズールは随分と不意を突かれたような顔になった。ジェイドはおやと首をかしげる。これは、ひょっとすると。
    「アズールひょっとしてさあ、ジェイドのユニーク魔法で聞き出される可能性は考えてもいなかった感じ?」
     フロイドが愉快そうにジェイドと同じ考えを口にする。
    「そりゃそうでしょう。ジェイドなら、正面からこちらの目をのぞき込んだだけでも違和感に気がつく可能性はあると思っていましたし、今回は魔法よりそちらの方がよほど警戒すべきでした。けれど、警戒しすぎて学校で会った時に思わず顔を逸らしたのは、今思うと失敗だったのでしょうね」
    「ええ、あれで違和感を持ちました」
     ジェイドの答えに、やはりか、とアズールはため息をついた。
    「お前のユニーク魔法は確かにかかってしまえばとても厄介です。けれど、僕はタネを知っていますし、抵抗できる魔力もあります。普段いちいち気にする必要なんてないでしょう」
     言って見つめてくる、眼鏡の奥の瞳の色は、ジェイドにとっては今も変わらない、故郷の海から三人で見上げたあの空の色だった。この瞳の片方に自分が見えていないのが、ひどく惜しい。ずっと見ていられたら良いのにと思いながら、ジェイドはにっこりと笑って言う。
    「ええ、アズールに僕のユニーク魔法をかけることはとても難しいでしょうね。ですから、安心して下さって良いんですよ」
     その言葉にアズールは思い切り顔をしかめたけれど、目をそらすことはせず、挑むようににらみつけてきた。
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