「バラム。服を脱いでくれないか?」
「……はあ!? 何言ってんのオマエ!?」
腹の底から声が出たせいで、上半身すべてに激痛が走った。悟られないよう一瞬よりも短いあいだで取り繕ったつもりだが、近頃やけに勘のいい王様は、きつく眉をしかめて、もう一度はっきりと「服を脱いでくれ」と繰り返した。もはや問いかけですらないし、「バカ言ってんじゃねーよ」って茶化せる空気でもない。つーか、なんでオマエの方が痛そうな顔してんだよ。
「……一応聞いとくが、これ、イポスたちにもやったんだよな?」
「ああ」
ブネは見たらわかるからそのまま、イポスには裸になってもらったよ。と淡々とジャラジャラ王は続けた。
居合わせたかったな、その場に。イポスのやつはどんなリアクションをしたんだろうか。ヴィータとしても、メギドとしての人生を換算したらもっと、自分よりずっと若く未成熟な男にひん剥かれるのは一体どんな気持ちだっただろうか。それとも、アイツなら二つ返事で脱ぐのかな。どうあれ、外野から見ているぶんには愉快だっただろう。
……嫌だ、とも違うこの感覚はなんだろうか。まさかいまさら恥ずかしいわけでもあるまいし。居心地が悪い、に近いか。あの時の、外傷は残っていないとはいえ、特段きれいなわけでもない体を見せろってんだから、ジャラジャラ王がどんな顔をするかなんて文字通り目に見えてる。それがわかっていて、わざわざやるかよって話だ。
指輪で強制されたって脱ぐもんか、と半ば意地のような感覚で決意を新たにしたが、もう一度、淡々と、「頼む、服を脱いでくれ」と愚直な瞳に駄目押しされて、どうしようもなく、途方もない気持ちになった。
ばっと脱いで、はい終わり! にしようかとも考えたが、そんなことまでして隠すようなものでもないしな……と思うし、半裸の男を前に変に意固地を貼るのも馬鹿げている気もするし、そもそもそれは叶わなかった。脱いだ瞬間、あまりにも自然に、ジャラジャラ王の手が検分するように肌に触れ、びっくりして硬直してしまったからだ。
「……この傷は?」
想像したような、表情はされなかった。杞憂だった。
無風の湖面のような、凪いでいるけれど、何かが表面張力ギリギリのところで張り詰めているみたいな。落ちた卵が、割れる瞬間に時を止めたみたいな。幻肢痛の残るヴィータのからだがぎしぎし軋む。
なんだよ。そんな顔されたって、俺には何もできねぇよ。つらいならつらいって言ってくれれば、俺にだって。やりようはあるのに。
「……あの時のじゃねぇよ」
「……知ってる」
「あ、そ」
オマエにそんな顔をさせているのが、自分だということに気付いていながら、知らんぷりをするのにも慣れてしまった。仲間が傷付くなんてこと、今までにも何度もあっただろと言えるほど、オマエに残った傷は浅くない。目に見えないところが痛むのは、おそろいだ、と思ったが、これは明確にこっ恥ずかしかったので伝えなかった。
もう服を着ていいか、と訊こうとしたとき、それが他人のものだとは思えないほど躊躇いなく、指先が色の違う皮膚をすうとなぞったので、脇腹から何かが駆け上がってくる感覚に、飛び上がりそうになるのを抑えるだけで精一杯だった。
「……幻獣の、爪?」
いけしゃあしゃあと、コイツ。
「っ、そうだよ、いちいち覚えてねーけど、これはもうずっと昔に、森でバカでかい幻獣の集団に襲われたときのヤツ、たぶん」
幻獣なんかにやられた傷を見られるのは心底嫌だったが、なんかよくわからん、それ以外の感情に上書きされて、素直に答えていた。皮膚の下でなにかが蠢くようにざわざわする。気持ちが悪い。もうなんでもいいから、はやく終わってくれ。
「これは?」
今度は、さっきの傷の斜め上にある、より大きな傷跡をなぞる。ふるっとわずかに身震いする。誤魔化すように身をよじる。
「……あ〜……、」
獣の爪による裂傷とは明らかに違う、直線に伸びる、人工的な刃物による傷跡だった。細かいそれらは数え切れないほどあるが、いっとう深く身を抉ったそれは、もう何十年、何百年経とうと消えることはない。その切創が何を意味するかなんてオマエにだってわかるはずだ。個人的には、口にするのすら忌々しかったので、適当に濁してやり過ごした。するつもりだった。
「バラム」
まただ。こっちの顔を見ることもなく、傷跡を見つめたまま、念押ししてくる。オマエに名前を呼ばれるだけで、どうしてこうもままならない気持ちになるんだろうか。
「……あ〜、本当によく覚えてねぇんだよ……」
「……そうなのか?」
嘘じゃない。かと言って、すっきり忘れているわけでもない。
観念して深く息を吸う。
「マジの大昔だからな。まぁ、そんくらい大したことじゃねぇってこと。曖昧だけど文句言うなよ。……ガキの頃、……」
……つまらない話を手短に済ませたら、やっぱり王様は、想像通りの顔をした。思った通りに事が運んだのに、まったく嬉しくない。こんな面白くもなんともない話、本当は一生──オマエが死ぬまで──するつもりはなかったのに。どうしてこうも、いとも容易く、曲げられてしまうんだろうか。
理由なんて一生わからなくていいと思った。オマエのじゃない、俺の一生ぶんだ。
(だって、俺が死ぬ時、オマエはもういないんだ)
故郷の、メギドラルの、熱くも冷たくもない、ただただ乾いた風が、一際強く吹いて頬を叩いた。遠くで、ガキたちがきゃーと騒ぐ声がする。未来を変える、絶え間ない戦いのあいだの、半ば強制的にとられた、ほんのつかの間の休息だった。びゅうびゅう音をたてて吹き上げる強風にさらわれることなく、ジャラジャラ王の声が強く、はっきりと、どこか泣きそうに「ありがとう」と紡ぐのが聞こえた。それに応えることは、自分がしたつまらねぇ話が『大したこと』みたいになる気がして、聞こえなかったふりをした。そうして空を仰いで、あー、故郷だな、と思う。
たとえば死ぬ時に、俺は今日のことを思い出すかもしれない。くだらねー傷跡が視界に入るたびに、今日のことを思い出すだろう。オマエも、俺の傷跡を見るたびに、今日のことを思い出すのかな。そう考えると、また、途方もない気持ちになった。なったので考えるのをやめた。
ジャラジャラ王は、何事もなかったかのように立ち上がる。「もう行くよ」、と一言だけ残して、さっきまでの情けない顔はどこへやら、すっかりいつもの王様の顔だった。服を着ながら、何か声をかけるべきかと一瞬思案して、何も出てこない。
つらいならつらいと言ってくれたら、とまた思う。自分らしくない考え方に笑いだしそうになる。意味不明な感覚に支配されるヴィータの体が不思議と不快じゃないのが、不快だった。
ぐちゃぐちゃの頭の中でただ一つ、体を埋め尽くす痛みだけが確かだった。遠ざかる背中に内心で悪態をつく。
俺は今、たぶん、オマエと同じところが痛てぇよ。馬鹿野郎。