神様すらも欺いて
茨も結婚したら? となんの気無しに閣下は云った。泣きそうになる涙腺を殴って、こえを張る。
「自分は一生独りでおります。血の呪いに巻き込みたくはないですからねえ」
「茨の呪いは解けているんじゃない?」
「そうでしょうか? 不幸しか知らなくて、もう感覚が麻痺しております」
「茨に都合の良い人、連れてこようか」
閣下は綺麗な顔で笑った。目を逸らした。
「……自分、は、好きな、人がいるので」
「いるんだ。誰?」
「秘密です」
「そう。教えてよ。気になるな」
「云ってしまったら秘密じゃなくなってしまいますでしょう?」
パーティーは続いて、喧騒が攪拌していく。美しい時間を引きずって、タキシードのかれはいつもみたいに俺のそばに立っている。
永遠に繋がらない距離で。
「……きっと茨なら、その人から愛をもらえるよ」
それは無理なことだと云いたかった。
「……その人、は、既婚者なので! 略奪愛になってしまいますな~~! アッハッハ! それに自分は独りが性に合っていますし。それから……」
ぐい、とシャンパンのグラスを押し付けられて、くちを塞がれた。
「私は茨の幸せを願っているよ」
かみさまみたいに、美しく、それは、齎された。
俺を捨てたくせに。
いやちがう。そんなんじゃない。俺は一度だって閣下のものになったことはなかった。閣下に所有されなかった。だからそれは間違いだ。
選ばれなかった。
捉えられなかった。
俺にはたった一人しかいないのに、閣下にはたくさんの一人なんだ。
あーあ。
どうしてこの人を好きになってしまったんだろう。
どうして初恋は、実らないんだろう。
努力したって、抗ったって、この人の隣にはもう、世間と契約した名前がある。
「……ありがたきお言葉ですな! それだけで自分は天にも登る気持ちです! 閣下、新しい飲み物などはいかがでしょう? お持ちいたしますね、敬礼~~!」
歩きながらシャンパンを飲み干す。
うまく笑えているか、わからない。
***
***
熱で倒れた茨を救急に運んで、茨の部屋に帰って来た。一時的な難聴になっているが、熱が下がれば問題ないらしい。スマホに文字を打って読ませて、薬を飲ませて、ベッドに寝かせた。
「かっか、あ、だい、じょうぶ、です、から……かっか……」
譫言。
だめなくせに。
知っているのに。
知らないふりをしなくちゃいけない。
「死ぬまで噤(つぐ)んでいようと思った」
虚のくらやみに、こえは染渡る。
「君は私を好きでしょう? 知ってるよ、泣いていたのも、知っていた」
氷嚢を当てて、目を隠す。
「君を幸せにできるのが私ならよかった。でも私は壊れているから。君の嫌う父は、私の根幹から離れていかないし、君が望む普通は何一つ持っていない。君を代替にしようとしている、それに気づいていない筈はないよね? 私はやめた方がいい、かしこい君は悟る筈なのに」
手を触りたくなった。そんなことしたら知られてしまう気がして、握りしめる。
「私が誰かと一緒になったら、君は誰かに愛される決心がつくでしょう、……それがいい、君には当たり前の、真っ当な、幸福が、いいんだ……君は愛されているから。愛されていいのに」
海色は今ひかっているだろうか。わからない。たしかにちいさな呼吸を聞いて、息を吐く。
「君の為に結婚したなんて云ったら、君は、なんて云うかな……わからないや。これが正しいかどうかわからないな……人間関係は、やっぱりまだ、難しい。私、君を傷つけたくなくて――私のわがままだけれど」
くらやみにふたりぼっちで、本当は、もっと近づきたかった。
「私は茨の幸せを願っているよ。……大好きだよ、愛しているよ、たった一人の、かわいいかわいい私の茨」
シーツを撫でて、手が震えていることに気が付く。
「本当だよ……」
茨の呼吸が一定になっていた。きっと、もう、大丈夫。
「おやすみ、私のかみさま」
指先にキスをして、それを頬に触れさす。これが、永遠の証になればいいと、願ってやまない。
君の隣から、私は離れた。
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『神様すらも欺いて』
(210409)