ジェットコースターラブストーリー・2人は容易く変わると言っていたのは、果たして父だったか。その言葉通り、我が城から一年前に送り出した少女は、久しぶりに会うと随分と大人びていた。季節が一巡するだけの短い時の中で、よくもまぁここまで変わるものである。時に少女を花に例えるのも、なるほど言い得て妙だと思った。
容姿が変われば中身だって変化はあるだろう。一年ぶりの再会を果たした彼女は、私がロナルドくんを煽って死ぬという、ほとんど日常茶飯事の茶番を前に、激しく激昂したのであった。そうして私は今、彼女と共に事務所を出て、ジョンを抱えながら新横浜駅への道を歩いている。
あたりが賑わいだしたのを皮切りに、彼女は突然頭を抱えてしゃがみ込み、形容し難い呻き声を上げた。
「うぐわああああ、やってしまった…!」
彼女が言わんとするところは、確かめるまでもなく先程の強行だろう。
「おやヒナイチくん、正気に戻ったのかね」
「ううう、私はずっと正気だ……」
紳士かのように私の腰を抱いてエスコートするかの如くここまで歩いてきたことが、果たして正気のなせる技か気にかかったが、細かいところを逐一せっついていては話が進みそうにない。ひとまずしゃがみ込んだ彼女の背中を押し、往来の邪魔にならないよう道の端に寄る。彼女は立ち上がれそうにないようなので、ジョンを肩に乗せ彼女の顔を覗き込んだ。
「さて。君は私を娶ってどうする気だったんだい」
「し、幸せにするぞ、もちろん」
「あ、そこは揺らがないんだ」
大人びて見えたが、むくれた顔をすると途端に幼い。彼女はその細腕で軽々と二刀流を使いこなす豪腕であるが、姿形は愛くるしい少女だ。そんな少女が頬を恥じらうように赤らめてむくれられると、何故だかこちらまで気恥ずかしくなってきて、頬に熱が上る前に話題を変える。
「ロナルドくんに激昂した理由はなんなんだい。私が言うのもなんだが、あんなこと日常茶飯事だろうに」
ヒナイチくんが事務所の床下で暮らしていた頃から当たり前のことで、今さら怒るまでもない、と言外に伝えると、なぜだか彼女は仲間から置いてけぼりを食らったような、傷ついた面持ちをした。その表情の意味を問う前に、彼女は涙を隠すように顔を伏せてしまう。
「……ロナルドは何もわかっていないんだ。帰ってきて、おかえりと出迎えられることがどれほど有り難いものか」
「もしかしてホームシック?」
「違う!」
指摘すると彼女はすかさず顔を上げて否定したが、見る間に勢いは萎んで歯切れ悪く意見を翻す。
「違う、が、少しそうなのかもしれない。でも、本当に得難いものだと知っていたら、あんな風な暴力は振るえないと、そう思ってしまって……」
生真面目な気質の娘だと常々思っていたが、自分自身と向き合う時もそうであるらしい。どうせ誤魔化すのなら力任せに押し通して開き直って仕舞えばいいものを、実直に向き合って苦しみもがく。人の短い生がそうさせるのか、生まれついての吸血鬼にはわからない。
「まぁとにかく。君が疲弊して精神的に余裕がないのは察したよ」
「ぐ。そんなことは」
「強がりはよしたまえ。化粧で誤魔化しているようだが、顔色があまり良くない。そんな状態で生き血を差し出すなんて、もってのほかだ」
久しぶりの再会で彼女が大人びて見えたのも、少女らしからぬ疲弊した様子がそう見せていたのだろう。ほら立ってと彼女の腕を添える程度に支える。彼女は唇をきゅっと引き結び、もの言いたげな目で私を見上げたが大人しく立ち上がった。彼女が掻きむしって乱した髪を、軽く手櫛を通して整えてやると、懐に忍ばせていた歌詞を取り出す。
「お土産に持たせようと思ってたクッキーだ。食べたら少しは疲れも紛れるだろう。それを食べながら、今日は真っ直ぐ帰ろう」
彼女は言われるがまま、クッキーを包んでいた袋のリボンをのろのろと解く。そして中から一枚取り出し、頬張ると途端に愛嬌たっぷりの大きな瞳から大粒の涙を溢した。
「そうやっていつもお前は……えっちなお姉さんの包容力を…!」
「なんて?」
ガリガリだのクソ雑魚だのと様々な罵声を浴びせられてきたものだが、えっちなお姉さんは二百年以上生きていても言われたのは今が初めてだった。
「ヒナイチくん、君やはり何某かの幻術にかかってるんじゃあ」
「ロナルドがデスクの奥に隠していた漫画に描いてあった。よしよしされて優しく包み込まれてそれで、」
「あーもういいもういい。その手のことは君の口から聞きたくない。ジョン、君も小腹が減ったかい。ヒナイチくんからご相伴に預かろうか」
一言詫びて彼女が持つ袋からクッキーを一枚拝借する。そして腕に抱き直したジョンに一枚差し出すと、彼女は一層さめざめと泣いた。
「えっちなお姉さんもそんな感じで猫にご飯をあげていた……」
「細かいな。どんだけじっくり読み込んだんだ」
成人男性の家に少女を置いたらろくな影響を受けない。そのことを激しく痛感した。帰ったらその点についてロナルドくんを激しく糾弾してやろうと算段をつけつつ、彼女の目元を手袋で覆われた指で拭った。そして彼女の背をそっと押し、駅へと誘う。
「家まで送ろう。なんか今のヒナイチくんは、下半身露出した変態でもお菓子もらったらついていきそうで怖い……」
改札を抜け、電車を待つ。幸い、今の時刻だと新横浜から東京に出る人間は少ないようで、やってきた電車に乗り込むと中は広々として人は少なく、二人並んですんなりと座れた。
流れゆく景色を車窓からぼんやりと眺めていると、不意にマントの裾を握りしめられた。
「お前が私とここまで来てくれたということは、」
そう告げる彼女の大きな瞳は、いじらしいくらいに真剣で、そして必死だった。
「私を、選んでくれたと思って間違いないか…?」
もういくらかその瞳をしみじみと眺めていたいのに、彼女は自分が口にした言葉の重みに耐えかねた風に顔を徐々に伏せてしまう。
「もう、あんなところに帰らないで欲しいんだ……」
密かに彼女と彼を天秤にかける。彼女の元に転がり込むのも、きっとそれなりに面白おかしい日々が約束されているだろう。知らず笑みが溢れる。
「どうしたものかねぇ。あれほど刺激的で面白い男を、私は他に知らないものだから」
彼女は悲痛な面持ちで、とうとう顔を小さな両手で覆ってしまった。
「魔性のお姉さんムーブだ……」
「おい今日の君、すっごいやりづらいぞ」
当然のことながらこの二百年、ついぞお姉さんなどと言われたことがなかった。だというのになぜ身近な女性から想いを寄せられた挙句、えっちなお姉さんだなんだと言われなければならないのか。
情緒不安定なヒナイチくんを連れ、半刻かけて東京へ戻る。彼女の家は、閑静なマンションだった。幹部候補生ともなると住まいも寮ではなくなるらしい。しかし瀟洒な外観に反し、彼女の部屋は家具が乏しく無機質な部屋だった。
「綾波レイの部屋か?」
思わずそんな感想が口を突いて出るほどである。
「可愛くなくて悪かったな」
「いやそういう嫌味が言いたいのではなくてだね」
かつての彼女の住まいは、細々としたものが置かれて年頃の少女らしい部屋だったように思う。あれらは引越しの際に、ことごとく捨ててしまったのだろうか。
ひとまず彼女を休ませるべく、風呂を進める。ジョンを腕から床へ下ろすと、彼女に何か食べさせるためにひとまず冷蔵庫を開けたが、中に所狭しと入っていたのはエナジードリンクの類で悲鳴を上げそうになった。まともな食材はどこを開けてもない。エナジードリンクがいつストロングゼロに変わってもおかしくないように思われた。
料理は諦め、スマートフォンを取り出す。時刻はとうに今日が昨日に変わっていたが、電話をかけると数コールもせずにロナルドくんは出た。彼も私が電話をするのは予想していたようで、彼は電話に出て早々、で?と切り出した。
「あれは相当参ってるねぇ……」
思わずため息まじりになるというものである。
『あいつ、なんかあったのか』
「具体的には聞きはしなかったが。あの歳で本部への出世だ、重圧は想像に難くない」
『そんなやべーのか』
「どれくらいやべーのかというと、私のことをえっちなお姉さんだなんだと言いながらさめざめと泣くぐらいだ」
『どういう精神状態になったらそんなこと口走んの?』
「精神鑑定してみたいが結果が怖い。全く、娘ができたらこんな感じなのかな」
『どの口が娘っつってんだ』
「もちろん私の高貴な口がだ、と言い返したいところだが。こんな心労を皆さんしているのかと思うと、世の親御さんには頭が下がる思いだよ。便りがないのは元気な証拠だなんて高を括らず、もっと様子を伺えば良かったなぁ。少女の皮を被ったクッキーモンスターなんだから、菓子を手土産にすれば鬱陶しがられることもなかっただろうに。彼女の不調だってもっと早く気づけた」
『誰目線だよ』
「私だってとうに二百を越えているんだ。あれくらいの年頃の娘、いたっておかしくないだろう」
『それ言うなら孫の孫だろ』
「ゴリラではまた違うのかもしれないが、孫の孫を総じて玄孫と呼ぶのだよ」
通話口の向こうでロナルドくんは反射で何かを言い返そうと息を吸う気配がしたが、私がなんやかんやそれなりの真剣さで憂いているのを珍しく察したのか、一呼吸の間の後そうだなと応じた。
『メシでもいいから、とりあえず誘えば良かったな』
「東京へ栄転するんだからさぞ忙しいだろうと思って、らしくもなく気を使っちゃってたねぇ、私ら」
『しっかしなんか妙な感動があんな。猥談語彙無さすぎてちんちんばっか言ってたやつが、えっちなお姉さんとか言い出すなんてよ。俺も年取るわけだぜ』
しんみりしたところで辛辣に言い返してやる。
「だがその点については君にも責任がある。何せ彼女がその概念を獲得したのは君の秘蔵品が原因らしいからな」
そう告げてやると電話の向こうから新発見の怪鳥のような鳴き声が響き渡った。
「まぁそういう訳だ。しばらく彼女の家で住み込み家政婦やるから、君は君でどうにか生活したまえ。くれぐれも、私のキッチンを破壊してくれるなよ」
『だぁーれのキッチンだ! 俺んちのキッチンだわ!』
フツーに使うわ!と啖呵を切ってくれたが、私の記憶が正しければ私があの事務所に転がり込むまでろくに使われた形跡のないキッチンだった。しかしそれを指摘するには彼女はもう風呂を出たらしい。私に帰らないでくれと言う手前、こうして電話するのもいい気分にはしないだろう。
「それじゃあロナルドくん、良い夜を」
別れの返事は待たずに通話を切る。ややあって脱衣所から出てきた彼女の訝しげな顔に、私は笑って返した。