ジェットコースターラブストーリー 何故、殺したのかもう覚えていない。
この書き出しだけ見れば、誰もがシリアルキラーの手記だと思い込むだろう。我ながらサイコパスな文面であるが、実際にそういう生活をオレは送っているのだ。些細なことですぐ死ぬ吸血鬼と同居していれば。
何しろこの吸血鬼ドラルク、退治人である俺がわざわざ手を下さずとも勝手に死ぬのだ。足の小指を角にぶつけたとか、寝ながらスマートフォンをいじっていてうっかり顔の上に落としただとか、そうした些細なことで簡単に灰となる。もはや近頃では俺が手を振りかざしただけでその風圧で死んでいる気がする。これだけ容易く死ぬくせに、復活が早いからかドラルクはことあるごとに俺の気を逆撫でする。斬新な自殺と言い表してもおかしくないだろう。
それが年がら年中、四六時中行われるものだから、とっさに何故殺したのか覚えてない瞬間だって出てくる。それくらい当たり前のことだった。
だから帰ってきたヒナイチに、再会を喜ぶより先に怒鳴られて混乱した。
「何故ドラルクを殺した、ロナルド!」
ヒナイチは、一年前に昇進のため事務所の床下から出て行った。吸血鬼対策本部の幹部にもなろうという奴が、いつまでも床下に住み着いていたら問題だろう。勝手に光熱費を使われていた俺としてはヒナイチの栄転は願ってもない話だったし、ヒナイチにしたって今後を考えれば悪い話ではなかった。だからヒナイチが床下を退去する日はドラルクが腕によりをかけてご馳走を用意し、俺からも花束を送った。ヒナイチも喜んでいたと思う。
それから一年。久しぶりに顔を出したと思えば、今更過ぎることを指摘された。面食らったのは何も俺だけではない。今まさに拳を顔に喰らう寸前で灰と化したドラルクも、端端から灰をサラサラとこぼしながら元の人の形に戻ったその顔は、目をまん丸にしてヒナイチを凝視している。
「え、彼女どうしちゃった?」
「知るかボケ。お前がなんかやったんじゃねぇのかよ」
「彼女東京行っちゃったから、ここ最近特に餌付けできてないし……。ハッ、もしや私のチャームが目覚め、」
この後ドラルクが言うことはおおよそ予想がつくから、ドラルクがふざけたことをぬかす前に裏拳を顔に叩きつけた。もはやお決まりの流れである。ドラルクの灰の山に縋って泣くのはアルマジロのジョンだけで、ヒナイチだって見慣れたはずの光景だ。だというのに、罪もない一般市民が圧倒的な暴力に晒されるのを目撃したかのように、ヒナイチは激昂した。
「もう我慢ならん! 口でたしなめればいいものを、すぐ手を出しおって……ドメスティックバイオレンスも大概にしろ!」
「はい!?」
「まだ手を出すというのなら、警視庁本部吸血鬼対策課の権限を持って貴様を逮捕する!」
「待った! 話せばわかる!」
足元でドラルクがサラサラと音を立てて戻りながら呟く。
「おお……ノータイム国家権力行使……」
「感心してる場合か、釈明しろ!」
「えー、でも暴力振るわれてるのは確かだし」
「言ってお前殴られる前に死んでんだろーが!」
「痛くないだろってこと主張したいんだろうけど、字面が最悪だ。ヒナイチくん、調書取りたまえよ調書」
「テンメェェェ楽しんでんじゃねぇぇぇぇ」
頭を鷲掴みにして握り潰し、二度とふざけた口を聞けないようにしようと思ったら、その前にヒナイチがドラるくの肩を掴んだ。その勢いでドラルクは体の端々が軽く灰になったが、ヒナイチは構わず捲し立てた。
「ここを出よう、ドラルク。お前はここにいてはいけない…!」
「ひ、ヒナイチくん?」
部外者気取りで楽しむ気満々だった吸血鬼の目が、ヒナイチのただならぬ様子に露骨に目が泳いだ。助けを求める視線が流れ着いたがテメェでどうにかしろとメンチを切る。ドラルクは元々さして俺をあてにはしていなかったのか、早々に視線をヒナイチに戻すとお手上げとばかり両手を小さくハンズアップしつつうめいた。
「お気遣いは有り難いのだが、あいにく他に行くアテがないもので……」
ドラルクがここへ転がり込んだ時の決まり文句である。そうなら大人しくしてろと口の中で毒付く間に、ヒナイチが力強い眼差しで返した。
「ならば私の元に来ればいい」
「なんて?」
「幸せにするぞ、ドラルク」
「はいぃ?」
ドラルクは素っ頓狂な声を上げ、俺は目を剥き、ジョンは混乱のあまり丸まって床の上を転げ回った。ドラルクはいよいよ追い詰められた面持ちで涙目になりながら俺に向かって情けない声を上げる。
「ろ、ロナルドくん〜。私プロポーズされてるようなんだが…!?」
「し……幸せになれよ……!?」
「あっさり私の門出を祝福してくれるな! いやそうじゃない、これ明らかヒナイチくん幻術かかってるだろ!」
この近くに幻術を使う吸血鬼がいるはずだ、早く捕まえろと叫ぶドラルクに、言われてみればそれもそうだとジョンと共にワタワタと床下を開けたり天井裏を確認したり、窓から身を乗り出して辺りを見渡す。しかしいくら探せどそれらしき吸血鬼の姿は見えず、しかもヒナイチ自らはっきりと言い切る。
「私は正気だドラルク」
「嘘でしょう、私が言うのもなんだがガリガリの二百歳オーバーのおじさんだよ!?」
君には前途ある若者が相応しい、とドラルクが食い下がるのを遮るようにヒナイチは続けた。
「金は私が稼ぐ。どう使ってもらっても構わない」
「いやもうこれ絶対後で私の預金口座から全額抜かれる展開」
「お前が望むのなら、私の生き血も捧げよう」
必死にヒナイチを説得しようとしていたドラルクだったが、この一言に呆気なく陥落した。
「それはいいなぁ……」
そしてヒナイチはドラルクのその返事を了承として受けとった。俺へキッと鋭い視線を向けると、そういうことだ、と挑発的に告げて、ドラルクの腰に手を添え踵を返す。
「え、えーとそういうわけだからロナルドくん、とりあえず今日の夕飯は冷蔵庫にあるものチンして食べてね」
「あっ待て、ジョンだけは置いてけ!」
しかし俺の叫びも虚しく、ジョンは後ろ髪引かれた様子もなくドラルクの腕に飛び込むと、ヌーと愛らしく鳴いてドラルクの腕の中から手を振った。
「ジョォーーーン…!」
声は虚しく閉じられた扉に遮られる。途端に事務所内は静かになった。ヒナイチが事務所を訪れてから一時間も経っていないはずだというのに、妙に疲れた。デスクの椅子にどっかりと座り込み、久しぶりにタバコに火をつける。
「なんだったんだ一体……」
独りごちるも答えてくれる者はいない。窓の外を見るとドラルクとヒナイチが夜道を歩く後ろ姿が見えた。二人の姿が駅の方へ消えるのを頬杖をついて眺め、苦悶する。俺はあの二人に結婚祝いなるものを送るべきなのだろうか。