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    あきしの

    @katsumoku

    SS新書メーカー様などをお借りしてTwitterで投げていた短い文章たちの置き場です

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    あきしの

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    官隆(せんむそ4ベース)
    仕事の名目で海上デートするふたり

    海の上に立っている 喩えるならば、鳥が海へと落とした橘の実だ。
     金茶の袖が潮風にはためくのを器用に捌きつつ、濃紺の袴を軽やかに膨らませ、床板を軋ませて船の欄干に降り立ったその動き。
     甘やかな顔付きと平素の書生じみた様からは似合わない、隆景の躊躇いがなく勢いがある着地を陸より眺めながら、官兵衛は彼には珍しく心中でそのように詩的に形容した。
     雲をすっかり取り払った空、その青を写し取り凝縮させた海。
     それらを背にすると、ややくすんだ金の髪は鮮やかに彼の姿を切り取って強調する。
     本の虫を公言して憚らず、政の場以外では穏やかな青年といった体の彼の姿が海の上ではこうも存在感が増すのは、おそらくは卓越した水軍の指揮官としてのあり方故だろう。
    「官兵衛殿、板を掛けますから、今しばらくお待ちを!」
     平素よりやや声を張り上げる隆景を見下ろしかるく頷きつつ、頬に感じた痛みにやや眉を顰める。
     傷んで灰がかった肌に潮風が滲みるせいだ。真麻の布で顔を隠せばいくらかましではあろうが、ただでさえ怪訝そうな顔でこちらを伺う兵らへ更に不審感を持たせるわけにもいかない。ここは小早川水軍の中なのだ。
     隆景の指示で屈強な兵たちが板を運び、陸から船へと掛ける。それを渡ると隆景が手を伸ばすので、それを素直に黒手袋に包まれた指で掴んで着地した。濡れた欄干の床で水溜りが跳ね黒袴に滲みを作ったが、熱を持つ風がすぐに乾かしていく。ともあれ、帰る頃には袴が塩で白くなるのは否めないだろう。
    「ようこそ、毛利水軍の誇る船へ」
     小早川水軍、と言わないところが輝元を立てる姿勢を崩さない彼らしい。船の揺れが落ち着いたところで、甲板のほうへと官兵衛を誘った。
    「こちらは秀吉殿の軍師、黒田官兵衛殿です。小田原の戦の合議のためにお越しいただきました」
     隆景の声に、めいめいに作業していた男たちがぴたりと手を止めた。ややあって、そのうちのひとりがこちらへ進んで口を開く。「あぁ、俺ァてっきり若様が寿命でおっ死んでもうて、そこのいなげな御坊が経を上げに来ちゃったんかと」
     男はそう言ってにやにやと笑ったが、それは単なる下卑た笑いというよりは昔馴染みの年長者を揶揄うような、親しみの中に程よく敬意を混ぜた器用な下品さのある笑みだった。
     そして隆景の方も余裕の笑みで、あっさりとその複雑さを解体してみせる。
    「若様呼ばわりしたかと思えば幽霊扱いとは。冗談に一貫性がありませんね」
     すると海の男たちは波音に被さるようにどっと笑って、そうじゃ、ほうよ、と囃し立てる。燦々と降りかかる太陽に灼かれ、潮風に磨かれた肌はどの男も赤く黒く色を変え、広い肩がつやつやと輝いていた。
    「どっちゃ言うたら、そっちの御坊のほうが妖めいていびせえわ」
    「なんの、若様も妖じゃ。わしよりうんと年上じゃのに、わしの倅とおんなじくらいの顔をしとるんじゃけ」
     同じ光と風を浴びながら、その男たちの中で隆景は白い頬を白いまま、官兵衛の方は灰色の頬を灰色のままにして佇んでいる。確かに彼らにとっては、己らは正しく妖のようなものだろう。
    「あまり客人を揶揄わないでください。さぁ、持ち場に戻って」
     そう告げて元のように男たちを散らすと、隆景はふぅと息を吐いた。そうしてこちらを見上げ、かるく微笑む。「失礼をいたしました。でも、これだけでも充分に分かっていただけたかと」
    「何をだ」
    「彼らは彼らの流儀があります。海上の流儀というものが」
     隆景は波に揺られる甲板を歩く。官兵衛もそれに続いた。揺れ幅は大きくはないが、それでも上体を崩さないでいることに苦心する。隆景は平原を歩くように進んで、それからふと足を止め、こちらを振り返った。
    「海というものはひとつの脅威であり、同じ船に乗る者はそれに立ち向かわなければならず、その為には同志であらねばならない」
     吹き付ける潮風に金の髪が遊ばれて、その隙間から瞳が覗く。
    「秀吉殿が、この先何か大きな志を果たそうとなさるとして──」
     隆景の声に呼応するように、船が大きく揺れる。
    「そのための手段として私たちをお使いになるならば、ゆめゆめお忘れなきようお願いしたいのです」
    「海にならぬようにと?」
    「ええ、海にならぬようにと」
     ちゃぷ、と小さな波が砕ける音が少なくなって、船の揺れが収まる。
     その最中に隆景の隣まで歩み寄ると、彼は乱れた髪の流れだけを手櫛で間に合わせるように整えて自嘲した。
    「いけませんね、気を張ると政の話ばかり……」
     どうにも、私的な関係の構築というものが不得手で、と誤魔化すように前に垂れた髪の一房を払う。
     隆景の整いきれていない髪を見下ろしながら、官兵衛は考える。
     秀吉はあわよくばどこかから水軍をそっくりと奪えないかと考えている。奪うというのは聞こえが悪いが、つまり優秀な乗り手を借りるという名目で集め、兵を教育させ、あわよくばそのまま中央の軍として留め置きたいという寸法だ。
     その狙いはどこにあるのか。
     小田原ではない。秀吉はもはや小田原を見ていない。
     その目は遥か西、その海の向こうを捉えようとしている。
     隆景はその遠いようで近い野心を正しく見抜き、正しく牽制している。
    「本当は、友に私の自慢の船と仲間を自慢したいという、その一心なのですが」
     水面は光の砂を撒いたように不規則に光り、時折魚が跳ねる音がする。
    「……海の話を」
    「……え?」
     怪訝げに顔を上げた彼と瞳がぶつかったが、四つの眼球は波のようには砕けない。
    「政は陸での話。海の上ならば、卿の話を聞くのがよいだろう」
     するとしばらく彼はゆっくりと瞬きしていたが、たちまち頬は水面のようにぱっと明るくなり、では、その、と辿々しく切り出す。
    「では……では。私は船の上に立つたびに、先人たちの詠んだ歌を思い出すのです。『海人小舟 帆かも張れると見るまでに 鞆の浦廻に波立てり見ゆ』という歌があるのですが、ほら、あそこに……」
     言うや否や隆景は甲板の先に駆け、白い手で海の先を指す。
    「ちらちらと漁船が見えるでしょう。早朝はもっと多いのです。その光景を知っていると、まさに鞆の浦の海は歌の通り、白い帆がたくさんはためくかのように水面が真っ白に波立って」
     日に灼かれたせいで痛む肌は捨て置いて、隆景の元へと慎重に歩む。揺れで身体を崩さないように、彼の心を崩さないように。
     頭上では橘の実を咥えてはいない鳥が旋回し、時折騒ぐように鳴く。政の話を放り出したふたりを咎めるように。
     それに無視をくれて、官兵衛は隣りの隆景の白い頬を眺める。どれだけ船の上にいても白いままのはずだったその肌が、うっすらと赤くなっていくその肌を。
     それを太陽のせいだと勘違いしたまま、揺れる甲板で知らない歌の話を聞いていた。
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