ロイエの影には大体ミッタマが背後霊彼氏面してる 帝都オーディンの冬の昼下がりは、青白い光が街路に射し込みながらも、どこか冷え冷えとした静けさを纏っていた。
重厚な扉を背に、オスカー・フォン・ロイエンタールは元帥府を出る。軍服を脱ぎ、深い紺の外套に身を包んだ姿は、ただ昼食へ向かう私的な外出に過ぎぬはずだった。
だが、彼の存在は否応なく人の目を惹きつける。整った容貌と鋭い気配、そして何より——右の瞳は深い黒、左の瞳は透徹した青。相反する二色が同居するその双眸は、金銀妖艶と形容され、見る者に忘れ得ぬ印象を刻む。
昼食を軽く済ませるつもりで、大通りへ足を向けた矢先だった。
「ねえ、そこのあなた」
華やかな声に呼び止められる。振り返れば、二人の若い女性が立っていた。上品な服に身を包み、興味と下心を隠しきれぬ眼差しを彼へ注いでいる。
「おひとりで? よければ、ご一緒にどうかしら」
「ねえ、そんなに急がないで。偶然の出会いを大事にしたいの」
ロイエンタールは一瞬、肩をすくめた。こうした場面は決して珍しくない。
冷ややかな微笑を口元に浮かべ、丁寧な声で答える。
「ご厚意はありがたいのですが、予定がありますので」
しかし彼女らは簡単には退かない。
「その瞳、とても美しいわ……吸い込まれそう」
「立っているだけで絵になるわね。ほんの少しだけでいいから」
彼は二度、三度と繰り返し断る。態度は終始柔らかく、決して無礼ではなかった。やがて女性たちは小さくため息をつき、残念そうに笑みを残す。
「そう……仕方ないわね」
「でも無理に引き止めるのは野暮だもの。また会えるといいわ」
そう言い残し、彼女たちは機嫌よく立ち去っていった。
ロイエンタールは心中で安堵し、歩を進める。だがその直後——。
「失礼、少しお時間を」
今度は男の声だった。
振り返れば、三十前後の男が立っていた。服装は整っており、口調も丁寧。困りごとでもあるのかと思わせた。
「お困りですか?」とロイエンタールは耳を傾けかけた。
しかしすぐに気づく。相手の視線は誠実を装いながら、どこか粘ついた色を帯びていた。
「あなたのような方と食事をご一緒できたら……どれほど光栄か」
吐き出される言葉に潜む下心は明白だった。
ロイエンタールは冷たい沈黙を纏い、眉を寄せる。ここが元帥府の正門前でなければ、一喝して追い払っていたに違いない。しかし軽率な騒ぎは避けたい。鋭い舌を封じ、ただ耐えようとした。
その刹那——。
「失礼」
鋭くも落ち着いた声が割り込んだ。
灰色の外套を纏い、迷いなく歩み寄る姿。ヴォルフガング・ミッターマイヤー。
疾風の異名を持つ若き元帥は、ためらいなくロイエンタールの腰を抱き寄せ、毅然と告げる。
「この人は俺の大切な人だ」
その一言に、男は青ざめ、言い訳を口にする間もなく退散していった。
静けさが戻ると同時に、ロイエンタールは深く息を吐いた。
「……助かった」
低く呟くと、ミッターマイヤーは腕を離し、少し照れくさそうに笑う。
「悪かったな。大げさだったろう? でも、ああでもしなきゃ引かなそうで」
返す言葉を探すうちに、頬に熱が広がる。氷のように冷徹であるはずの己が、たった一言に乱されるとは。
「……おまえは直情的だ」
「照れてるのか」
「馬鹿を言うな」
「いや、照れてるな」
「黙れ」
短いやり取りの裏に、戦場では決して生まれぬ柔らかさが滲んだ。
◆
二人はそのまま昼食へ向かい、小さな料理店に腰を落ち着けた。
温かな香りの漂う店内。質素ながら清潔な卓上に料理が並ぶ。
料理店の小窓からは、帝都の冬空が白く霞んで見えていた。
テーブルに並んだ料理は質素ながら温かい。香ばしい肉の煮込みと黒パン、軽い葡萄酒。戦場での食事に比べれば、どれほど贅沢か。
だが、ロイエンタールはフォークを持つ手を僅かに硬直させていた。
普段なら軽口の一つも飛ばして場を制すところだが、今はどうにも調子が狂う。頬にまだ赤みを残し、目線を合わせることさえぎこちない。
「……味は悪くないな」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
ミッターマイヤーは笑いを噛み殺す。
「それだけか? 珍しいな。おまえが店の雰囲気やら客筋やら、余計な観察を口にしないなんて」
「……黙って食え」
「はは。やっぱり照れてるだろ」
「照れてなどいない」
返答は即座だが、声の張りが普段よりわずかに弱い。
葡萄酒を口にしながら、ミッターマイヤーは観察する。
戦場では一歩も退かぬ男が、今は言葉少なに赤らむばかり。その落差が、彼にはどうしようもなく愛おしい。
料理を平らげ、甘い菓子と香り高いコーヒーが運ばれる。
ミッターマイヤーが軽く杯を掲げると、ロイエンタールは一拍遅れて応じる。
「戦場より落ち着かないな」
「昼食がか?」
「……いや」
言葉を濁した彼の視線は、窓外の空へ逸れていた。
その様子にミッターマイヤーはますます笑みを深める。
「なるほど。やっぱり俺のせいで照れてるんだな」
「くどい」
「いいだろ。そういう卿を見る機会なんて、滅多にない」
その後も談笑は続いたが、最後までロイエンタールの切れ味は戻らなかった。むしろ沈黙や視線の逸らし方の方が多く、彼が平静を装おうとすればするほど、内心の乱れが透けて見えた。
ミッターマイヤーは心の中で繰り返す——やはり、可愛い。
◆
食後、二人は並んで元帥府へと戻る道を歩いていた。
昼下がりの帝都は人通りも多い。時折向けられる視線を、ロイエンタールは無意識に避けるように歩みを速める。
だが元帥府の建物が見え始めた時、ふいにミッターマイヤーが彼の腕を掴んだ。
「……何だ」
不審に眉をひそめるロイエンタール。即座に警戒が頭をよぎる。
「また声をかけそうな者でもいたのか?」
しかしミッターマイヤーは首を振り、彼を裏路地へと引き込んだ。人影の少ない静かな一角。
「いや、違う」
「ならば何の真似だ」
灰色の瞳が、黒と青の双眸を正面から射抜いた。
「……そのように照れを引きずる卿も珍しくて可愛いが、元帥府の他の連中に見せるのは勿体ない」
ロイエンタールは息を詰まらせた。言葉を返そうとするも、咄嗟に出たのは「馬鹿を言うな」という常套句だけだ。
次の瞬間、不意を突かれた。
ミッターマイヤーの顔が近づき、軽く唇が触れた。
ほんの一瞬。だが確かに、心臓を撃ち抜かれるような熱が走った。
「……っ!」
ロイエンタールは目を見開き、言葉を失った。
「な、何を考えている」
「逆効果だったか?」
悪びれぬ笑み。
頬はさらに紅潮し、視線は定まらない。
「これでは元帥府に戻れぬ……どんな顔をすればいい」
「気にするな。堂々としていればいい」
「堂々としていられるか!」
声を荒げつつも、彼の反応は怒りよりも困惑に満ちていた。
ミッターマイヤーは意に介さぬように肩を竦める。
「まあ、俺としては卿がどんな顔で戻ろうと構わんよ。ただ、可愛い顔は俺だけが知っていれば十分だ」
「……おまえというやつは」
ロイエンタールは額に手を当て、溜息を吐いた。
だがその吐息の奥に、かすかな笑みが混じるのをミッターマイヤーは見逃さなかった。
二人は再び歩き出す。
帝国の双璧が並んで元帥府に戻っていく姿は、誰の目にも威風堂々と映った。
ただ、その片翼の胸中には、まだ消えぬ熱と戸惑いが渦巻いていたのだった。