お互い無意識に主導権決まってるミタロイ テーブルの上には、軍務省から回ってきた演習計画の草案が幾つも重ねられていた。静けさの中、薄い紙の擦れる音と、時折グラスに注いだ水が喉を通る音だけが響く。
俺――ウォルフガング・ミッターマイヤーは、かつてから幾度も繰り返してきたように、隣に座る友を相手に作戦案を検討していた。
「この規模の演習なら、補給のシミュレーションをもっと細かくしておいた方がいいな。兵站の遅滞は、そのまま部隊運用の遅れになる」
「……ふむ。確かに卿の言う通りだ。ここでは兵站線を二重に引いておくのが良いだろう。片方が潰れても即応できる」
ロイエンタールは、落ち着いた声で答える。視線は終始、手元の書類に注がれていた。きっちりと整えられた制服の襟元、整然とした立ち居振る舞い、その全てが彼の端麗な容貌をさらに際立たせていた。
まるで作られた彫像のように整った横顔を、俺はつい長く見つめてしまう。
――やはり、見惚れるほどに良い顔をしている。
何度となく戦場で背を預け、同じ机を囲み、酒を飲み交わしてきた相手だ。今さら顔立ちに感嘆するなど、馬鹿げているはずだった。だが、冷静に書類へ没頭しているその姿を見ていると、胸の奥に説明のつかぬ衝動が芽生えていた。
俺の方を、見てほしい。
ただそれだけの、愚かしい欲求だった。
次の瞬間、理性を追い越して身体が動いていた。俺はロイエンタールの顎を掴み、強引に自分の方へと顔を向けさせる。驚きに見開かれた――右は深い黒、左は冴えた青、異なる色を宿す金銀妖瞳。その視線を見た瞬間、衝動は形を得た。迷いなく唇を重ねる。
「……っ!」
ロイエンタールの肩が震えた。予想通り、すぐに腕で俺の胸を押し返そうとする。だが、その抵抗がかえって俺を苛立たせた。なぜ拒む。なぜ視線を逸らす。俺を見ろ――そんな理不尽な感情が膨らみ、唇を離すどころか、さらに深く口づけを押し込んだ。
僅かな隙間を縫って舌を滑り込ませれば、ロイエンタールの喉からくぐもった声が漏れる。抵抗の力は次第に弱まり、腕も中途半端に宙に浮いたまま震えていた。俺はその声音に満足しつつ、ようやく唇を離す。
荒い吐息と共に、睨みつけるような視線が返ってきた。
黒と青、左右に異なる瞳は潤み、長い睫毛の影がわずかに震えている。涙を帯びたようなその目は、怒りに満ちているはずなのに、俺にとっては可笑しいほど愛らしく見えた。
――可愛いな。どれだけ睨まれようが、俺を挑発するだけにしかならん。
俺が思わず口元を緩めると、ロイエンタールは小さく息を呑み、声を絞り出すように言った。
「……っ、お前……ここをどこだと思ってるんだ……」
その言葉に、俺はようやく周囲を思い出した。
互いに軍務の合間を縫って集まったのは、帝都でも名の知れた高級料理店。確かに半個室で人目は少ないが、完全な密室ではない。廊下の向こうには給仕が出入りし、同じ階の別室では他の将校が晩餐を楽しんでいるはずだ。
――よりにもよって、こんな場所で。
思えば俺は、いつも衝動に駆られると抑えが効かなくなる。戦場でならまだしも、こんな場でまでそれをやらかすとは。だが後悔よりも先に、どうしようもなく込み上げてくるのは、目の前の友の表情だった。
「卿が悪いんだ」
「は……?」
「そんな顔で黙々と書類なんか見ているから。俺の目が離せなくなる」
吐き捨てるように言っても、我ながら言い訳にしか聞こえなかった。ロイエンタールはまだ額に皺を寄せ、怒りと困惑の狭間に立たされている。その視線を正面から受け止めながら、俺は笑ってみせた。
「怒るなよ。別に、今すぐ続きに及ぶつもりはない」
「……お前な」
ロイエンタールはため息を吐き、グラスの水を一口飲んだ。手がわずかに震えているのを、俺は見逃さなかった。普段どんな場でも冷静沈着なこの男が、こうして乱されるのは稀有だ。
その事実が、俺の胸を妙に満たしていく。
俺は口を開く。
「そんな顔をされると、またしたくなる」
「やめろ」
「やめられると思うか?」
「……!」
ロイエンタールは言葉を詰まらせ、視線を逸らした。耳の端が僅かに赤く染まっているのが見える。怒りと羞恥の入り混じったその反応に、俺はさらに追い込みをかけたくなった。
「戦場では俺の無茶を笑って受け止める卿が、こういう場では顔を赤くして狼狽える。可笑しいと思わないか?」
「……卿は、どうしてそうやって……」
「俺だからだ。卿だからだ」
言葉が熱を帯びていく。
ロイエンタールは唇を噛み、こちらを睨みつけてきたが、もはやその睨みも俺にとっては挑発の種に過ぎない。
「卿が俺のことをどう思っているか、聞いてもいいか?」
「今ここで答えられるか」
「なら、あとで答えてくれ。……いや、逃げるなよ」
挑むように告げると、ロイエンタールはしばし沈黙し、やがてわずかに目を伏せた。その仕草がまた俺の胸を掻き乱す。
紙の上でペンを走らせる音が、再び部屋に戻る。だが互いに意識の一部をどこかへ奪われたまま、作業は進むようで進まない。
俺は正面の書類を見ながらも、視界の端でロイエンタールの横顔を追っていた。
――もう少しで、また手を伸ばしてしまう。
危うい衝動を抱えながら、俺は喉の奥で小さく笑った。
怒ろうと、睨もうと、拒もうと。お前は俺にとって、かけがえのないものなのだ。