「お前の事だ。ろくに進路など考えてはいるまい。卒業後は、俺の元で働くが良い」
いつもの様に何処から滲み出るのか解らない自信で頼城紫暮が言い放つ。その言葉半ばで矢後勇成はくるりと踵を返した。
「無視する気か? 不良。全く予想通りの反応だな。だが、昼寝はし放題で、仕事内容は強い奴と戦う事。と聞けばいくらお前でも……」
さっさと立ち去ろうとしていた勇成の足が止まる。肩越しに振り返ったその表情を見て紫暮はやれやれと息を吐く。
「……話しを聞く気になった様だな」
勇成に与えられた肩書は、紫暮のボディガードだった。そもそも紫暮にボディガードなど不要にも思えるが、即座に対応出来ない場合も多いのだと、簡単に説明された。
詳しく説明されたところで、どうせ聞く気は無いのだからそれで十分だ。紫暮が手に余る相手と闘れるなら面白い。
公約通り、紫暮は勇成の昼寝に関しては何も言わなかった。紫暮が勇成に提示した条件はひとつだけ、月に一度の検診を受ける事。担当医は斎木巡。
医者は大嫌いだが、月一度顔見知りに会う程度なら許容範囲だと勇成は承諾した。
後に出勤日に遅刻無く出社するのは条件に無かったと主張する勇成と、社会人として最低限の常識だと主張する紫暮の間でバトルに発展するのだが、結局、勇成の主張はかつての後輩達にまで賛同を得られず、勇成は渋々ながらシフト通り出社している。
今日も副社長室では、紫暮が次々に舞い込む書類や電話を捌いていく。何が楽しいのか勇成にはさっぱりだが、あの小うるさい男が幾分静かになるのはありがたい。
いつもの様に隣室で愛用のバンダナをアイマスクがわりに引き下ろそうとした手が止まる。誰かが副社長室の扉を叩いた。
「副社長。僭越ですが、お話したいことがございます」
豪奢でムダに大きな扉をくぐって現れた男は、部屋の主をまっすぐに見てそういった。彼の皺一つ無いスーツの襟には、栄光ある頼城グループ警備部のバッジが輝いている。
警備部に所属している人間にしては線の細い男だが、小綺麗な顔はいつもニコリともしない仏頂面で、性格も超が付く程に生真面目とくれば、一応同じ警備部に所属しているとはいえ勇成と馬が合う訳がない。
紫暮は物言いたげな川部の顔をみて、楽しそうに笑った。
「お前がそんな顔をするのは矢後の事だろう?」
紫暮の言葉に川部が意気込む。副社長の豪奢なデスクに身を乗り出す様にして主張し始めた。
「何故、あの男をお側に置くのですか! 二言目には『面倒臭ぇ』と仕事もろくにしないじゃ有りませんか。あの男は副社長を守る気なんか有りません!」
「俺も奴に守って貰う気は無いさ。気にするな。あの男に書類仕事をさせれば、余計な手間が掛かるだけで誰の得にもならんだろう」
そこまで言って、紫暮は可笑しそうに喉の奥で笑った。
「それにしても、先ほどのは奴の口真似か? 存外似ていて驚いたぞ」
「お揶揄いにならないでください。あの様な役立たずの男を副社長がお取り立てになる理由が解りません。私がこうして直接申し上げているのは、影で口さがないことを噂する者も居るからです。どうか今一度お考え直し下さい」
部下の主張を笑顔で受け止め、紫暮はおもむろにうなずいた。
「まずはお前の忠義に礼を言おう。お前の様に言い難い事を直接言ってくれる部下は得難い人材だと思っているよ。ありがとう」
しっかりと目をみて紫暮は部下に頭をさげる。川部はやや慌てて紫暮に「顔を上げ下さい」と頼み込んだ。
ドア一枚隔て向こうから聞こえてくる会話に、勇成は我関せずだ。紫暮が自分を雇っている理由には興味が無いと言えば嘘になるかもしれないが、特段聞きたい訳でも無い。
「川部……」
紫暮の張りのある声が続く。
「俺があの男を雇っているのは単に社会貢献のボランティアだと言える。考えてもみろ、あの男に他の仕事が務まると思うか? あの様な男を野放しにすれば、俺が愛する大切な市民が迷惑をする。だが手元に置いておけば、それを未然に防げるだけでなく、あの男でも社会の役に立てるというものだろう?」
「仰ることは解ります。ですが、なぜ副社長がそれを為さねばならないのかが、私には解りません」
拗ねた様な部下の言葉に紫暮は破顔して見せる。
「誰かが為さねばならぬ時、その誰かが不在であればそれは頼城紫暮が為す。至極当然な事だろう」
「副社長……」
紫暮の演説は部下の心を掴む。元々、紫暮に傾倒していた川部などはちょろいものだ。
「今この時期にお前があの男について苦言を呈してくれた理由も解っているよ。ハーロウグループとの競合の件だろう?」
「……ご明察です。副社長の周囲も不穏な緊張が高まっています」
「良いじゃないか。奴らがどう出ようと我がライジョーグループは揺るがんよ。強行手段に出るとゆうならこちらも受けて立つだけの事。それに…… こうゆう時こそあいつの出番でな」
「あの男が役に立つと?」
疑わしそうな川部の言葉に紫暮は笑って見せる。何者にも揺るがない副社長の笑みだ。紫暮の全開のカリスマ性が間近で発揮されては、もともと副社長に心酔している部下は平伏するしかない。
「……アホらし」
壁一枚隔てた茶番劇に勇成は小さくため息をついて、愛用のバンダナを目元に引き下げた。