利き福さに寄稿話 テーマ 「雨」 雨だ。雨が降っている。運悪く、今日は傘を持っていない。
いや、用意はしていたのだ。していたにもかかわらず、玄関先まで持って来ておいて、靴を履くのにその辺に置いて、そのまま忘れた。
今日私が出掛けることを知っている子も何振りかいる。でも、迎えなど頼んでいないから、待ってても誰も来てはくれないだろう。
本丸から少し離れた場所にある転送装置のところから、小降りになったタイミングで駆け出し、建物を目指す。本降りになる前、そしてたいした距離ではないとはいえ結構濡れてしまった。玄関まで走るのは諦めて一番近い軒先に駆け込んで、頬に流れ落ちる雨粒を拭おうとした。
「……大丈夫かい?」
突然背後から掛けられた声に驚いて振り返る。そこに、心配そうな顔でこちらを見ている福島さんがいた。彼も花を摘んで戻ってきたところらしく、腕いっぱいに花を抱えている。雨の匂いに混ざって、生の花の青い香りがする。
「出掛けてたのか。えーと……おかえり」
何故か躊躇いがちな口調に首を傾げると、数秒私の顔を見ていた彼は眉を下げた。
「なにかあったの?」
「え?」
「……髪。」
彼は自分の肩を水平にした手で示す。
切ったんだ、という意味だと気付いて「あはは」と照れ隠しで笑う。まさか、この湿気のせいであまりにまとまらない髪にキレて、予定外に美容院に行ったのだなんて、恥ずかしくて言えるはずもない。
「似合ってるよ」
にこりと笑った福島さんは、しかしどこか悲しそうに見える。
「福島さんこそ、なにかあったんですか?」
頬を拭いながら聞けば、彼はぐっと息を呑んだ。その反応を不思議に思っていると、彼は腕に抱えていた花の中から数本を取って差し出してくる。
「あ、ありがとうございます」
花を渡された意味がわからずまたもや首を傾げる私から、首筋を掻いた彼が視線を逸らしたのを見てハッとする。もしかして透け……?! と慌てて見下ろすが、服の色や素材感からして簡単に透けるようなものではない。身体のラインを拾うほどにも濡れてはいない。彼の反応がよくわからずに困っていると、彼の手が伸びてきて頬を拭われた。
「花、見てると元気になるだろ? 俺にはこんなことしか出来ないけど――ああ、話を聞くことも出来るから、いつでも呼び出してくれていい」
なんの話? と私は余計に困惑する。
「一人で泣かないで」
切なそうな顔をされて、そこで私はやっと気付く。
頬に水の跡。
そして、髪を切ってきた女。
――これ、私失恋したと思われてる?!
勘違いだ。盛大な勘違いだ。しかも、励まされてる。
ただ、湿気でまとまらない髪を切ってきただけ、帰りがけに雨に降られてしまっただけ、それだけなのに、彼は私の心情を思ってこんな顔をしているのだ。
あわあわする私に気付かず、また視線を逸らしてしまった福島さんはやっぱり苦しそうだ。彼にそんな顔をしてほしいわけではない。さっさと誤解を解かねば。
ぎゅっと目を閉じて、恥を忍んで口を開く。
「あのっ、福島さ――」
「俺なら、君を泣かせたりしないのに」
ぴた、と時が止まった気がした。
――今のは、空耳?
ゆっくりと視線を上げると、真剣な顔の彼と視線が絡んだ。
「俺で良ければ、また笑えるようになるまで君の隣に寄り添ってもいいかな?」
動揺して硬直する。その反応をまた勘違いしたらしい福島さんは、眉を下げて笑う。
「やっぱり、俺じゃ駄目だよな」
「違……」
あまりにも寂しそうな顔をされて、胸が締め付けられる。慌てた私は一気にまくし立てた。
「これ、別に失恋じゃなくて、ただまとまらない髪が嫌で切っちゃっただけで! その、これも泣いてたわけじゃなくて、単純に顔に雨粒が落ちてきてただけで……!!」
必死で言い訳をしていると、じわじわと彼の顔は赤くなる。そして、腕で口元を隠して
「うわ、格好悪……!」
そう呟くと大股に逃げていこうとした。しかし、私は彼を逃がす気はなくてエプロンの紐を掴む。
「ちょっ、なに!? ごめん、勘違いした、謝る、忘れて。お願い。ごめん、本当にごめんて」
言い訳する口調はいつもの落ち着いたものではなくて、まるで日本号さんに話している時のそれ。私から見える耳は真っ赤だった。
「私失恋はしてないんですけど」
「ん、うん。それはもうわかったから、それ以上――」
「あの、失恋してなくても、隣で寄り添ってほしいってお願いは、しちゃ、ダメ?」
逃げようとしていた福島さんから力が抜ける。そーっと振り返ってきた彼の顔はまだ赤い。
「すみません、私、実は福島さんのことが前から好きで」
今度こそ、感情が溢れて泣きそうになる。花を小脇に抱えて私をそっと抱き寄せた彼は
「……それ、今言うこと?」
と優しい声で呟いた。私は急激に恥ずかしくなって、彼のエプロンの胸元を掴んだ。
「今じゃなきゃ、タイミング逃しちゃいそうだったので」
ふっ、と表情を緩めた彼は「そういうところも、好きだよ」と困り顔で笑ってくれたのだった。