たろさに書いた。 彼は私の本丸で初めて顕現してくれた大太刀だった。俗世が苦手だという話は知っていたから、あまりに馴れ馴れしくするのも負担になるだろうと思って少し距離を取っていたところはある。
たぶん、傍から見れば彼の弟との方が仲良く見えていただろう。しかし、私は頼りになる彼のことが、本丸を御神刀として支えてくれている彼のことがずっと好きだった。恋愛感情を抱いていた。
でも、俗世や現世とは違う位置にあるという発言を見聞きしていると、どこからどう見ても俗世じみているような人間の私は、彼には釣り合わない。そう思っていたから、なるべく近付かないようにしていただけ。だけど遠くから眺めているだけで満足していた、なんて可愛いことは言えない。次郎太刀と仲良くしていたのだって、馬が合ったというのもあったけど、なによりも彼を通じて太郎太刀の話を聞きたかった、なんてまた俗な意味合いが強かった。それをわかっていながら嫌な顔一つせず付き合ってくれる次郎太刀は本当にいいひとだと思う。本丸の中で、私の本当の気持ちを知っていたのは、彼の弟である次郎太刀だけだった。
その日も、私は次郎太刀と話し込みながら勧められるままにお酒を飲んでいて、少し疲れていたこともあってその場でうとうとしてしまっていた。ここじゃなくて部屋で寝なよ、と言ってくれる声が聞こえる。うん、と答えたものの、身体が動かない。ぼうっとしていると、身体が浮き上がった。
ゆらゆらと揺すられているとより深く眠ってしまいそうになる。ほぼ寝入ったような状態で運ばれていく身体を、少し上から俯瞰して見ているような気持ちで感じている。
――あれ……?
でも、誰が抱き上げてくれているのだろう。さっき、部屋から連れ出される時に次郎太刀の声は遠くからしていた。彼に運ばれているわけではない。ふと気になって目を開ける。するとそこに金色の切れ長な瞳があった。
「降ろしてくださいっ」
慌てて自分を抱きかかえているひとの胸を押す。
「危ないですよ」
暴れる私を落とすまいと、その腕は私を余計にしっかりと抱きしめようとする。
より密着してしまった身体にパニックを起こした私は、もう一度ぐいっと彼を押した。
「やっ」
「……そんなに嫌ですか」
そっと私を降ろしてくれた太郎太刀は、いつも通りの澄ました表情だ。しかし、少しだけ眉をひそめているようにも見える。嫌ではない、と首を振るけれど「やはり、次郎太刀にお願いすれば良かったですね」と彼はぼそりと呟く。
「太郎さんが嫌なわけないじゃないですか。ちょっと驚いただけで、拒否したわけではないんです」
「そうは言っても、私に対する態度と、次郎太刀に対する態度はかなり異なっているようですが」
「だって、それは」
それは? と聞き返してくる目に正面から射貫かれる。好きだから、と言いかけて、あわてて口を噤む。
「私が、怖いですか」
「え?」
「身体も大きいですし……いえ、身体が大きくても、次郎太刀のように愛想が良けれは威圧感もないのでしょうけれど。このように不愛想となると、主が距離を置きたいと思うのも当然、でしょう」
「そんなことは」
「ここに顕現した大太刀の中では一番の古株とはいえ、ただ、それだけでしかありませんからね。貴方にとって特別な刀ではないという自覚はあります」
「特別です!」
「気を遣う必要はありませんよ」
そこに私に対する悪意は感じない。ただ、彼が思っていることを口にしているだけなのだろう。勘違いされているのかも、と思えばゾッとする。こんな俗気の強いい想いを知ってほしいとは、彼に対しては烏滸がましくて思えない。受け入れてほしいなんて想像もしたことがない。けれど、反対に取られるのは嫌だ。
本当に違うんです、と彼の着物の袖を掴む。じっと私の手を見た彼は、ずい、と一歩距離を詰めてきた。
「ならば、どうして私にはそうも遠慮がちなのですか」
「それ……は」
「私にも、次郎太刀や蛍丸、石切丸などに話し掛けるように、親し気に声を掛けてくれば良いではないですか」
「でも、太郎さんは」
「……なるほど。貴方がそのような態度になるのは、私がいけない、と。」
「そうじゃなくて」
どうしてこんなに詰めてくるのだろう。私こそ、なにかしてしまっただろうか。
気付けば壁際に追い込まれていて、長身の彼に覗き込まれる姿勢になっている。両手を壁に付かれてしまうと、彼の内番着が和装ということもあって、袖に隠された私の身体は太郎太刀に完全に包み込まれていた。
「違うのなら、ちゃんと説明していただけますか」
尋ねているように見えて、これは命令だ。こんな態度になっている事情を話せと言われている。私は視線をさまよわせる。それは、私の気持ちを知られてしまうということだったから。言えない。言いたくない。
しかし、彼の指は私の顎をしゃくって、視線を強引に合わせてくる。
「話す時は、相手の目を見て」
「は……い……」
「どうぞ」
「あの、私、わたし、は……ですね、その」
「ハッキリと」
「っ! わ、私は!」
思っていたより大きな声が出て、自分でも驚く。
「太郎さんのことが好きっ、でっ、あの恋愛感情という意味で、好き……で……その……」
しかし、告白してしまえば徐々に声が小さくなる。これでは、聞こえないと怒られるだろうか。必死になりすぎて閉じていた目蓋をそっと開けると、ふっ、と小さく笑う太郎太刀の顔が近くにあった。
「太郎さん……?」
「はい」
「迷惑、ですよね、こんな、人間に好かれても」
「いえ。人間から想いを寄せられることには慣れています」
御神刀なのだから、ずっと参拝者からの想いは受け取ってきていたのだろうけど、私のこれは意味が違う。全然違う。でも、神様からしたら同じようなものなのかもしれない。そう気付いて、心が冷える。
――そういう風に、受け取るんだ。
なんだ、と思えば涙が浮かびそうになる。受け入れてもらえないだろうとは思っていたけれど、急激に切なくなってくる。自分の頭の中に渦巻いている感情の名前はわからない。もしかしたら、勝手に想っているのは自由、と突き放されたような気持ちになったのかもしれない。歪んでいく顔を見られまいと下を向こうとするのに、彼の手はそれを許してくれない。
「あの、太郎さん、手を」
「離しませんよ」
どうして、と彼を見上げた目から、ぽろりと涙がこぼれる。
「おや。泣くほどに、好きですか」
「……はい」
「なるほど」
もう見ないでください、と彼の手を払おうとした私の手首を太郎太刀は掴んだ。そのまま、ぼろぼろ泣いている私の顔をじっと見つめている。
泣いている姿のなにが面白いのだろう。こんなぐちゃぐちゃな顔、眺めるような価値などないのに。それとも、人間が泣くという光景に興味でもあるのだろうか。自分で感情をかき乱されている愚かな存在が珍しいのだろうか。彼がなにを考えているのか、まったくわからない。
ひとではないものを好きになってしまったのだ、と実感させられて、なにやら情けなくなってきて、もっと涙が止まらなくなる。
「そこまでとは、思っていませんでした」
私を観察していた太郎太刀は、しばらくして感心したように言った。
「貴方が私を好きだということは、以前から知っていますけれど」
今、なんて?
驚いて、涙が一瞬で引っ込む。
「ああ、次郎太刀から聞いたわけではありませんよ。自分で気付いて、それから勘違いではないかを確認させてはもらいましたが、あちらから貴方の想いを聞かされたわけではありません」
そんなことをする性格ではないですからね、と私の思考を読み取ったかのように、先回りで否定される。
「私に隠し事ができると、本気で思っていたのですか?」
「え、でも……」
人間から恋焦がれられても迷惑だろう。そんな、現世に落とすような真似、したくはない。
「私は貴方の刀として顕現したのです。今更俗世に塗れさせてしまうだとか、そんな風に考えること自体間違っているとは思いませんか」
また、考えを読まれたようなタイミングで問われる。
「ごめんなさ」
「謝られたいわけではなくて」
ごめんなさい、とまた言おうとすれば、長い指で唇を塞がれた。
「貴方が私に伝えなくてはいけない想いは、それではないでしょう?」
言って、と視線で促される。
「す、きです」
「はい」
「太郎さん、好きです」
「わかっています」
表情を変えずに言った彼は続けて
「では、本気で好きだというのならば、今度からは次郎太刀ではなく私を誘うようにしてください」
買い物でも、晩酌でも、と言って、やっと私を解放してくれる。
その口元が硬く閉じられているように見えて、もしかして、なんて思いが浮かぶ。
「……もしかして、太郎さん、次郎ちゃんに嫉妬してました……?」
いつも仲良くしていて、物理的な距離も近かったから。
思わず小声で尋ねれば、彼の眉間に小さなしわが寄った。